第10話 異世界の夜の街を歩く

「そろそろ閉館の時刻になります」


 背後からそんな声が聞こえて竜夫は振り返った。そこには女性の図書館職員の姿がある。彼女は少しだけ怪訝そうな顔をしていた。それも仕方ないと思う。なにしろ自分はこの図書館に足を運んでからずっとここにいたのだから。


「お借りしたい本があれば受付までお越しください」


 女性職員はそう言って小さく一礼し、竜夫の元から離れていった。


 それを見た竜夫は持っていた本を棚に戻し、歩き出す。借りていきたいところだが、この世界において社会的な身分すら存在しない自分では本を借りていくことは不可能だ。それにいまは宿を転々としている身である。仮に身分証なしで借りれたとしても、本を補完できる場所もない。現段階ではなにか情報を探すのならここに足を運んで、その場で閲覧していくしかないだろう。


 受付にあった時計を見る。時刻はそろそろ八時になろうとしているところだった。確か街を歩き回ってこの図書館に辿り着いたのが朝の十時頃だったはずなので、十時間近くここにいたらしい。そりゃあ図書館の人間も怪訝な顔をするよなと思う。しかも自分は風貌からして異国の人間だ。観光客でもなさそうな異国の人間が十時間近く図書館にいたのなら変に思われても仕方ないだろう。


 そういえば、とそこで気づく。当たり前のように時計を見て時刻を判断していたけれど、この世界の一時間と自分が知っている一時間は同じなのだろうか? こうやって生きている以上、この世界の環境は地球と似ているのは確かだろう。ならば、一日の長さをはじめとした時間も、それほど大きな差はなさそうだが――


 とは言っても、一切の計器なしで計測して比較するのは難しいし、そんなことをしている時間も余裕もない。そんなの考えても仕方ないと判断し、竜夫は再び歩き出した。図書館の外に足を運ぶ。図書館を出ると、街はすっかり夜の闇に包まれていた。東京に比べると明かりは乏しいものの、その暗さがどこか幻想的だ。


 さて、これからどうしよう? 夜の街を進みながら考える。図書館で色々な情報は知ることができたものの、自分を召喚したあの施設に関する情報は結局見つからなかった。なにか他の方法を見つけなければ駄目だろう。果たして、どうしたものか。


 よくある異世界ものなら、情報収集などのために冒険者ギルドに向かうところである。だが、現代に近いこの異世界に冒険者ギルドなんてものが存在するとは思えなかった。もしかしたら、民間軍事会社のような傭兵部隊はあるかもしれないが。


 しかし、ならず者が多いイメージのある傭兵部隊だって社会的な身分の証明が一切できない人間を雇ってくれるとは思えなかった。この世界で生き抜くにあたってネックになってくるのは、自分が社会的には存在しないことだ。これをなんとかできないと金を稼ぐのすら難しい。


 やはり、犯罪行為に走るしかないのか? そんなことを思った。いまの自分には、それを可能にしてしまう力がある。本当に、どうする? と竜夫はあらためて自分に問いかけた。


 できることならやりたくないというのが正直なところだ。しかし、そんな綺麗ごとを言っていられる状況でないのもまた事実。


 それに――


 強盗を撃退したあのとき、自ら暴力を振るう経験なんてほとんどなかったはずなのに、なんのためらいもなく暴力を振るうことができてしまったのだ。それを考えると、生きるために暴力を振るっていたら、そう遠くない日に罪もない人に暴力を振るうことすら躊躇がなくなってしまうような気がした。


 そうなってしまったら、恐ろしいと思った。


 この世でもっとも怖いもののひとつは、自分がやることに対し、疑問や躊躇を抱かなくなった人間だ。そんな人間が、大きな力をもってしまったらどうなるだろう? それは災害に等しい存在と言える。


 生きていくために仕方なかった、と自分に言い聞かせてそれを正当化するのは正しいとは思えなかった。人間として許されることとは思えなかった。


 でも――


 いつまでそうしていられるかわからなかった。なにしろいまの自分はあまりにも余裕がない。余裕がなくなれば、自分がやることを正当化し、だんだんと躊躇を抱かなくなるのは当然の成り行きだ。自分は絶対にそうならない。そう断言できるほど強くはなかった。


 そうならないためには、この状況を早く打開しなければならないが、未だにその目処は見えてこない。


 竜の力におかげで、飢えや渇きによって野垂れ死ぬことはいまのところなさそうなのは幸いだ。だが、それだっていつまで保つかはわからない。いずれ、食料や水分が必要になってくるだろう。


 本当にままならない。世にある異世界ものの主人公はこんな風に困窮していなかったのに。


「まあ、そりゃそうだよな。いきなり見知らぬ場所に行かされて喜ぶなんてどうかしてる」


 竜夫はそう呟いたのち、ため息をついた。


「とにかく、宿を探そう」


 昨日、泊まったモーテルに行こうかと思ったが、何回も同じところに泊っていたら、不審に思われるかもしれない。いまの自分は追われている可能性も充分にあるのだ。そいつらに嗅ぎつけられるようなことはできるだけ避けておくべきだろう。


 竜夫は夜の街を進んでいく。


 昨日よりも遅い時間のせいか、人の数は少ないように見えた。恐らく、年中無休で明かりを灯しているコンビニなんてものはこの異世界にはないだろう。仮にそんな店があったとしても、東京のようにどこにでもあるとも思えなかった。


 これからのことを考えるたびに憂鬱な気持ちが強くなっていく。そんなこと、できることなら考えたくなかったが、考えずにはいられなかった。本当にままならない。


 そんなことを考えながら進んでいると、目の前に人だかりができているのに気がついた。なにがあったんだろう? やけにざわついている。気になったのでそちらに進んでいく。


 近づいてみたものの、人だかりに遮られて、ここからでは見えなかった。人の間をかき分けて進んでみようと思ったが――


「なにがあったんですか?」


 そのとき、人だかりの中から中年の男が出てきたので話しかけた。


「ギャング同士の抗争だってよ。チェザーレファミリーがあの店を貸し切ってるところに、別のギャングが襲撃したらしい」


 中年の男は人だかりのほうを顎で指した。人だかりによって遮られているため、この位置からではどうなっているのかやはり見えない。


「あんたも気をつけろよ。最近物騒みたいだからよ。どっかで飲んでたら、奴らの抗争に巻き込まれる可能性もあるからな」


 怖い怖い、と言いながら中年の男はその場から去っていった。


 ギャング同士の抗争。異世界にもそういうものはあるらしい。


 人だかりの奥がどうなっているのか見てみようかと思ったが、やめておいた。ギャング同士の抗争ということは、間違いなくあの奥は血生臭い光景が広がっているはずだ。そんなものを見てもいい気分になるとは思えなかった。


 それに、ギャング同士の抗争なら、そのうち警察がこの場にやってくるだろう。あの施設から警察に、自分の情報が流れている可能性もあり得る。面倒を避けるのであれば、すぐにここから離れたほうが無難だ。そう判断した竜夫は人だかりから離れていった。


 人だかりから充分離れたところで、あることに思い至る。


 裏の世界に生きる犯罪組織なら、違った形であの施設に関する情報を得られるかもしれない。


 だが、ギャングが都合よく自分に情報をくれるはずがないのは当然だ。近づいたところで、向こうになんらかのメリットがなければ、自分のようなどこの馬の骨ともつかない人間に協力してくれるはずもない。なにしろ相手はギャング。非合法の営利組織である。慈善団体などではないのだ。


 ギャングに近づくことはできなくても、酒場の類にいって情報を集めるのはありかもしれない。図書館では手に入らない情報もあるだろう。


 とにかく、いまは情報が必要だ。手持ちの資金は少ないが、だからといって動かないのは悪手だ。


 ギャング同士の抗争があった場所から一区画離れたところで竜夫は立ち止まって考える。近くには、酒場らしき店の看板があった。その近くでしばらく考えたところで、決断する。


「四の五の言っていられないな。とにかく動こう。ここで動けば、この状況をなんとかできるかもしれない」


 よし、と自分に気合いを入れ、竜夫は看板が置かれている酒場に立ち寄ってみることにした。

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