第20話 板の上で生きる人
芝居というものが好きだ。自分が芝居を囓っていたこともあって、真剣に役者をしている人にとても惹かれる。中でも、舞台役者が特に好きだ。
芝居というのは難しいもので、テレビドラマで上手に役を演じられる人がアニメの吹き替えがうまくできるとは限らないし、舞台役者が映画用の演技ができるとも限らない。(その場に合った演技に合わせることができる器用さのある役者は、違うジャンルに行っても成功するわけだ。)種類が違うからだ。
ドラマや映画なら、物語は一度で終わる。リテイクなどはあるにしろ、物語の流れ自体は普通一度だ。しかし監督のやり方にもよるが、撮影は物語の時間軸通りではなく、効率の良い順番で撮られていく。
これに対して舞台は、物語の時間軸通りに過ぎていく。役者と観客は同じ時間の流れを同じ時間で共有する。役者が一分間笑い続けていたら、客にとっても役者が笑っているのは一分。叫んだら、劇場の空間自体が震える。これが生身の演劇の面白さだと思う。
そしてもうひとつ大きく違うところ。毎日同じことを繰り返すということだ。
映画などでもリハーサルなどはあるし、個人でセリフを返すことはある。
だが舞台は何日も稽古を繰り返し、本公演が始まれば始めから終わりまでを毎日、多ければ一日に二度三度と繰り返す。
何度も同じ人生を生き直すのだ。
毎朝鏡に向かって「おまえは誰だ」と言ったり、毎日同じ時刻に泣いたりすると精神異常をきたすという話がある。
舞台演劇というのは、言ってしまえばこの行為に近い。毎日自分ではない人になって、知っているはずの知らない人と話す。毎日毎日、自分ではない誰かの人生を繰り返し生きるのだ。謂わばループである。
だんだん自分が誰かわからなくなって怖くなった、と役者をやめる人もいるくらいだ。
ループものがSFやミステリのジャンルとして存在するほどだから、怖くなるのも当たり前だと思う。
自分は素人演劇なので大したことはないが、それでも台本をもらってから本番が終わってしばらくあとまでは、
役のキャラクターが抜けなかった。常にもう一人の自分がいてその言動の癖が抜けなくなる。自分が喋っているようでいて、そうではない感覚なのだ。
初恋をして裏切りに遭い、友を失い、大切な人を亡くし、自分も殺されるような人生を、二時間程度に色濃く凝縮した物語の中で毎日生きる。
一言で言うなら、 壮絶 である。
役者と言ってもいろんなタイプの人がいるから、板から降りれば素の自分に戻れてしまう人もいれば、私生活もずっと役に引っ張られるという人もいる。
あまりにも凄まじい役を演じていた方がインタビューで前者のタイプだと答えておられて安心したり、反対に後者で、期間中はプライベートでも笑えなくなってしまったと仰っていてそわそわしたりしてしまう。
役者は手の振り上げ方ひとつとっても、演じている役がこれまで生きてきた人生を考え、その人ならどう手を挙げるかを考えて演じてくれる。
台本にない、舞台の上でも描かれないその人の人生を、役者は知っている。
逆に言えば、そこまでストイックに役を追い求めてくれる役者を尊敬するし、惚れざるを得ない。
目の前で人が笑い、叫び、涙を流す。剥き出しの人生を垣間見る行為。
凄い舞台を見た時は、見終えた後ぐったりしてしまう。これは、人の人生を手出しできない状態で見守るしか無い、全知全能ではない神や守護霊のような視点で間近で見るからなのだと思う。
この感覚が、観劇に魅力のひとつだと思っている。
ひとりの人間の生き様が、板の上には二時間に凝縮されて載っているのだ。
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