第5話 耐えられないこのアウェイ感
二月に入るといきなり、街を寒波が襲った。
通学路でスリップ事故があったみたいで、前が潰れた車とパトカーが路肩に止まっていた。
幸い電車に遅れはなく、わたしはいつも通りに学校に到着。
こうも寒いとマフラーの一つも欲しくなるなあ、なんて考えていると、昇降口でとんでもないものを見てしまった。
花音が、めちゃくちゃ長いマフラーを巻いていたのだ。花音は女子の中では背が高く、つやつやのロングヘアとも相まってそれはそれは颯爽とファッショナブルではあったけれど。似合うとか綺麗だとか、そんなことはまったく頭をよぎらなかった。
わたしが思い出したのは先月見たバカップルのことだった。
というか、バカップルに羨望の目を向けていた花音のことだった。
「おはよう」
「おはよ」
笑顔で寄ってきた花音にわたしは素っ気なく返す。これ見よがしに揺れているマフラーのことは務めて無視。
「今日は寒いわね」
「そうだね」
「ゆかりはマフラーは?」
「持ってない」
「今日は書店に行く日よね?」
「そうだね」
「この寒いのにマフラーなしだと辛くない?」
回りくどい。
「……やらないからね」
わたしは先回りして言った。花音はクスクス笑った。
「あら? 私は一緒に買いに行かない? って言おうとしただけなのに」
「ぐ」
朝っぱらから人をおちょくりよって。
わたしが何か言い返す前に、花音は他の生徒に声をかけられてそっちに行ってしまった。反撃したかったのに。おのれ。
この日はもうひとつ、小さな事件があった。
通学途中で見たような、寒波による交通事故やそれによる通行止めが市内の各地で発生していて、その影響で購買に商品を搬入するトラックが昼休みに間に合わなくなってしまったのだ。
「というわけで本日に限り、昼休み中の外出を許可します。各自、近くのコンビニや食堂等で、昼食を賄うように。あまり遠くに行って午後の授業には遅れないように注意すること」
事情を説明しに来た先生は早口でそう告げて教室を去った。あれは自分もご飯が食べられないかもしれなくて焦ってたんだろう。
わたしも焦った。
先生がいなくなるとすぐさまコートを着て、近くのコンビニにダッシュ。
手遅れだった。
コンビニはすでに他のクラスの生徒たちでごった返し、棚にはパンもおにぎりも何も残っちゃいない。寒波は購買の業者だけでなく、コンビニの物流にも影響を与えてしまったらしい。
とぼとぼとコンビニを出る。
この様子では食堂の類いも全滅だろう。
「うふふ、お困りのようね」
寒波の中、嬉しそうな、声。
言うまでもなく花音である。
「心配しなくても私のお弁当をわけて差し上げますわ。『あーん』もしてあげるわよ?」
「……それが嫌だからコンビニまで走ってきたんじゃん」
しかしどうも、背に腹は替えられない状況だ。
仕方ない。わたしは花音のお弁当をわけてもらうことにした。
「いいのよ? お礼なんて全然考えなくて。いつもしてることだから。全然いいのよ?」
……これ、どう考えても「押すなよ? 絶対押すなよ?」だよねえ。
★ ★ ★
授業が終わる。寒波は終わらない。雪がちらつき始める。それでもわたしは書店に向かう。
なぜ行くのかって? そこに百合本があるからさ。
……と気取ったところで寒いものは寒い。これ見よがしにマフラーを揺らしている花音がちょっぴりうざい。いやかなりうざい。
書店に行く前にコンビニに寄った。
お昼にきちんと食べられなかったので、ちょっと小腹が空いてきたのだ。
わたしはジャンボ肉まん。花音はあんまんを頼んだ。
並んで食べながら街を歩く。
「うふふ」
と花音は今日も楽しそうだ。
「いいわよね、こういうの。普通の高校生の放課後って感じで」
景色がいつもより華やかな気がして、それがバレンタイン商戦の飾り付けのせいだと気付く。もうそんな季節か。
わたしはちらっと花音を見た。花音は無言。
おかしい。
花音のことだから「もうすぐバレンタインね。わたしはもちろん愛情たっぷりのチョコレートを用意するわ」なんて言ってくるかと思ったのに。これは何もなし? それともサプライズを狙ってる? いや別に花音のチョコが欲しいわけじゃないんだけど。わたしはどうしよう?
花音がわたしをどう思ってるかはさておき、わたしは花音を恋人だとは思ってない。
いやまあ今時は友チョコなんて風習もあるのだし、あげても不自然じゃないんだけど。それで両思いだと誤解されても嫌だなあという気持ちもあって。でも一方的にもらうだけになるのもさすがに気が引けるわけで。
とりあえず棚上げしておくことにした。まだバレンタインまで日はあるし。
書店に到着。お目当てのマンガをささっと買い込み、そういえば配信のリスナーがお勧めしていた作品があったなと、小説の方を見に行く。あった。けどシリーズ全五冊はけっこうな出費だなあ。今月は好きな百合アニメのブルーレイも買う予定だし……とわたしがためらっていると、
「それ、私も持ってるわ。読みたいなら貸しましょうか?」
と花音が言う。
あ、じゃあ買わなくていいかなと思ったけど、
「面白い?」
「ええ。絶対はまるわ。保証します」
「じゃあ自分で買う」
名作なら自分の手元に置いておきたい。
花音は露骨に残念そうだった。本の貸し借りがしたかったんだろう。
用を済ませて書店を出る。冷たい風が吹き付けてきてわたしは首をすくめた。
わたし的にはもうこのまま帰りたかった。寒いし。
「ねえ、ゆかり」
花音がちょっとばかり真剣な声で言った。
「これから時間があれば、用事がなければでいいんですけど……」
いつも強引な花音にしては煮え切らない。ええいもったいつけてないではっきり言え。
「……私の家に寄っていきません?」
「今日?」
いきなり言われてもなあ。
「できれば。バタバタしないうちの方がいいですし」
わたしは首を傾げる。何かあるんだろうか。
「ああ、いえ。たいしたことじゃないの。年度末が近付くと人の出入りが多くて落ち着かないから。今日なら親もいないし、お客様も来ないはずだし」
「ふうん」とわたしはさほど興味もなくうなずく。
「それで、どう……です?」
中学時代があれだった影響――とはあんまり関係なしに、わたしは余所のお宅にお呼ばれするのが好きではない。あのアウェイ感。落ち着かない。
けれど、それ以上に花音への興味が勝った。この暴走百合特急は普段どんなふうに過ごしているんだろう。
「……行ってもいい」
「ゆかり! ありがとう!」
「でも、変なことしないでね?」
それはわたしなりの冗談のつもりだったんだけど、
「…………な、なるべく我慢するわ」
歯を食いしばって答える花音に、不安を覚えるわたしだった。
★ ★ ★
花音の家に行くためには、学校やわたしの家があるのとは違う路線を使う必要があった。
花音の家は駅から少し離れたところにあって、わたしたちはだだっ広い歩道をてくてく歩く。道路の両脇にはどでかいタワーマンションとか、何か小洒落たお店が並んでいて、うーん金持ちタウンって感じ。
吹き付ける寒風に首をすくめていると、花音がしつこくもマフラーをアピールしてくる。だから巻かないってば。
「こっちよ」
と花音がマンションの間にある小径に入る。わたしもついていく。少し進むとマンション群は嘘のように消え、大きな塀に囲まれた、広い庭付きの一軒家が建ち並ぶようになった。
「駅前は再開発のせいで殺風景になってしまったけれど、この辺りはまだ昔から住んでる人が多いのよ」
わたしは軽くうなずいた。
「知ってる」
というのも「おばあちゃんの家」――つまりママの実家がこの辺りにあったからだ。おばあちゃんが亡くなったときに処分されてしまったけれど、小さい頃は毎年帰省していたものだ。あの頃は歩いて行ける範囲にお店も何もなくて退屈だったなあ……なんて。
「何でもいいけど寒い。まだ遠いの?」
「もうちょっとよ。ついたら暖かい飲み物をご馳走するわ。リクエストはあるかしら?」
「何でもいい」
「私が淹れるなら何でもおいしい、と」
「そのポジティブさはちょっとうらやましいよ。皮肉じゃなく」
「なら悲観的に考えるのをやめればいいじゃない。幸せは必ずやってくるわ。あなたがそう望むのなら」
花音がどこかで聞いた言葉を言う。何だっけ? 百合漫画のどれかだと思うんだけど思い出せない。と、わたしは歩きながら横を見た。
公園がある。何の変哲も無い、小さな公園だ。何が引っかかったのか自分でもよく分からない。まあ、子供の頃にここで遊んだとか、その程度のことだろう。
「懐かしい?」
「ちょっとね」
花音の問いにそう答えて、わたしは「あれ?」と思った。
初めて来た場所だと思ってるなら、懐かしいかなんて聞かないよね。
わたし、おばあちゃんの家がこの辺にあったことまで花音に話したっけ?
「ねえ――」
訊ねようとしたけど、
「あれがわたしの家」
「でかっ!」
古い街並みにそびえ立つ万里の長城のような塀を見た瞬間、些細な疑問はどこかに飛んで行ってしまった。
塀の通用門をくぐってから建物の玄関に到着するまで、たっぷり五分はかかった。広い広いとにかく広い。母屋の他に離れが二つ。全部年季の入った和風建築だ。庭には当たり前のように築山と池が並んでいて、池には橋まで架かっていた。離れの向こうにとどめとばかりに見えるのが土塀の蔵。わお。
「……なんか、時代劇に出てきそうなお屋敷だね」
わたしはからかうような気持ちでそう言ったんだけど、
「実際、昔は武家屋敷だったそうよ。さすがに何もかも当時のままではないけれど」
花音はたまげたことを言う。
「古くさくてごめんなさいね」
何をおっしゃる花音さん。
駅前を金持ちタウンだと思ったのは間違いだった。これこそがお金持ちだ。上流階級やばい。
「お帰りなさい。花音さん」
親は不在と聞いていたのに玄関開けたら声がかかってわたしはちょっとびっくりした。
「家政婦の萩さんよ」と花音が紹介してくれる。
「あ、どうも」
わたしは人見知りを発揮して小声で挨拶する。
家政婦さんなんかいるのか。すげえ。
「花音さんの、お友達?」
家政婦さんの視線が、「ふーん、これが、へーえ」って感じにわたしに刺さって、居心地が悪い。ひしひしと感じるアウェイ感。だから余所のお宅って苦手。
「ええ。でも構わなくていいわ。私がやるから」
「分かりました。……大事なお友達ですものね」
意味深な言葉を残して家政婦さんが下がる。
古くて長い廊下を花音が先に立って歩く。
飴色を通り越して真っ黒の、百年は経っていそうな階段は不思議と軋み一つしなかった。この古さでこの状態の良さってすごいんじゃないだろうか。二階は外観に反して洋風で、一階よりはやや新しい雰囲気。それでもかなりの年季が入っていそうだった。
廊下の突き当たりに、なんかよく分からない小さい絵が掛けてある。
角部屋が花音の部屋だった。友達の(と言っていいのか何とも微妙な関係だけど)部屋に入るのは初めてで、わたしはちょっと緊張していた。
「さ、入って」
花音がドアを開ける。
「……花音の部屋なのに普通だ」
思わず感想を漏らすと、花音が不満そうな声を上げた。
「普通って何よ?」
「ベッドがあって勉強机があって本棚があってテレビがあってそれで全部ってこと」
「……そうじゃない部屋なんてあるの?」
花音にハンガーを渡され、とりあえずコートを脱いで掛ける。
本当に、「普通」だった。
花音のことだから本棚は百合小説で埋まっていて机には百合アニメのフィギュアが飾ってあって壁には百合映画のポスターが貼ってあってパステルカラーのゆりゆりふわふわ空間が広がってるかと思っていたのに、その手のグッズは何一つない。
普通すぎて逆におかしい……と思っていたら花音がクローゼットを開けた。
パステルカラーのゆりゆり空間だった。
ある意味安心した。これでこそ花音の部屋だ。
と、わたしはそこに妙なものを見つける。
デートの時にわたしが着た服だ。
もちろんそれだけなら別におかしなことじゃない。
この服はデートの時はわたしは借りていただけで、花音がお金を出して買った花音の服なのだ。持ち主のクローゼットにあって当然のものである。
おかしいのはその仕舞い方、というかあり方? だった。
デート着一式は畳まれてもいなければ吊されてもおらず、マネキンのようなものに着せられていた。
さらによく見るとそれはマネキンではなく、何かクッションのような素材でできた人型だった。
「花音、これ……」
「あら嫌だ見つかっちゃった」
花音は頬を染めた。
隠すつもりがあったようには全然見えないんだけどそれはさておき。
「帰ってきてからね、寂しくなったたら、これを……」
と花音はデート着マネキンもどきを抱えて、
「ぎゅーってするの。そうするとゆかりの匂いがするから安心するの」
「え、ちょっと待ってそれもしかして洗ってない!?」
「もちろん。そんなことをしたら匂いが消えちゃうじゃない」
「変態だーっ!」
わたしは叫んだ。
花音の部屋が普通? 全然普通じゃないよ。狂気だよサイコラブだよ。
いや部屋はまともだおかしいのは花音だ。なんてことはこの際どっちでもいい。部屋と部屋主をわけて考える必要があるだろうか? ない。
「やめてちょっとマジでやめて!」
悲鳴を上げてマネキンもどきを奪おうとするわたし。
ひらりと身を躱してベッドの上まで逃げる花音。
「嫌よ。そもそもゆかりになんの権利があって? これは私の服ですよ?」
「うぐぐ……」
正論を突きつけられてわたしは歯ぎしりする。
今からでも買い取る? いや無理だってブルーレイボックス並みのお値段だし。
悔しがるわたしを前に、花音は突然目を輝かせて、
「あ、今日は本物がいるんだからそっちにすればいいのよね」
なんて言うと、マネキンもどきを置いてわたしにじり寄ってきた。
「ちょっと待ったストップストップ! 変なことしないってさっき!」
逃げようとしたわたしは、焦って足を滑らせ尻餅をついてしまう。
花音が四つん這いで迫ってくる。
「ゆかり……」
舌なめずり。やばい。くんかくんかされる。
「やめよ、花音。健全でいよう?」
と、
「……うふふ。冗談よ」
突然花音はぱっと起き上がった。
「お菓子用意してくるから、何か読んで待ってて」
そう言い残して花音は部屋を出て行き、残されたわたしは、
「……だーっ!」
腹立ち紛れにマネキンもどきを殴った。
軽く暴れて落ち着きを取り戻すと、わたしはクローゼットの花音のコレクションに向かい合った。総量は大きめの本棚一つ分。小説と漫画が半々、やや小説が多い。アニメやゲームソフトは一つもない。
そういえば花音から百合ゲームの話題は出てこなかったな。わたしもあんまりやらないけど。
(少ないなあ)
わたしはこの三倍は持っている。収納の問題が無ければもっと増やしたいくらいだ。
花音の部屋は十畳くらいある。収納で困るはずはないし、お金で困る可能性はもっとない。普通に考えれば膨大なコレクションを持ってそうなのに、なんでこんなに少ないんだろ。
しかもクローゼットに入れてあるんじゃすぐに読めない。
大事にしまってるというより「隠している」――そんな印象を受けた。
戻ってきた花音に、わたしは疑問をぶつけてみた。
「……家が古ければ人も古い、ということ」
ちょっぴり辛そうに、花音は言った。
分からなくはない。世間には読んでいる本や、プレイしているゲームで相手の人格を判断する――というか決めつける人たちがいる。全世代にいること入るけれど、やはり上の世代に行くほどその割合は上がる。ましてや花音はわたしと違って「現実にも」女の子が好き、同性が恋愛対象なのだ。
「じゃあ花音って自分の趣味……じゃないか。性的嗜好のことは家族に言ってない?」
愚問だった。
「知ったらお父様は激怒するでしょうね」
深く考えずに聞いてしまったことを、わたしは少し後悔した。花音が置かれている状況は、わたしが思っていたよりずっとシリアスだった。
「ゆかりはそういうのないの?」
「わたしはないなあ。まあわざわざ他人に言いふらしたりはしないけど。親には隠してない。うちの場合はほら、ずっとアメリカにいたから。あっちだって偏見が全くないわけじゃないけど、カミングアウトしてる同性カップルも割といるわけで」
「まあ」と花音は目を輝かせ「私、ゆかりの家の子供になりたい」
「その場合どっちが姉?」
わたしの何気ない冗談にゆかりは頬を赤らめた。
「嫌だわゆかりったら、妻と妻に決まってるじゃない」
ちょっと隙を見せるとこいつはもう。
「何度も言ってるけどわたしの百合は二次元限定だからね!?」
わたしは苦笑した。
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