第7話 見た目の話

 私が生まれたときの写真は、親族中で「父親にそっくり」と評判だったらしい。撮られた時代がわかる要素を排除すればまったく区別がつかないレベルで瓜二つだと言われていた。


 くりっとした目や柔らかい眉毛など、顔のどのパーツを取っても確かに父親似である。食事の好みも父似だったが、黒子の多さは母似だろうか。体型などは母親似に育った。母方一族は私が知る限り先祖代々小柄である。そして身長も手伝って、若く見られることも多い。


 小学生くらいまでは年齢相応か寧ろませていると見られることが多く、自覚的にも父親似だった。


 中学生の頃、母の代理で父と会合に出席して、母に間違われたことはある。


「そっくりだけど(子供過ぎて)何か違和感があった」と言われた。


 高校生の頃、母のお使いで初対面の方へ届け物に行った時、先方が気づいて声をかけてくれ、


「お母さんにそっくりだからすぐわかったよ!」と言われたこともある。


 しかしそれでも自覚的には父親似だったし、母の方でも「別に私たちそんなに似ていないよね」という感想だった。


 ところが二十歳を過ぎ、家族旅行で撮った写真を整理していた時のこと。自分の写真だと思ったら母の写真だったことがある。それくらいから、自分も母も互いに「似てきたよね」という実感が出てきた。パーツは相変わらず父似のままだと思うのだが、全体の雰囲気が母に似てきたようなのだ。背格好だけではなく、醸し出す何かが似通っている。


「母に似ていると言われる」をいう話を知人にしたら「それは嫌だね!」と返されたことがあるのだが、自分は寧ろ嬉しい方だった。


 小柄で可愛らしく手先が器用で料理上手。小さい頃は母が手作りしてくれた服を着ていた。ワンピース、ポシェットにヘアゴムも全てお揃いでとても嬉しかった覚えがある。お洒落でセンスも良かった。


 白いワンピースに麦わら帽子を被って、手作りのお弁当が詰まったバスケットを持って海へデートしに行くという、今思えば少女漫画に出てくるような女子力の高い女子だった。


 残念ながら多分その辺りは似ていない。見た目にそぐわずサバサバしているところだけはよく似ている。


 若く見られるのはまぁ良いとして、おとなしく見られるのは母と私共通の悩みでもあった。おとなしい、だけなら良いのだが、それで舐められることが非常に多かったからだ。ならば見た目で威嚇しようと髪型や髪色、服装を変えてはみるのだが、全く効果はない。


 本人たちはヒグマの威嚇くらいのつもりが、傍からはレッサーパンダの威嚇にしか見えていないのだと思われる。


 近頃はいい加減歳を重ねて、十代に間違えられることはなくなり、痴漢に遭うことも少なくなり、舐められ具合も昔ほど酷くはなくなってはきた。


 それなりに童顔な方だとは思うが最近はみなさん若々しい方も多いので、年齢相応かやや下くらいに見えているのかなと自分では思っているのだが、先日食事をしていたカフェで学生に間違えられた。お世辞かと思ったら、大真面目に「もうお仕事されてるんですか?」とかなり驚かれて、逆にこちらが驚いてしまった。


 ただ、その後鏡を見たら目がキラキラ、お肌ツヤツヤ、大変幼い顔になっていて、確かに学生に見えなくもない我ながら驚愕の幼さで映っていた。


 久し振りのフリープランの一人旅を満喫して良いものを見て満足していたのが要因と思われる。


 反対に疲れているときは自分でも驚く不細工さで鏡に映ることもあるわけだから、これは努努気をつけなければならない。


 必ずしも若ければ良いとは思っていないが、若々しく楽しそうに、明るそうに見えている方が良かろうとは思う。常時は無理でもできるだけ高い頻度で良い笑顔でいられるように、良いものをインプットし、またアウトプットしていきたいものだと思う次第。

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