第18話 食べ物の恨みとひとりっこの憂鬱

父も母も兄弟がいたが、自分はひとりっこだ。


 食事やおやつは基本的には個別に盛られるが、大皿に盛られても特に自分の基本スタンスは変わらない。全体量から見てその場にいる人数で割り、自分の割当の分だけを食べる。


 だが、度々母に「あんたはのんびりしてるなぁ」と言われた。


 自分としては別にのんびりしていないし、どちらかと言えばせっかちな方なのだが。母曰く兄弟がいると食べ物は争奪戦になるから、万が一大皿で盛ってこられた日には率先して食べたい量を取皿に取って置かなければすぐになくなってしまうというのだ。


 個人的にはそれを聞いても、等分にするのが当たり前だと思っていた。たとえば三人いてロールケーキが一本あったなら三つにカットするし、もし始めから六切れにカットしてあった場合は二切れずつ食べる。


 余ったなら欲しいと言い出すとしても、そうでないのに人の分まで取る必要はないし、自分さえ多く食べられたらそれでいいなんてさもしいことを言い出す人なんていないと思っていた。


 そんなことはあまりに身勝手ではないのか。


 そんな考えだったので、まず数を数えて、自分がとって良い数をチェックした。パーティや会社の飲み会でもそれで困ることはなかったので、ずっとそれで通してきた。学生時代も女子校出身なせいか、等分でシェアするのが当たり前だった。


 しかしオフィシャルではなくプライベートな空間で男友達といる場合に不具合が出てくるようになってきた。


 彼らは、勝手に食べてしまうのである。二人でいてお菓子が三個あっても、「最後の一個はどっちが食べようか」とか「はんぶんこしようか」とかいう話は言い出さない。問答無用で二個食べるし、あまつさえ三個目に手を伸ばそうとすらする。


 四個のお菓子を前に三つ目に手を出すので、「四個だったから二こずつだよ」と指摘しても、そもそも自分がいくつ食べたのかを数えていない。数えているこっちが細かい、食いしん坊だと言われる始末だ。


 クッキーの詰め合わせを頂いたけれど自分は体調不良で寝込んでいて戸棚にしまっていたら、自分が逆の立場だったら新品の箱なので食べるとしてもまず開けていいか相方に確認するし、自分が食べていいのは全体の半分である。ひとつしか種類がないものは相方がどの味が食べたいか確認できるときに食べるべきなので手を付けない。


 だが彼らは平気で全部食べる。半分を超えるどころではない、ひとつも残さない。


「元々私がもらったのに」「食べたかったのに」「どうして一個も残しておいてくれないの?」


 と言ったところで、「おいしかったよ」と言うだけでごめんねなんて絶対に返ってこないのだ。


 こいつらどういう育ち方をしているのだ、と思ったが、よくよく考えるとみんな兄弟がいるのだ。


 母が言っていたのはこういうことなのだろうか。


 食べられない為に文字通り唾を付けたり、取皿に盛ったものまで取られたりするというシビアな闘いが繰り広げられるのは、昭和の漫画の世界だけではなかったのか。中々カルチャーショックである。


 あったら食べてもいい、という考えなら、名前を書いておくという古典的なことをしても運が悪ければ多分食べられてしまうのだろう。つまり戸棚にしまっておいてはいけないということなのだろうか。


 彼らにははんぶんこという概念はないのか。


 ひとりっこの自分には解せないのである。

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