第70話 始末人

 硬い床を蹴り、一瞬で距離を詰めた竜夫は目の前に立ち塞がる敵に向かって刃を振るう。最小の動作で相手の命を刈り取る一撃。それは薄暗い地下の中で鈍色に輝いていた。


「できるな」


 スーツ男は感心するようにそう言って、竜夫の一撃を腕で防御する。硬質な音があたりに響き渡った。


 スーツ男はそのまま腕を回して竜夫の刃を弾き、大きく一歩踏み込みつつ、掌底を放つ。刃を弾かれたものの相手に防御されることを想定していた竜夫の姿勢は崩されることはなかった。弾かれるのに合わせて後ろへと飛び、自身の身体に叩きこまんとしていたスーツ男の掌底をかわす。距離は五メートル。恐らく、相手も一瞬で詰められる距離だろう。


 竜夫は背後を覗き込んだ。後ろにはみずきがいる。戦えない彼女を敵の前に出すわけにはいかない。


「安心しろ」


 睨み合い、警戒を解かずにスーツ男は言う。


「その女には手を出さん。俺は戦えない奴に手を出すような甲斐性はないからな。それに、貴様さえ倒してしまえばあとはどうにでもなる。違うか?」


「…………」


 竜夫は返答しなかったが、心の中で確かにと頷く。彼女には自分のように竜の力を得た人間と戦えるような力はない。このまま自分が倒されてしまったら、残された彼女はなすすべなくスーツ男の捕えられるのは明らかだ。


 だが、自分の背後に守らなくてはならない存在がいることを忘れてはならないだろう。手を出さないと言ったところで、スーツ男は敵だ。その言葉をそのまま信用するのは危険だろう。戦いの中では、性善説など通じないのだから。


 お互い、一瞬で詰められる距離を保ったまま睨み合いが続く。まったく動かないまま、二人の間は、がりがりと音を立てながら空間を削っているかのよう緊迫感に包まれていた。


「返答はなしか。それもよかろう。敵に語るべき言葉はないということか。その考えは大いに理解できる。俺も、お前と同じ立場であったのならそうするだろうからな」


 目もと以外の全身を覆われているスーツを身に纏う奴の声はくぐもって聞こえた。


「おびき出した敵を始末するだけのつまらぬ仕事だと思っていたが、まさか貴様のような敵と出会えるとはな。生きるというのはいつになってもままならぬものであるが、そのままならなさが時に刺激というものを生み出してくれる。非常に好ましい」


 スーツ男は腕を上げ、構える。


「おびき出した、ってのはどういうことだ?」


 スーツ男の言葉に不可解なものを感じ、竜夫は言葉を返す。


「そのままの意味だ。ここに侵入した我らに叛逆する目障りなあの女の仲間をここにおびき出し、始末する。それがいま俺に与えられた仕事だ。それはもうすでに終わった仕事だがね」


 腕を上げ、構えたままの姿勢でスーツ男は退屈そうな口調で言う。スーツ男のその言葉は、この施設に侵入した破竜戦線のメンバーを全員始末したことに他ならない。わざわざ聞き返すまでもないことだった。


「あの女はもう長くないだろうが、それでも目の前を飛び回る虫というのは鬱陶しいものだ。始末できるのであれば、さっさと済ましておくのが道理であろう。違うか?」


「…………」


 竜夫は再び問うてきたスーツ男の言葉には返さない。返す必要もなかった。ここでなにか言葉を返したところで、一緒に侵入した破竜戦線のメンバーが全員殺されてしまったという事実が変わることはない。


「あの女の持つ力によって無効化されていたはずなのに、それをどうやったのか? と訊きたげな顔をしているな。あれだけ堂に入った戦いかたをしておきながら、顔に出るとは奇妙なものだ。実に面白い」


 目もと以外のすべてを覆われているスーツ男がどのような表情をしているのかは不明だ。だが、わずかに覗くその眼光からは、愉悦が感じられた。


「俺は、あの女とは浅からぬ縁がある。だから奴の手の内を知っていただけのことだ。奴の力は知っていれば、効果が落ちるものだからな。それ以上でもそれ以下でもない」


 スーツ男は語りながらも、一切の隙を見せない。しびれを切らして下手に飛び込むと、返り討ちにされてしまうだろう。


「どちらにせよ、俺はあの目障りな死にかけになど興味はない。あの女は我らの目的を阻む障害とはなり得ないからな。いま俺にとって重要なのは貴様だ、異邦人」


 スーツ男は、発火しそうなほど鋭い視線を覗かせる。


「貴様は、あの三人を殺した。命を賭けた闘争である以上、俺は恨むつもりは毛頭ないが、だからと言ってやられたままというのは我慢ならないからな。その借りはしっかりと返す必要がある」


 あの三人、というのはバーザルたちのことだろう。


「もう俺に話すことなどない。さっさと始めようか。まだ時間は残っている。それまで思う存分楽しもうではないか」


 スーツ男はそれを言い終えると同時に床を蹴り、距離を詰めてくる。スーツ男は、一瞬で竜夫の間合いの内側へと入り込んだ。クロスレンジで、硬く握り込んだ拳を放ってくる。


「ぐ……」


 竜夫はなんとか拳を防いだものの、大きく後退させられた。重厚な音があたりに響き渡る。


 スーツ男は後退させられた竜夫を逃さない。翻りながら宙を飛び、竜夫の頭部を砕かんと堅牢なスーツに覆われた踵が迫りくる。竜夫は、再び手に持った刃で防御。


 だが、竜夫の刃はスーツ男の踵によって砕かれた。スーツ男の踵が竜夫の側頭部に着き裂かる。そのまま横に弾き飛ばされ、壁に激突する。強烈な側頭部の一撃と、壁との激突によって、竜夫の視界はぐわんと歪んだ。


 スーツ男は水流のごとき踏み込みで距離を詰め、さらに追撃を行う。もう一度、硬く握り込んだ拳を放った。


 竜夫は反射的に壁を蹴って横に飛び、それを回避。側頭部に強打を食らったせいで、見える世界が陽炎のごとくぐちゃぐちゃに歪んでいた。スーツ男の拳により、竜夫が叩きつけられた壁が大きくへこんで、砕かれる。


 竜夫は砕かれた刃を投げ捨て、新たに刃を創り出した。世界が歪む中、竜夫はスーツ男に向かって距離を詰めた。ゆっくりと振り返るスーツ男に向かって、竜夫は刃を振り下ろす。しかし、竜夫が振り下ろした刃はスーツ男の肩口で止められた。刃はがっちりと抑え込まれたかのように動かない。


「恐れず前に踏み出すその意気はよし。だが、それは無謀であったな」


 スーツ男は竜夫の腹に掌を叩きこむ。それは竜夫の体内をかき乱し、破壊の限りを尽くす一撃。身体の内部を揺さぶられ、呼吸が困難になる。


 それでも竜夫は振り下ろした刃から手を離さなかった。もう一つの手で銃を創り出して――


 それを、スーツ男の唯一開かれた部分、視界確保のためのスリット目がけて弾丸を放った。


 しかし、スーツ男は身体を横に逸らし、スリット目がけて放たれた弾丸を防いだ。堅牢なスーツと弾丸が衝突する音を立てた。スーツ男は、そのまま、竜夫の身体をつかみ上げて、背後へと投げ捨てる。竜夫はなんとか体勢を崩さないまま着地したものの、がくりと膝が折れた。


「俺の攻撃を食らいながら、それに耐え、反撃を仕掛けてくるか。いささか命知らずではあるが、その勇気には敬意を表そう」


 スーツ男は、肩口に食い込んでいた刃を抜いて投げ捨てる。距離は再びお互い一瞬で詰められる距離へ。


「そりゃ……どーも」


 吐き捨てるように言いながら、竜夫は折れそうになった身体をなんとか支えて構え直す。視界はいなもなお歪み、身体の中をシェイクされたような吐き気に襲われていた。


 だが、それでも屈するわけにはいかない。ここで屈してしまえば、なにもかも終わりだ。もとの世界に戻ることも、みずきを助け出すことも、できなくなる。


 戦いの夜は、まだ明けない。

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