第7話 百合バレンタイン


 一週間かかった。

 何かというとチョコレート作り……ではなくて、自作チョコなんか無理だと悟るのに。

 最初はほんと楽勝だと思ってた。

 だって溶かして固めるだけじゃん。できない方がどうかしてるじゃん。

 苦い石ができた。

 どうかしてるのはわたしだった。

 一度失敗したからには考えを改めた。これはそんなに簡単なことじゃないんだ。

 それでちゃんと作り方を調べた。本も買ったし調理器具も適当なもので代用するのはやめたし、製菓用のチョコやら何やら取りそろえていざ再挑戦。

 甘くてじゃりじゃりした石ができた。

 あっれー?

 やっぱり本とかネットとかの知識だけじゃダメなんだ。

 ということで専門家を招聘。具体的にはママに泣きついた。

「チョコレート!? ゆかりも好きな人ができたの!?」

「そういうんじゃないから! 友達だから!」

 ママはひたすらニヤニヤ笑っていた。

 わたしはママのウザムーブに耐えながらチョコを刻み、溶かし、温度を測り、

「……大丈夫よ! 愛情さえあればどんな味でも嬉しいものよ!」

 名状しがたいなにかができた。

 何のフォローにもなってない発言によりわたしは自分の料理スキルの低さを悟り、錬金術の出来損ないみたいな物体を冷蔵庫に封印すると、花音に見つからないように一人でこっそり街に出かけて、出来合いのチョコレートを購入したのだった。

 無念と言えば無念だったけど、まあこれでよかったのかな、とも思う。

 だってやっぱり「手作り」は重い。

 しかも相手は花音なのだ。変な誤解は与えない方がいい。

 それをいうなら何もあげない方がいいのかも。

 でも花音は絶対用意してるだろうし。一方的にもらうだけというのは悪い気がする。変なところで律儀なわたし。

 そう、だからこれは、何が「だから」なのかわかんないけど、いつもお弁当を分けてもらっていることに対する「お礼の気持ち」であり、友達へのプレゼントだ。

 それ以外の気持ちは一切こもってない。

 ないったらない。

 そんなことを思いながら、わたしは用意したチョコと一緒にバレンタイン当日を迎えた。



 今年のバレンタインは金曜日だった。

 朝から男子も女子もそわそわしていることまあ。挙動不審者大量発生。

 ……まあ、わたしも今年はその一人なのか。

 例年は色気づいた連中を冷ややかな目で見ていたのに不思議なものだ。

 花音はホームルームが始まるぎりぎりに教室に現れた。珍しいことだ。今日は雪もなく、電車は定刻通りに動いていたはずなのに。

「寝坊でもしたの?」

 昼休みにわたしは訊ねた。

「いいえ。ちょっと出がけにね」

 花音はそう言って言葉を濁した。

 ものすごく気になったけど、その問題には触れてくれるなオーラが漂っていて、わたしは口をつぐむ。

「それより今日の放課後、空いてるかしら?」

「空けてあるよ」

 わたしが答えると、花音は嬉しそうに微笑んだ。


     ★ ★ ★


 放課後の校舎にはいつもよりも人が多く感じた。気のせいではないんだろう。意中の相手と待ち合わせて、あるいは一方的に期待して、朝からそうだったように浮き足だった生徒たちが、校内のそこかしこにいる。

 そういうのとは関係なしに普通に部活動で残っている生徒もいて、今日も外は極寒だから、屋内で筋トレとか廊下をダッシュとかやってるかけ声が響いている。

 校舎の端、非常ドアを開けて渡り廊下に出ると、そうした喧噪が一気に遠くなる。暖められた空気とも遠くなる。すきま風びゅーびゅー。わたしは首をすくめて音楽堂へと走った。

 ドアに取り付く。

「嘘ぉ……」

 開かなかった。鍵は花音が持っている。花音は用事があって職員室に行った。私は教室でけっこう時間を潰してから来たはずなのに、花音はまだ来ていないのだ。

 寒いし一旦教室に戻るか、とわたしが考えたそのとき。

「ゆかり!」

 声を弾ませ花音が現れる。わたしも教室まで歩かずにすんでほっとした。

「ごめんなさい遅くなって。先生との話が長引いてしまって」

「ううん。今来たところ」

 デートのセリフみたいだな、とわたしは思った。

「今のやりとり、デートみたいね」

 わたしが思ったのと同じことを行って、花音は頬を上気させる。

「何の話だったの?」

「えっ?」

 花音は鍵を引っかけてドアを開けるのに手こずった。

「職員室に呼ばれたんでしょ」

「呼ばれたわけではないのよ。私の方から、進路の相談、みたいな」

「あー」

 とわたしはうめいた。もうすぐ三学期も終わる。二ヶ月もしないうちにわたしたちは受験生になる。憂鬱だ。

 にしてもすぐさま受験があるわけじゃないし、今から進路の相談って早過ぎるんじゃないかなあ。わたしは自分から職員室に行くなんてまっぴらだけど。お嬢様はそういうところも真面目というか意識が高い。

 ようやく鍵が開いて、音楽堂の中に入れた。

 音楽堂にも当然暖房は入っていないのだけど、壁や天井がしっかりしているので、渡り廊下とは温かさが段違いだ。さすがにコートが脱げるほどではないけれど。

「そういえばここの鍵ってどうしてるの?」

 まさか律儀に職員室に借りにいってるわけじゃないだろう。そもそもこの音楽堂は今は使われていない。校舎の方に新しい音楽室があるからだ。校舎の建て替えの際、歴史ある木造建築を残したい、という理由で使い道もないのに取り壊されずに残ったのだとか何とか。

「親切な先輩にもらったの。先生たちは知らない秘密の合鍵なんですって。代々受け継がれているらしいわ」

「へえ」

 わたしたちは窓際に椅子を並べて鞄を置いた。

 花音はすぐには椅子に座らず、わたしに背を向けて鞄をごそごそやりながら、

「ねえゆかり、どうして今日呼び出されたのか、分かる?」

「バレンタインでしょ」

「そのとおりだけどもうちょっと乗ってよ!」

 振り返り、花音は頬を膨らませてそう言った。

 乗れってどうやって……?

「ゆかりの馬鹿。いじわるするならチョコあげないんだから」

「じゃあお返しもいらないんだね。あーあーせっかく用意してきたのになー」

 わたしが棒読み口調でそう返すと花音は瞬時に青くなり、すぐ赤くなった。感情の乱高下が手に取るように分かって面白い。

「ゆかりがチョコレートを!? 私に!?」

「そう言ってるじゃん」

「………………………………」

「花音?」

「…………………………………………うれしい」

 泣くほどか。

 まあ悪い気はしない。ちょっと、申し訳ない気はする。こんなに喜んでくれるなら諦めずに手作りすればよかった。

 ……っていやいやいや。

 別にわたしは花音を喜ばせたいわけじゃない。お弁当の借りを返すだけだ。あとトラウマ克服とか色々あるけど。

 とりあえず着席する。向かい合うのは何となく恥ずかしかったので、わたしは椅子を斜めに、窓の方に向けた。花音もそれに倣う。

「ハッピーバレンタイン」

 と花音は言って、鞄からチョコレートの包みを取り出す。

「手作りなのよ」

 だろうと思った。

「変なものは入ってないから安心してね」

 それはちょっと心配してた。

「それでね、今こんなものがあるんだけど……」

 と鞄から出てくるのは紙コップとティーバッグ。そして保温ポット。

「……ここでティータイムにしない?」



 窓枠の、出窓というにはちょっと狭いスペースをテーブル代わりにした。

 紙コップから白い湯気が立ち上る。

「よかった。冷めてない」

「ていうか熱いくらいだよ」

 とわたしは舌の先を唇から突き出した。さっき舌をやけどしそうになったのだ。家を出るぎりぎりに湧かしてきたとしても八時間以上は経っているはずで、最近の保温ポットってすごいなあとわたしは妙な感心をしていた。

 花音はチョコレートの包みをわたしに渡す。

「ここで食べていくんじゃないの?」

「ゆかりに開けて欲しいの」

 まあプレゼントなんだしもらった人が開けるのが礼儀か。金のリボンを解き、しっとりと深い赤色の包装を剥がすと、中からはブロックチョコレートとクッキーが現れる。

「あ、忘れないうちにわたしも」

 わたしは用意してきたチョコレートを花音に渡した。さすがにもう泣きはしなかったけど、花音はそれをぎゅうっと胸に抱いて吐息を漏らした。

「手作りじゃなくて悪いけど」

「ううん。嬉しい。……大切にするね」

「いや食えよ」

 とわたしは突っ込んだんだけど、花音はわたしのチョコレートを大事そうに鞄にしまい込むのだった。チョコレートには賞味期限はないって言うしまあいい……のか? 深くは考えないでおこう。

 気を取り直して、わたしは花音が作ったチョコレートをつまむ。

「わ、おいしい」

「本当? ありがとう」

 お世辞ではなくおいしかった。わたしも挑戦したから分かるけど、チョコレート作りは簡単じゃない。面倒くさい。根気……がいるかは分からないけど、雑なやつには無理だ。

 花音のチョコレートはしっかり固まっているのに口溶け滑らか。クッキーはちょっと固めのコリコリ食感。甘いチョコと交互に食べると何とも幸せな気分になる。

「お菓子作りも得意だったんだ。すごいね花音は」

「それはもちろん、愛のなせる技よ」

 いつものように言ってから花音はクスッと笑って、

「なんてね。いい先生のおかげかしら」

 わたしは花音の家にいた家政婦さんを思い出した。

「わたしは習っても全然ダメだったよ」

 言い訳するつもりはないけど、ママの教え方はダメダメだった。「はいここでぐるぐるーってやってにゅーってやってばーん!」こんな感じである。感覚派にも程がある。

 いやしかし、ママが一人で作る料理は普通においしいので、やっぱり原因はわたしにあるんだろうか。なんて思いだしていると、

「ゆかり、チョコレート作ったの!?」

 花音が猛烈な勢いで食いついてきた。

「どうして持ってきてくれなかったの!?」

「え、あ、作ろうとしたけど失敗したから」

「そんなの気にしなくていいのに! ゆかりが作ってくれたのなら、私、泥でも廃水でも全然構わないわ」

「花音は構わなくてもわたしが構う! お腹壊されても困るし」

 というかいくら何でも泥はないわ……石(のようなもの)はできたけど。

「私のことを心配してくれるの?」

「普通するでしょ」

 人として当たり前のことを言っただけなのに、何が嬉しかったのか花音はにまぁーっと笑う。

「ちょっと寒いわね。くっついてもいい?」

「……まあ、いいけど」

 椅子を動かすのかと思ったら、花音は座る位置を変えて、開いた座面をぺしぺし叩く。同じ椅子に座れってことらしい。

 それはさすがに狭くないか? まあいいか。わたしは花音の隣に移動した。

 紙コップとチョコレートの位置もずらし、肩をくっつけて並ぶ。

 ふわりと花音の髪の匂いがした。

 紅茶を味わう。あったかい。吐く息が白い。

 不思議な気分だった。

 ほんの一ヶ月かそこら前まで、わたしと花音は口を利いたこともなかった。

 それが今、バレンタインに待ち合わせ、肩を並べてチョコレートを食べている。ここに呼び出されて脅迫されたあの日のことが、遠い昔のようだ。

 窓の外には静かに雪が舞っていた。音楽堂の屋根にも少しずつ、積もり始めているだろう。

 静寂。穏やかな。

 冷えた空気の中、紙コップを持つ手と、花音に触れている身体の右側だけが暖かい。

「どうしたの?」

「……花音と会えてよかったなって」

 自然と口をついた言葉だった。

 出会いは確かにまともではなかったけれど。今、わたしは花音と一緒にいることが苦ではない。むしろ心地よさを覚えている。

「わたしは変われたんだと思う。花音のおかげで」

「ゆかり……」

「ありがとう」

 わたしは花音に微笑みかけ、普段だったら絶対に言わないようなことを、言っていた。

 雰囲気に流されていたのかもしれない。


 言うべきではなかったのだ。そんなことは。

 わたしは、花音が抱えた感情の重さを見誤っていた。


 それはあまりにも突然のことだった。

 わたしが驚く暇すらなかった。

 花音は突然身体の向きを変え、大きく両手を拡げたかと思うとわたしを抱きすくめた。

「ゆかりっ!」

「――えっ……ちょ、ちょっと」

 はっと気付いたときには、わたしはろくに身動きもできないほどに、花音に強く抱きしめられていた。

「何いきなり。苦しいよ。力緩めて。花音。花音ってば!」

 わたしは抜け出そうともがいたけれど、無理だった。花音の方が背も高ければ力もある。

 花音の頭がわたしの顔のすぐ横あって、動きに合わせて甘い匂いを振りまいていた。

 不意に力が緩む。少し隙間ができた。

「花音?」

 至近距離。花音はわたしを正面から見つめていた。うっすら開いた唇。赤い舌がのぞいている。

「……もう我慢できない!」

 言うが早いか花音はわたしの両肩をつかみ、顔を近づけてくる。唇が突き出されるのが見えた。

 キスされる――瞬間、わたしは花音を突き飛ばしていた。

「やだっ!」

 花音がひっくり返って椅子から落ちる。椅子ががたんと大きな音を立てる。

 わたしは立ち上がって後退っていた。全身がガタガタ震えている。

 花音はすぐに起き上がった。けれど床に座り込んだまま、目を見開いてわたしを見ている。

 やり過ぎちゃった――そう思ったのも一瞬、すぐに猛烈な怒りが湧いてきた。

「わたしが嫌がることはしないって言ったじゃない!」

「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの……」

 じゃあどんなつもりなんだ。頭が煮えている。怒りと失望。混乱。

 花音はわたしに優しかった。強引ではあったけど、大事なところではわたしの意思を尊重してくれていた。

 信じてたのに。

 結局のところそれは、わたしを籠絡するためでしかなかったのだ。

 思考がぐるぐる回る。これまでのことが頭の中で駆け巡る。

 出会い。脅迫。スケート場でのデート。

 そして花音の家に行ったこと。あの日の違和感の正体に、わたしは唐突に思い至った。

「花音はさ、わたしのこと、本当に好きなの?」

「もちろんよ!」

 切実な訴え。本気に見えた。けれど、

「嘘つき」

 わたしは言った。

「嘘じゃないわ」

「嘘! 花音が好きなのはわたしじゃない! 子供の頃に会った『王子様』でしょ! わたしじゃない!」

 花音がわたしに近付いたのは、同じ百合趣味だと思ったからだ。そこには「宮森ゆかりが好きな理由」はない。何一つとして。

 あの日の違和感。その正体。

 花音の話の中には、わたしを好きな理由がなかった。何一つとして。

 どうしてあの日すぐに気付かなかったのだろう。

 信じたかったからだ。信じていたからだ。花音を。

「信じてたのに……。仲良くなれたと思ってたのに……」

「ゆかり、それは違うわ、私は、」

「わたしは誰かの代わりになんかされたくない!」

 わたしはほとんど悲鳴のような声を上げると、鞄をつかんで音楽堂を飛び出した。



 校舎を走っている途中で息が切れた。そのままだと転びそうだったので歩を緩める。

 振り返っても花音は追ってきてはいなかった。

 追いかけてくるつもりもない? もしくは追いかけられない?

 そういえば立ち上がってもいなかった。倒れた拍子に足をひねりでもしたのかも。

 もしそうならわたしの責任で……いやいや、そもそもは突然襲ってきた花音が悪い。自業自得だ反省しろ。

 同情と心配をねじ伏せてわたしは昇降口に向かった。靴を履き替え校舎を出る。音楽堂の方は意識して見ないようにした。まあ木立が邪魔して見えないんだけど。

 駅について、やってきた電車に乗った。

 頭が熱い。足元がぐらぐらする。

 心の整理がつかない。

 花音があんなふうに暴走するなんて。

 まったく想像してなかったわけではない。花音は最初から距離感近すぎる子だったし。

 けれど、それでも花音は――少なくとも今日までは――わたしの嫌がることはしなかった。だから信用はしていた。完全な裏切りだ。

 花音が本当に好きなのは、子供の頃に会った初恋の女の子だ。

 わたしはただの代用品。二度と会えないその子の身代わり。

 悲しく、腹立たしかった。

 ――何が?

 なんで悲しいんだろう。なんで怒っているんだろう。

 自分の気持ちが理解できない。頭が熱い。足元がぐらぐらする。思考がまとまらない。

 電車を降りて自宅に向かう。

 雪は強くなっていた。顔についた雪がひんやりと気持ちいい。

「……あれ?」

 何かおかしくない? いい加減興奮も収まってもいいはずなのに、頭だけじゃなくて身体も熱くなっていた。ただ歩くだけで息が荒い、というか辛い。

 かくんと膝から力が抜ける。

 自宅のすぐ前の道路で、わたしは地面に倒れ込んだ。


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