第17話 車という趣味

 私が車を好きになったのは、小学校二年生くらいの話だと思う。


 父親がギアチェンジをする様子が面白くて、助手席に乗ってそれをずっと見ていた。タコメーターなんてまだわかっていなかったけれど、体感でぶーんという音がこれくらいになったらギアを変える、みたいなことは分かってくる。私有地で父親がクラッチを切ったタイミングでギア操作だけさせてもらうのが楽しみだった。




 車の後ろにキャンプ道具と愛犬を乗せてオートキャンプに出かけるのも好きだった。


 そんな訳で、二十歳になって車の免許を取れるとなったとき、迷うこと無くマニュアルで取った。既に世の中は普通オートマという流れになっており、その教習所でMTで教習を受けている女の人は自分しか見かけなかったくらいで、班で行う実習も常に紅一点だった。それでからかいたくなるのか、教官には「あんたがタイヤもちあげられたの、ひとりで? 本当に?」みたいないじりをよくされていて、未だに嫌な思い出のひとつだったりする。  まぁそれはさておき。


 類は友を呼ぶのか、周りには車好きの人が多く、今はお金が無くて車が買えないけど実家に帰ると乗り回しているとか、やっと愛車を買ったとか、そんな知人たちばかりだったので、最近の若者は車を欲しがらないし、必要性を感じていないといったニュースについては、そんな人もいるんだろうか、程度で、最早都市伝説のレベルで遠い存在だった。


 これが最近、ついに車を欲しがらない若者と実際に接する機会があったのだ。


 相方が車好きで、欲しいし便利だし、と言っていても「いらない」の一点張り。交際中は兎も角めでたく籍を入れたら優先順位が変わってOKが出るかと思いきや、変わらず「車なんていらない」のだそうだ。


 詳しく話を聞いてみると、そもそもその人の実家でも車を持っていなくて、町中を移動するのに電車とバスで十分という環境で育っているそうで。それなら、必要だなんて思うはずもなかろうと納得した。


 生粋の都会っ子にとっては車は不必要な贅沢品で、相方が欲しがっている高価な玩具、家計を預かる者として止めるのは当たり前、くらいの考えにもなりそうだ。


 車というのは自分のような田舎育ちの人間からしたら貴重な足であり、寧ろ車があるから公共交通機関は殆ど利用しなかった。


 必要だから、というのとは別に、冒頭にあげたように自分で操作するというのが楽しくて好きになったが、そのどちらの感覚も無い人にとっては無用の長物な訳だ。


 若者の車離れだなどと言われるが、同じ年齢でも育ってきた環境で必須と思う人、無用と思う人といるし、あれは若者が興味を失ったというより色んな問題を内包しているとは思うが、それもここでは置いておくとして。


 車も進化して、自動運転の実用化もそんなに遠い未来ではなさそうな昨今、自分でギアを操作するMTの需要が減り、その内自分で運転をすること自体が特殊になっていくのだろう。


 レンタカーやカーシェアリングなどのサービスもあるから、確かにうまく利用すれば自家用車を持つ必要はないのかもしれない。


 車好きな自分としては寂しい限りだが、マイカーを持ち、それを自分で運転するというのは、この先贅沢で風変わりな趣味のひとつとなっていくのかもしれない。下手をすれば緊急時以外の手動運転が禁止になる可能性すらある。


 折角苦労して免許もとったのだし、乗れる間は安全運転を心がけて乗り回したいものだ。

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