第6話 絵本の記憶

 この数年、絵本が流行っているという。特に大人に流行っているのだとか。


 斯く言う私も、『翻訳できない世界のことば』など気になったものは数冊購入した。


 ただ、小さい頃読んだ絵本の記憶は正直言うとあまり無く、世間で言われている有名な絵本はいまいちピンとこないものが多い。


 私は結構な活字中毒である。文字があったら読まずにはいられないし、暇な時間があれば使う予定がない商品の説明書でも兎に角読み始めてしまう。活字が好きなのは人生においては多分、嫌いな人に比べたら生きやすいだろうという母の配慮のお蔭で、相当早い時期から毎晩寝る前に絵本の読み聞かせをしてもらい、続きを夜まで待てなくて自分で読み進めるようになった。初めはひらがなしか読めなかったが、ルビがふってあれば漢字が入っていても大丈夫だったし、難しい言葉は訊いて教えてもらった。そしてお話を読み終えたら、それを誰かに読み聞かせるのも好きだった。音読するとまた違った印象になるし、理解も変わってくるからだ。本の中に書かれていなかったことや、その後の物語について空想してみることもあった。それをノートに書き留めて親に披露してみたり、ぬいぐるみに話したりした。時にはぬいぐるみたちを役者に見立てて、芝居仕立てにしていたこともある。


 夏休みに十冊は本を読みなさいという宿題で困ったことがないし、読書感想文で困ったことと言えば文字数を削って制限枚数内に収めること、そして子供らしい表現に留めなければならない点だった。要するに、可愛くない子供ではあっただろう。自分の年齢が対象の本はすぐに幼稚っぽくてつまらないと感じるようになり、まだ絵本を読んでいるべき年齢なのに小学生用のハードカバーを読んでいた。そんな訳で、あまり絵本を読んだ記憶がないのかもしれない。


 数少ない記憶に残っている絵本と言えば、『三びきのやぎのがらがらどん』。トロルがなにかわからなくて、自分の妄想の中でどんどん恐ろしいものに膨らんでいった。その後指輪物語などのファンタジーを読むようになって、トロルがあっさり理解できたのはこの絵本のお蔭かもしれない。


 それから、もう一冊は『くるみ割り人形』である。親の仕事の都合もあり、旅や帰省は船や寝台列車を使うことが多かったので、その移動時間の為に新しく本を買ってもらえるのも楽しみの一つだった。駅の売店や近くの本屋で一冊買ってもらう。ある時選んだのがくるみ割り人形だったのだ。記憶に残っているのはストーリーよりも、くるみ割り人形である。家にはプライヤーのような形のくるみ割り器しかなかったので、人形でくるみが割れるというのがとても新鮮だった。そしてイラストの描き方も相俟って兄が憎らしくて仕方なかった。兄にどうにかして天罰を与える空想をしていた記憶があるので、やっぱり可愛くない子供だった気がする。

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