第47話 退院

「こんな短時間でほぼ全快するとは思ってなかったよ。もう動いても大丈夫だけど……退院する?」


 いつも通り竜夫の身体を検診していたハル医師はそう言った。


 竜夫は少し考えて――


「そうですね。先生が大丈夫って言うのなら、そうさせていただきます」


 年齢不詳なことこのうえなくて愉快なハル医師と話をするのは楽しかったけれど、いつまでも立ち止まってはいられない。


「そういえば、なくなってるものとかない? きみが持っていたものは、そこの棚の中に入れておいたんだけど、確かめておいてね」


 ハル医師はベッドの横にある棚を指さした。


「……あの、本当にお代はいいんですか?」


「うん。だってそのぶんはクルトくんからもらってるし。私としては誰がきみの治療代を払ったところで特に変わらないからね。誰の懐から出ようとお金はお金に変わりないからね。お金ってのは人間よりもずっと平等だし」


「…………」


 すごい割り切りだな、と思ったけれど、それくらいでもなければもらえるものさえもらえるのなら誰だって助けるという闇医者なんて務まらないのかもしれない。


 でも、誰が払おうと金は金であるというのは事実だ。誰にとっても一円は一円であり、それ以上でもそれ以下でもない。ハル医師の言う通り、人間よりもよっぽど平等である。


「……つかぬことをお聞きしますが、先生はどうして闇医者を?」


 竜夫は、ふとそれが気になってハル医師に問いかけた。


「大きな病院特有の院内政治に嫌気がさしたとか、そっちのほうがお金が儲かるからとか色々とあるけど、でもまあ、なんでだろうね。よくよく考えてみると、どうしてなのかわからないや」


 ハル医師はおどけた調子で明るく、少女にしか見えないあどけなさで言う。


「ま、でも私が闇医者やってたおかげできみと会えたわけだし、いいじゃん。きみみたいな若い子はなかなか来ないからね。なかなかいい潤いになった」


 一切の恥ずかしげもなくそう言われてしまって、竜夫の方が恥ずかしくなった。


「きみが何者でなにを目的にしているのかは知らないし、知りたいとも思わないけれど、私はこれでも医者だから、なにか困ったことがあったら相談に来るといい。払うものさえ払ってくれるのなら、できる限りのことはしようじゃないか」


 胸を張って言うハル医師。見た目はどうやっても自分より年下の女の子にしか見えないのに、何故か頼れる年上の女性のオーラがありありと感じられた。


「……でも、お高いんでしょう?」


「それなりにね、と他の患者ならそう言うところだけど、きみには融通を利かせようじゃないか」


「どういうことです?」


 竜夫はハル医師を見る。ハル医師は「ふっふっふ」となにか企んでいるような笑みを浮かべていた。


「きみの身体を調べさせてくれるというのなら、もろもろの料金を無料にしよう。もっと言うのなら、こっちが謝礼を支払うつもりだよ。もちろん、それなりの額をね。どうだい?」


「調べるというのは、一体何をするんです?」


「そう身構えなくてもいいって。いきなり身体を切り刻んだり、猛毒を盛ったりはしないから。今回の治療では調べ切れなかったところを調べさせてもらうって感じ。まあ、きみが構わないというのなら、それも是非やりたいところではあるけれど。あ、そう過激なことをするのなら、謝礼は増やしてあげるから安心して。これでも私、結構稼いでるからね。払うもんはちゃんと払うよ」


「やっぱり、僕の身体は異常なんですか?」


「異常の定義をどうするかで変わってくるけど、病気とかを患っているかってことなら違うね。きみの身体は健康そのものさ。つい何日か前、死ぬような怪我をしていたとは思えないくらいにね。


 しかし、きみの言う異常の定義が『人間を逸脱しているかどうか』ってことならば、間違いなくきみの身体は異常だね。はっきりいって、あれだけの怪我を負って、たった数日で全快するのは私のような医者でなくたってあり得ないって思うだろう。そのくらい、きみの身体は逸脱している」


 いまの自分の身体が普通の範疇から相当に逸脱しているのはわかっていたことだったけれど、そう面と向かって言われると複雑だった。


「これでも私は医者としてそれなりにやってきたけれど、きみほど逸脱した肉体を持つ人が患者になったのははじめてだ。竜血の高い身体機能を持つ人が患者になったことがあるけど、きみの身体はそれを遥かに凌駕している。人間にしか見えないけど、もしかして人間じゃなかったりする?」


 ハル医師は冗談のつもりで言ったのだろうが、それはあながち間違いではないだろう。竜の力を得たいまの自分は人間にしか見えない、人間ではない『なにか』なのだから。


「いまこうやってきみから許可を取りつけておけば、興味深い検体を独占できるわけだからね。どこかに勤めていたんじゃそうはいかない。私はお金がとっても好きだけど、同時に医学を励む探求の徒でもあるからね。お金を払ってそれができるのなら、注ぎ込めるだけ注ぎ込もうじゃないか。私が提示する金額が不満なら、きみが望む言い値で支払ってもいい。そのくらい、きみの身体には価値がある」


 そう言われて、それほど悪い気はしなかった。もしかしたら、ハル医師だったからこそそんな風に思えたのかもしれなかった。


「……少し、考えさせてください」


「いいよ。自分の身体をいじくりまわされるんだからここで即決されたそれはそれでこっちも困るからね。若者なんだから、自分の身体はちゃんと大切にしなさい。それに、私としても嫌なことを強制させて喜ぶような性癖はないし」


 諭すような口調でハル医師は言う。やはりその言葉からは、頼れる年上の女性の空気が感じられた。


「じゃ、連絡先を渡しておこう。いい回答をくれることを願っているよ」


 ハル医師は白衣から名刺を取り出した。竜夫は差し出されたそれを受け取る。そこには、ハル医師の本名と、電話番号が刻まれていた。


「こっちが話したいことは話したし、どうする? まだ横になっていたいのなら別に構わないけれど」


「いえ、そろそろ行きます」


 竜夫はそう言って、ベッドの横にある棚に手を伸ばし、そこに入っていた財布と通帳と相変わらず文鎮と化したままスマートフォンを取り出してポケットに突っ込んで立ち上がった。


「そうか。それじゃあね。できることなら、今度ここに来るときは死にかけの状態で来ないでほしいな。ま、病院なんてどこであろうと厄介にならないほうがいいんだけどね」


 ハル医師は竜夫の前を歩き、病室の扉を開けた。竜夫は半歩遅れて、ハル医師の後ろをついていく。


 出入り口の前まで来たところで――


「短い間だったけど、楽しかったよ。それじゃ元気でね。無理はするなよ」


 ハル医師は、悲壮さを一切感じさせない、明るい口調で言う。本当に、どこからどこまで気持ちのいいひとだと思う。


「お世話になりました。なにかあったら、頼りたいと思います」


 竜夫は頭を下げ、一度ハル医師の顔を一瞥したのち扉を開けて外に出た。

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