第71話 守るべきもののために

 竜夫は五メートルの距離を隔てたまま、スーツ男とにらみ合いが続く。お互い一瞬で詰められる距離で行われているそれは、空気を弾けさせるような緊張感に満ちていた。どちらかが踏み込めば終わる。だが、先手を打っても勝てる保証はない。先んじたとしても下手を打てば容易に敗北してしまうだろう。それは、お互い変わらない。


 ずきり、と腹部に激しい鈍痛が感じられた。竜夫は正面の敵に対する警戒は解かずに自分の身体に視線を向ける。呼吸をすると強い痛みが走った。これだと、先ほどの掌底で骨の二、三本は持っていかれたかもしれない。


 視線をスーツ男へと返す。アメコミヒーローが着ていそうな堅牢なスーツに身を包んでいる奴はダメージを負っている様子はまったくない。奴を倒すのであれば、あのスーツを破壊するか、スーツをすり抜けてダメージを与えられる手段が必要になる。それができなければ、ダメージを与えることすら叶わない。


 まったく、どうしてこう次から次へと困難が覆い被さってくるのだろう? どこまで行っても理不尽しかない。一体、どうなっているのか?


 だが、そんな風に思ったところで、どうすることもできない。自分には味方などおらず、相手は国を支配している軍である。そんな強大なものが相手なら、どうあがいたところで理不尽になるのは必然だ。


 それに、どれだけ理不尽だろうと困難だろうと、この茨の道を進むしか、いまの自分に先を切り開くことなどできない。もとの世界に戻ることは当然、それどころか背後にいるみずきをここから逃がすことすら不可能だ。


 そっと背後を覗き見る。


 みずきは不安そうな顔をして二人の戦いを見守っている。これだけ人智を超えた戦いを目前としながら、まだしっかり自身を保っていられるのだから、彼女はきっと強い娘なのだろう。


 最後まで抗う。あの竜から力を受け入れたそのとき、そう決めたのだ。その先が地獄だろうと煉獄だろうと、背後には崖しかない以上、前に進むことしかできない。みずきの救出も、もとの世界への帰還も前に進んだ先にあるはずだ。


 スーツ男はまだ動かない。こちらの刃や銃弾を容易く弾く圧倒的な防御力を持つスーツに身を包んでいるのだから、先に動いたところで、不利にはならないはずだが――


 なにかあるのか? それとも――


「異邦人、貴様の名は?」


 唐突にスーツ男の声が竜夫の耳に流れ込んでくる。口もとも覆われているのにもかかわらず、はっきりと聞こえる声だった。気がつくと、構えていた両腕を下げている。


「あんたも、殺す相手の名前を知っておきたいって性質か?」


「見事な実力を持つ相手だけな。貴様ほどの戦士であれば、名も知らぬまま殺すのは無礼が過ぎるだろう。そう思わないかね?」


「……さあ、僕にはよくわからないな」


 否定も肯定もしなかった竜夫の返答にスーツ男は「それは残念」とくぐもっていながらもよく通る声を発する。


「でもまあ、訊きたいっていうのなら名乗ろう。別に減るものじゃないからな。僕は氷室竜夫」


「ヒムロタツオ。異邦人らしくまったく聞いたことのない響きだな」


「よく言われる」


「俺の名はヨハン・スチュアートという。是非とも冥土まで覚えていってくれ」


 ヨハンの声は少しだけ愉快そうに聞こえた。


「それでは、続きを始めよう。残り時間も少なくなってきたしな。仕事は終わらせたし、存分に楽しむとしよう」


 ヨハンはそう言って腕を上げて構え直す。それは一切の隙もなく、とても重厚だった。竜夫も、手に持った刃を構え直した。


 だが、先ほどのヨハンの言葉が少し気になる。奴は間違いなく、残り時間が少ない、と言っていた。まだなにか、この施設には隠されているものがあるのだろうか? それとも――


「どうした、来ないのか?」


 ファイティングポーズを取っているヨハンが言う。言葉を発しても、一切隙は見られない。


「来ないのなら、こちらから行かせてもらおう」


 ヨハンはそう言うと、姿勢を低くして床を蹴る。ヨハンは一瞬で竜夫の懐へと入り込む。その速度はまさに神速。超人の域にあるものだった。


 距離を詰めたヨハンは、密着した状態で、コンパクトなフックを竜夫の脇腹目がけて放つ。そのフックは嵐を巻き起こすような速さの一撃だった。


 竜夫はそれを横にステップし回避。すぐさま床を蹴り、最接近。手に持った刃で突きを放つ。しかし、竜夫が放った突きはヨハンの身体を包む堅牢なスーツに阻まれる。竜夫の手に、硬く重いものを突いたときのような衝撃が返ってきた。びりびりと痺れが両手に走る。


 やはり、ただ攻撃しただけではあれを突破することは難しい。視界確保のため、目の部分にはスリットがあるが、そこが弱点であることはヨハン自身もわかっているだろう。そこを狙ったところで、うまくいくとは思えない。


 どうにかして、あのスーツを破る必要がある。必ずなにかあるはずだ。あのスーツを突破しうるものが、どこかに。竜の力であっても、無敵でも全能でもないのだから。


 竜夫の突きを弾いたヨハンは砂流のごとき滑らかな動きで一歩踏み出して蹴りを放つ。堅牢なスーツによって覆われたつま先が風を切りながら竜夫の頭部へと迫りくる。


 竜夫はヨハンの蹴りを、スウェーをして回避。竜夫の鼻先数センチ前に巨大な剣を振り回したかのような蹴りが通り過ぎる。


 竜夫はスウェーののちに身体を先ほどのヨハンのように身体を屈ませて床を蹴り接近。両手に持っていた刃を片手に持ち直し、刃を持つ手とは逆の手に銃を創り出す。それを、スーツのスリットの部分に向けて弾丸を放つ。放ったのは散弾。スリットに音速を超える無数の弾丸が暴風のように襲いかかる。


 だが、ヨハンは動じることはない。冷静に腕でスリット部分を覆い、放たれた弾丸による暴風をすべて防御。放たれた弾は堅牢なスーツによって弾かれ、軽い音をあたりに響かせる。


 竜夫は手に持っていた銃と刃を消した。そして、代わりに創り出したのは――


 人が持つにはあまりにも大きすぎる火器。大砲といってもいいものであった。いびつなほど大きなそれの引き金を引く。爆音が耳を打った。弾丸と呼ぶには大きすぎるものが発射され、放った竜夫は反動で大きく後ろに吹っ飛び、砲弾のごとき巨大な弾丸に襲われたヨハンも上に弾き飛ばされ、天井に激突。


 ヨハンとともに天井に激突した巨大な弾丸は地面に落ち、弾けて消える。


「そんなものまで創り出せるのか」


 天井から感心したような声が聞こえる。天井にヨハンは張りついていた。


「いまのはなかなか肝が冷えたぞ。さすがあの三人を倒しただけのことはある」


 口ではそう言っているものの、ヨハンの口調からは明らかに余裕さが感じられた。スーツの損傷もないので、ダメージもそれほど負っていないだろう。


 竜夫はヨハンを吹き飛ばした大砲を消す。


「もし、貴様が敵でなかったのなら、その実力を買って我々の仲間へ勧誘したいところであるが――そうもいかんか」


 少しだけ残念そうな声でヨハンが言う。まだ天井に張りついている。壁にめり込んで動けない、わけではなさそうだ。


「最近はつまらぬ仕事ばかりで退屈していたが、これほどまでに楽しい命のやり取りをしたのは久しぶりだ。やはり、仕事であっても楽しさがなければつとまらん。そう思わないか?」


「趣味は仕事にしないほうがいいなんて言われるけどな」


「ほう、貴様の世界にもそのような言葉あるのか。実に面白いな。貴様が敵であることが非常に残念だ。いや、敵であるからこそ、これほどの愉悦を感じられるわけだが、なかなかままならぬものだな」


 全身をスーツに包まれたヨハンの表情はまったく窺えない。それが、なんとも言い難い異質さを感じさせた。


「だが、残念ながらそろそろ時間だ」


 ヨハンがそう言うと同時に、身体の芯から揺さぶるような大きな振動と爆音が感じられた。地震? いや、これは――


「ここで生き埋めになるがよい。貴様一人であったら、破壊される地下からの脱出は簡単だっただろうが、その娘がいたらどうかな?」


 再び大きな振動と爆音。がくん、と膝が折れた。ダメージによるものではない。もうすでに床が崩れ始めているのだ。


「それではなヒムロ。お前は重要な検体だから、死んだのなら死体くらいは拾ってやろう」


 ヨハンはそう言って、天井に吸い込まれて消えていった。


「そりゃどーもご丁寧に」


 竜夫は歯がみしながら、そんな言葉を返したが、反応するものは誰もいない。


 またしても大きな振動と爆音が感じられる。このままこれが続くのであれば、崩落して奈落へと落ちるのは時間の問題だろう。


「岩花さん!」


 竜夫は叫ぶと同時に床を蹴り、みずきのもとへと近づいて、彼女を引き寄せる。

「はやく脱出しよう」


 みずきの腕を引いて、前に進もうとする。その瞬間、四度目の爆音と震動が発生した。振動で足もとが揺れる。竜夫の足もとの床には罅が入っていた。


「駄目です。わたしのことはいいから、早くここから逃げてください」


「駄目だ! ここできみを見捨てたんじゃ、助けた意味がない。なんとしても、きみだけは助けてやる」


 竜夫はなにかに願うように大きな声で叫んだ。


 再度振動と爆音が発生。竜夫が立つ床にさらに大きな亀裂が入る。いつ崩れてしまってもおかしくないレベルのものだった。


 くそ。なにか手段はないのか? 彼女を見捨てずに、この崩落する地下から脱出する方法。考えろ。考えろ考えろ考えろ――


 そこで、気づく。


 自分が得た力はなんだ? それを思い出せ。自分が得たものは――


「少し乱暴になるけど、脱出できる方法を見つけた。これならきみも助けられて、僕も生きて帰れる。有無は言わせない」


 竜夫はみずきの身体を抱き上げる。


 そして、その身に浸透した竜の力を開放していく。


 この身体にある竜の力を極限まで解放すれば――


 かつて自分を助けた竜のように空を舞い、ここから脱出できるはずだから――


 竜夫の身体が変質していき――


 助けるべき彼女を抱えたまま、竜と化し、空へと飛び立った。

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