第10話 ゆりちゅ!


 教室の窓から、柔らかい日差しが降り注いでいた。

 空気はまだまだ冷たく、道路脇には根雪が残っているけれど、ここしばらくは雪も全然降っていない。

 春も近いな、とわたしは思う。

 いつもの学校。

 本日最後の授業が終わり、生徒たちが一斉に立ち上がる。

 今日はホワイトデー。

 あの配信から十日が過ぎた。

 これだけ時間が経っても、思い返すと恥ずかしさに顔が赤くなってしまう。

 やってしまったなあ……。

 配信直後に思ったことを、今日もまた思った。

 あの日のわたしはどうかしていた。花音に会いたい気持ちが高ぶりすぎて、正気じゃなくなっていた。

 自分の中に、あんな行動力と度胸が眠っていたとは、今でも信じられない。

 配信を終えてアプリを閉じた直後は、すさまじい後悔に襲われた。

『何やってんのわたし! これ花音以外だって見るんだよ!?』

 というか主に花音以外が見る。だって配信だもん。

 よく考えなくても他に方法はあったはずなのだ。

 何も生放送で思いの丈をぶちまけなくたって。

 しかも内容がまた酷い。事情を知らなければエッチなことを要求されて拒絶した話にしか聞こえない。さらには「次はちゃんとするから戻ってきてもう一回して?」である。放送事故だよ。紛れもなく。

 見返して、あまりの恥ずかしさに「ふんがああああ!」とか叫んでアーカイブを消しそうになった。けれども消さなかったのは、あれが嘘偽りのない気持ちだからだ。赤の他人が見てどう思うかなんて知ったことか。

 配信が終わると、わたしは花音からの返事を待った。

 花音ならきっと見てくれたと信じて。

 すぐにでも返事が来るのではないかと思って、その日は一睡もできなかった。けれどチャットログにもSNSにも、それらしき書き込みは見あたらなかった。

 それから毎日チェックしてたけど、花音は現れなかった。もしかしたら花音はネットも使えない状況なのかもしれないと思ったのは三日ぐらい経ってからだった。わたしは絶望した。

 けれども無駄なことをしたとは思わない。

 おかげでわたしは、自分の気持ちと向き合うことができた。

 わたしは花音が好きだ。

 あの、自分勝手で暴走気味で、けれども本当は優しい女の子を、愛している。

 花音のおかげでわたしは孤独から救われた。

 花音がいなければ、わたしは自分が孤独だったことすら知らずにいただろう。人を愛することすら知らずにいただろう。

 愛も知らずに一人で生きるのは楽で、そして寂しい。

 花音はその強引さでわたしの心の壁を叩き壊し、暴風に巻き込んで、内に溜まっていた暗いものを何もかも吹き飛ばして、代わりに愛を置いていった。

 花音は、わたしを救ってくれたのだ。

 生徒たちが教室を出て行く。

 わたしは自分の席でスマホを取り出すと、りゅりゅのアカウントにログインし、SNSをチェックした。このところ日課になっている。

「……だよね」

 予想通り、花音からの書き込みはなかった。

 さすがに十日連続となると、わたしにも現実が見える。

 わたしの一世一代の告白は、不発に終わったのだ。

 無謀な真似だとは思ってたけど、実際失敗に終わると、やっぱりちょっとこたえる。

 わたしは本当に彼女を失ってしまったのだと思うと、鼻の奥がつんとした。

「……帰ろ」

 教室で泣いているところを誰かに見られたくない。泣くなら家に帰ってからにしよう。

 そう思ってわたしは席を立ち、教室を後にした。

 学期末の校舎は三年生もいなくなって、授業が終わったばかりなのに閑散としている。

 その静かな空気の中、わたしは早足で昇降口に向かった。

 玄関から吹き込む風に首をすくめ、靴箱を開ける。

「っ!」

 息が止まった。

 外履きの上にピンクの封筒が乗っている。

 封筒には妙に角張った字で「宮森ゆかり様」とある。

 封筒をひったくるように取る。開く。便箋に目を走らせる。

 わたしは便箋を握りしめ、踵を返して廊下を走り出した。


『――あなたの秘密を知っています。

   ばらされたくなければ、放課後、音楽堂までいらして下さい』


 見覚えのある文字の、見覚えのある文面。違うのは差出人の名前がないことだけだけど、そんなものなくったって、誰からの手紙かなんてすぐ分かる。

 校舎を駆け抜け渡り廊下に飛び込む。

 そこも一気に駆け抜けて、音楽堂の扉を開ける。

「花音!」

 花音はあの日と同じように、ピアノを背にして立っていた。わたしと同じ制服を着ていた。

 微笑む花音のその胸に、わたしは迷わず飛び込んだ。

「きゃっ!」

「花音! 花音花音花音!」

 ただただ名前を繰り返し、わたしは花音を強く抱きしめる。

 彼女の長い髪が揺れて、甘い香りがわたしを包む。

 ああ。

 喜びが胸の内からわき上がる。

 花音。わたしの花音。

「帰ってきて、くれたっ!」

 花音の腕がわたしの背中に回された。ぎゅーっとくっついて、わたしたちはお互いの匂いに包まれる。



「……ゆかり、ちょっと、苦しい……」

 感激のあまり強く抱きしめすぎてしまったらしい。花音が青い顔をしていたので慌てて力を緩める。それでも離れるのが名残惜しくて、わたしは花音の首に腕を絡ませたままでいた。

「ごめん。大丈夫?」

「あなたのすることならなんでも受け入れるつもりでいたけれど……今のはちょっと天国が見えたわ……」

 その言葉にわたしは焦った。再会そうそう永遠の別れなんて冗談じゃない。けれど、見れば花音は恍惚とした表情を浮かべていて、やっぱり一回締め落とした方がよかったのかも。

「配信、見たわ」

 言われた瞬間、わたしは顔を真っ赤にしてほてらせた。

「あれは私のためだけの配信、ですわよね?」

「やめてそのことには触れないで! 記憶からも消去して!」

 花音に見て欲しくて配信して、実際そうなったというのに、わたしは恥ずかしさで一杯になる。

「どうして? 私とっても感動したのに。それともあれは嘘でしたの? 私は帰ってこない方がよかったのかしら?」

「……嘘じゃない。帰ってきてくれて嬉しい」

 花音はにっこり微笑んだ。いつかのような悪魔的な笑顔。やばい、主導権とられてる。

 でもそれが心地よかった。もっと振り回されたい、困らされたいなんて、わたし犬みたい。

「でもどうして……」

 そう、それが不思議だった。花音は親を激怒させ、婚約者のところに送られたのだ。わたしの配信を見て戻って来たくなっても、親が許すとは思えないんだけど。

「私がゆかりを愛していることを、きちんと説明したら分かってくれましたわ。やはり、真実の愛は全てに打ち勝」

「嘘でしょ」

 わたしは花音のたわごとを遮った。

「ゆかりには叶わないわね」と花音は舌を出し、「でもまるっきりの嘘というわけでもないのよ。説得したのはお父様ではなく、婚約者の方。政治家秘書というのは言いましたっけ?」

「なんか大物議員の息子だって説明は聞いた」

「そうなのよ。その、婚約者のお父様の大物議員さんは、『弱者に寄り添った政治』を標榜しててね。近頃はマイノリティの権利保護を訴えているの。その中にはもちろん、性的マイノリティの問題も含まれる。……それで私、こう言ってやりましたの『もしこのまま縁談を進めて、結婚後に私がカミングアウトしたら大変なことになりますね』って」

「なんで脅迫!?」

「あら? 脅迫なんてしてませんわよ。私はただ一般論としてお話ししただけですわ。……その後、「仲の良い女の子」の話もしましたけれど」

「だからそれどう考えても脅迫の文脈だから」

 わたしは呆れた。

 察するに、普通に話せば分かってくれたような気がするんだけど。いやこれは花音なりの冗談で、実際はちゃんと真摯に説明したにちがいない……と思いたいけど花音のことだからなあ。深く追求しない方がいいの、かも。

「とにかくそういうことですので、問題は解決しましたわ。転校も取りやめ」

「じゃあ、これからはずっと一緒にいられる?」

「もちろんですわ。今日は一緒に帰って、明日からは一緒にお昼を食べて、二人っきりで百合トークしましょうね」

 花音はわたしを見つめた。

「もう二度と、ゆかりの嫌がることはしない。絶対に幸せにするわ」

 これまで何度も言われた言葉だけど、このときほど真実だと感じたことはない。

「花音……」

 わたしはうれしさのあまり泣きそうになっていた。

 そんなわたしの髪を、花音は優しく撫でる。細い指が髪の間を通るたび、わたしは胸がきゅんとなって、幸せに包まれる。

 と、

「ゆかり……」

 花音が髪を撫でるのをやめて、わたしの腰に手を回した。

「……あの日の続きを、しても、いい?」

「――うん」

 わたしは静かに目を閉じて、その瞬間を待つ。



                                    

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