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 手を繋いで川沿いの道を歩く。

 春本番にはまだ遠く、桜並木の蕾は硬いままだけど。流れには雪解け水が混じっているんだろう。さらさらと気持ちのいい音を立てている。

 ちらりと見ると、花音は景色に目を細めている……ように見えて心ここにあらずな感じだった。さっきから手汗がすごいし。大丈夫かな?

「どの辺?」

 と私は訊ねた。

「な。何がでございますの!?」

「しゃべりおかしいぞ。……新居はどの辺なの? って訊いたの。駅近って言ってた割にはだいぶ歩いてる気がするんだけど」

「え? あっ! 行きすぎてるわ!」

 やっぱりか。散歩に夢中になって忘れてたな。わんこじゃないんだから。

「戻って戻って!」

「ちょ、急に引っ張らないで」

 突然振り返った花音のせいでわたしは転びそうになった。この大型わんこめ!



 ホワイトデーに戻ってきた花音は、あの後一度東京に戻った。

 あの日は転校の手続き(親が進めていたらしい)をキャンセルするために一時帰郷しただけで、荷物は全部、まだ東京の婚約者のところにあったからだ。あ、元婚約者か。

 何やかんやで花音の婚約は円満に解消され、先方とは「縁談のことは抜きにしても、今後とも末永いご関係を」と言うことで解決に落ち着いた。

 一つだけ、すっきり片付かなかった問題がある。

 花音と父親の関係だ。

 父親は花音を許せなかった。

 花音も黙ってはいない。

 こんな状態で実家に戻ってもケンカになるばかりで何ら解決にはつながらない――そう考えた人がいた。花音の母親である。

 その花音の母親の提案で、花音はアパートを借りて一人暮らしをすることになった。

『しばらく離れて暮らして、お互い頭を冷やしなさい』

 ということらしい。

 引っ越しシーズンも終盤にいきなりそんな話になって、花音はバタバタと引っ越しを始め、ようやく落ち着いた今日、わたしを新居に招いたのである。

 つまり本日はお泊まりおうちデート。

「……お母さん、すごい人だねえ」

 行く手に花音のアパートが見えてくると、わたしはそう言った。

「何が?」

「だってさ、こういう事情で一人暮らしなんてさせないでしょ普通は。親に反抗してるのに親の目が届かなくなったらやばい、って思わないのかな」

「そこは私、信用ありますので。今日のことも、ちゃんとお母様に報告して許可は取ってあるわ」

 ほんとかよ、とわたしは思った。

 実際、花音は自分を抑えられない方だろう。激情に任せてわたしにキスを迫った前科もある。

 監視もなしに一緒に一晩なんて、何か起こしてくれと言わんばかりのシチュエーションじゃない。

 わたしがそれを指摘すると、花音は苦笑を浮かべて、

「……試されているのよ」

「試されてる?」

「私が自分を律することができるのかどうか。一時の感情に溺れる子供ではなく、自分の言動に責任を持てる大人になれるかどうか」

「生活態度で示せ、ってことか……」

 花音はうなずいた。

「恋愛にうつつを抜かさないこと。一人で生活しながらでも成績は維持すること。それがお母様の出した条件」

 女同士だからダメだとは言わない。けれど、もしもわたしの存在が花音をダメにするようならば、それは交際相手としてふさわしくないから別れさせる。

 性別ではなく、人間で判断する。そういうことだ。

 わたしはまだ、花音の母親には会ったことがない。ちょっと、会うのが怖い。父親よりよっぽど手強いに違いない。



 花音のアパートは、三階建てで外壁がピンクのかわいらしい建物だった。

 花音の部屋は二階の真ん中らへんにあった。施錠はカードキーにプラスして暗証番号が必要な二重セキュリティ。

「個人的には普通の鍵がよかったわ」

「面倒だから? でもまあ、この方が安心でしょ。女の子の一人暮らしだし」

「ゆかりに合鍵をプレゼントしてみたかったなあって……。それで色々あってゆかりがうちに入り浸るようになって、いつの間にか同棲が始まって、めくるめく愛と官能の日々が……」

「お母さんにバレて破局、と」

「……そうならないように気をつけましょうね、って」

 全然ごまかしになってないし。

「馬鹿なこと言ってないで入れてよ」

 わたしは身体を震わせてそう言った。

 川沿いを歩いていたときはあまり気にならなかったけど、汗が冷えてくるとさすがに寒い。薄着だし。

「ごめんなさい。すぐ開けるわ」

 と花音は電光石火の指捌きアンドカード捌きで二重のロックを瞬時に解除、ドアを引いた。

「いらっしゃい。もちろん、ゆかりが初めてのお客様よ」

「お邪魔しまーす」

 とわたしは玄関に踏み込んだ。

『花音の部屋』に入るのはこれで二回目だ。

 最初の、花音の実家の時のようなアウェイ感を、今度はまったく感じなかった。

 なんでだろう。考えるまでもない。

 花音はわたしにとって、もはや余所の人ではないから。

 大切なパートナーだからだ。

 わたしの一部は花音であり、花音の一部はわたしである。そんな密接な繋がりを持つ相手とその部屋に、気後れなんてするわけがない。

 そうは言っても、若干の緊張感は、やっぱりある。

 だってしょうがないよね。嬉し恥ずかし恋人の部屋だもの。

 さてその花音の部屋は、実家のときとあんまり変わってなかった。

 ちょっとだけ狭くなって、ちょっとだけファンシーな小物が増えたかな? というくらいで基本はシンプル。

 唯一の違いは、以前はクローゼットに隠していた百合コレクションを、堂々と並べているくらいだ。

 けれどこの違いは大きい。

 花音はもう、自分の部屋でまで自分の趣味を隠さなくてもよくなったのだ。

 同じ百合愛好者として、花音が趣味に後ろめたさを感じなくてもよくなったのは嬉しい。

「いままで我慢してた反動で、もっと百合百合した部屋になるかと思ってたけど」

「最初はそうしようかとも思ったのよ。でも、私が他の女の子を眺めてニヤニヤしていたらゆかりが嫌がるかと思って」

「いや二次元キャラに嫉妬とかしないから」

 突っ込んでから、ふと気になったので訊ねてみる。

「花音はもしかして、嫉妬する?」

「……………………まさか」

 なんだその間は。


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