第38話 閉ざされた場所での攻防

「油断はしていなかったか……」


 虚空から現れた黒衣の男はわずかに表情を歪ませながら言う。


「そりゃそうさ。獲物を仕留めたときはそいつを狙う大きなチャンスでもあるんだから。それに、爆発物をまき散らすなんていう派手なのと戦っていたら、音もなく完全に姿を消して近づいてくるあんたにはまず気づかないからな。巻き込まれないようにしつつ、僕を狙えるチャンスを窺っているのは当然だ。なにしろあんたらはチームで動いて、僕のことを狙っているんだから」


 そうは言ったものの、奴の奇襲を予想できたのは、はっきり言って運がよかった。これをなんとか防げたのは奴の「姿を消す能力」が事前にわかっていたからに他ならない。そうでなかったら、ここで致命的な一撃を受けていた可能性は非常に高かった。


「私はお前におびき出されたというわけか。うまくやられたな」


 そう言っているものの、チャンスを逃したことを悔やんでいるようには聞こえなかった。むしろ、その口調はどこか楽しそうですらある。


「それにしても、困ったな」


「……なにが?」


 竜夫は男が上げた声に眉を上げる。


「バーザルの奴と正面から渡り合うような奴と戦えるほど、私は強くないものでね」


「僕のことを見逃して、金輪際狙わないのなら、こっちも見逃すけど?」


「そうしたいのはやまやまだが、そういうわけにもいかん。あんたの始末は俺たちの仕事だ。俺も組織に属しているのでね。そうやすやすと逃亡が許されるような立場ではないのだよ」


 やれやれ、といった風にため息をつく。


「あんたが属しているのは、軍なのか?」


 であるならば、非合法の裏工作を行う部隊ということになるが――


「さあな。それを私に答える義務はない」


 竜夫の問いかけを切って捨て、男は懐からなにかを取り出して、放り投げる。竜夫は身構えたものの、投げられたこちらに向かって投げられたものではなかった。


「煙幕!」


 投げられたそれは地面に当たると同時に大量の煙が溢れ出した。それによって竜夫の視界は一瞬で遮られた。竜夫は袖で自らの口と鼻を覆い、溢れ出した煙を吸わないようにする。


「俺は弱者らしく、せいぜい卑怯な手を利用させてもらおう。さっさと仕事を終えて、ひと息つきたいのでね」


 その声は反響し、どこから聞こえてきているのか判然としない。


 視界を遮る煙には毒はないようだった。だが、空気よりも重いのか、無人の建物内に滞留している。先ほどバーザルを倒した一撃で空けた壁の風穴からも、煙はなかなか逃げてくれない。しばらくこの場所に煙は充満したままだろう。


 竜夫は口と鼻を覆っていた腕を離し、構える。片腕を使えない状況で戦えるような相手とは思えなかったからだ。直接的な戦闘能力はバーザルのほうが高いかもしれない。だからといって、油断が許されるような相手ではないのは明らかだ。奴もバーザルと同じく戦闘のプロなのは間違いないのだから。


 竜夫は煙が充満する中で静止している。視界を遮られたからといって、焦ってこの状況から逃げ出すのは危険だと思ったからだ。この状況から脱するのであれば、少しでもいいから隙を作ってからのほうがいい。


「……っ」


 横からなにか近づくのを感じて、竜夫はそちらに身体を向け防御姿勢を取る。だが、反応が遅れてしまい、横から放たれた攻撃を完全に防御することができなかった。防御した腕に骨を直接叩かれたかのような衝撃が走る。横からの攻撃によって姿勢を崩された竜夫は二メートルほど後ろにずり下がった。


 今度は先ほどとは逆方向からなにかが飛んでくる。それを回避しようとしたが、またしても反応が遅れてしまう。自分の二の腕に、十五センチほどの刃物が突き刺さった。二の腕のあたりに鋭い痛みが走る。


「く……」


 なにかおかしい。煙の中に立つ竜夫はそう直感した。この煙が充満した途端、自分の感覚が、ほんのわずかにだが明らかにおかしくなっている。


 この煙の中にいるのはまずい。わずかであってもこのぎりぎりに状態で感覚をおかしくなるのは致命的だ。バーザルとの戦いで消耗している以上、持久戦に分があるのは間違いなく向こうである。なんとかして、この状況から脱しなければ――


 だが、それは向こうもわかっているだろう。この状況を脱するために、わかりやすく目につくのは、先ほど竜夫がぶち抜いた壁の穴だ。


 しかし、奴があの場所になにも仕掛けていないとは思えなかった。わざとわかりやすい逃げ道を作って、そこに罠を仕掛けるのは常套手段だ。確実に、あそこにはなにかある。


 どうする? と心の中で問いかけた瞬間、今度は斜め後ろ四時の方向からなにかが近づいてきた。やはり同じようにほんのわずかだけ反応が遅れてしまう。回避は間に合わない。そう思ったが――


 とっさに、その方向に自分の身体から突き出すように刃を創り出した。だが、近づいてきたなにかにそれが当たった感触はない。


「そんなこともできるか。なかなか器用である。簡単にはいかないか」


 反響する声は、以前としてどこから聞こえてくるのか判然としない。


「つ……」


 敵の攻撃を防いだものの、竜夫は苦痛の声を漏らした。いま反射的に行った、身体から刃を突き出させて防御したことが原因である。身体から突き出すように創り出したそれは、手もとに創り出すのと違い、内部から刃物で貫かれるような苦痛に襲われる。これならば、視界を塞がれ、感覚をおかしくされ、反応が遅れても、確実に防御を行い、同時に反撃することも可能だ。


 だが、そのたびに身体の中から貫かれるような苦痛に耐えなければならない。出血はないものの、身体の中から貫かれるような激しい苦痛に襲われる方法を多用できるはずもなかった。


 竜夫は破れかぶれに、手もとに小さな刃をいくつも創り出すと同時に放り投げる。しかし、投擲されたそれらは敵に当たることなく、すべて壁に当たり、建物の中に小さな音を響かせただけだった。


 この煙の中でも、相手はしっかりとこちらを捉えている。それでは、闇雲に放った攻撃が当たるはずもない。


 どうする? と竜夫は再び心の中で問いかけた。


 壁に空いている穴に目を向ける。


 煙の中からわずかに見えるその断面から、この建物は鉄筋コンクリートのような頑強な素材で作られているようだった。であるならば、かなりの力を以て攻撃しなければ、先ほどのように壁をぶち抜くことは難しいだろう。普段創り出している銃では威力が足りなすぎる。自分が通れるような風穴を開けるには、それこそ大砲のようなものを創り出して、近い位置に何発も撃ち込まなければ難しいだろう。いま自分を狙うあの男が、そんなことをしていられる隙を見せてくれるとは思えなかった。


 ならば――


 もう一度、バーザルを倒した攻撃を放つしかない。その攻撃が当たらなかったとしても、この状況から脱せられるのであれば充分だろう。


 竜夫は地面を踏みしめ――


「バーザルを倒した大技か。悪いがそれをさせるわけにはいかんな」


 そんな声が頭上から聞こえると同時に――


 竜夫は後頭部をつかまれ、その直後、自分の頭が吹き飛ばされたのではないかと思うほどの衝撃を与えられた。


 竜夫の頭は、足もとの地面に叩きつけられる。後頭部に与えられた同程度の衝撃が顔面を襲った。視界には満天の星空に降り注いだ。


「っ……」


 追撃を避けるために、すぐに姿勢を立て直そうとするものの、世界は激しく揺れてそれもままならない。立っている地面は平行のはずなのに、ぐちゃぐちゃになっているとしか思えないほどだった。


 その直後、倒れたままの竜夫の頭上から気配が感じられた。煙の中から、自分を突き刺そうとするべく頭上から強襲する黒衣の姿が見えた。ぐちゃぐちゃに潰された視界の中でなんとかそれを認識したものの、頭部に与えられた二度の強烈な衝撃によって身体を動かすことすらままならず――


 黒衣の男がその手に持つ、刃が竜夫の頭部目がけて振り下ろされた。

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