第3話 ゆりゆりカンバセーション
事件は昼休みに起きた。
うちは両親が共働きで、朝は娘のお弁当まで作っている時間がない。だからわたしの昼食はいつも、購買で総菜パンを買って済ませている。
今日も昼休みになるとわたしはすぐに購買に向かい、いくつかのパンを買った。
ぼっちであるところのわたしは長い休みに教室にいるのは若干辛いので、校庭のベンチだとか屋上だとか――我が校は屋上出入り自由だ。昔は禁止だったらしいけれど、洪水の際の非難を想定してだとかそんな理由で解禁になったらしい――で一人で食べる。けれど真冬のこの時期にお外でご飯はさすがに無理。そんなわけで仕方なく教室へと戻る。
さっさと食べ終わってその後は図書室にでもいこうそうしよう。なんてことを思いながら教室のドアを開けると、
「ゆかり!」
華やいだ声が出迎えたのでぎょっとした。まさか教室で話しかけられるとは。
驚いたのはわたしだけじゃない。教室にいたほぼ全員が、声の主――花音を見ていた。
「な、なに?」
「一緒にご飯、食べましょう?」
わたしはものすごく複雑な顔をした、のだと思う。花音は顔を不安に陰らせる。
「嫌?」
「……ではないけど」
わたしはそう答えてしまった。
たちまち花音は表情を輝かせ、わたしの前の席の男子に微笑みかけ、
「椅子、貸してくださるかしら?」
「は、ハイ喜んでーっ」
ブラック飲食のアルバイトみたいな返事をして男子生徒が立ち上がる。花音は優雅な仕草で椅子の向きを変え、座った。
わたしは半ば思考停止したような状態で自分の席に着き、花音と向かい合って座った。
花音が花柄の巾着を開いて弁当箱を取り出す。わたしは総菜パンと一緒に買ってきたパックのコーヒー牛乳を机の上に並べる。
「教室で誰かとご飯を食べるのって初めてだわ」
「わたしもだよ」
とわたしは答えたけれど、その意味するところは正反対であった。花音が誘われないのは近寄りがたい高嶺の花だからであり、わたしが誘われないのは存在感ゼロの陰キャぼっちだからである。
正反対の二人が向かい合って仲むつまじく――傍目にはそう見えるに違いない――お弁当を拡げているのはクラス始まって以来の事件であり、当然、奇異の視線が全周囲から突き刺さる。
わたしは居心地の悪さに今すぐにでも窓から飛び出したいくらいだったけれど、花音はまったく意に介してない様子で弁当箱の蓋を開け、「いただきます」なんてお行儀良くあいさつしている。箸の持ち方がすごく綺麗。前世紀に絶滅したはずの大和撫子をわたしは見た。
「食べないの?」
「あ、うん、食べる」
わたしはもそもそとたまごサンドのラップを剥がした。力加減を間違ってたまごが指についてしまう。
「あら」
花音がめざとくそれを見つけ、唇を軽く舐めた。
本能的に危険を感じたわたしは慌ててティッシュで拭き取った。花音がちょっと残念そうな顔をする。やっぱりか。こいつ、わたしの指を舐めようとか考えてたな。教室で何するつもりだ。
わたしが花音を睨み付けると、花音は「そんなことしないわよ」とでも言うように首を横に振り、
「それ、美味しそうね」
とごまかすように言った。
「あげない」
「私のおかずと交換しましょう? ね?」
花音はおかずをいくつか弁当箱の蓋に載せ、わたしの方に押してくる。卵焼き、ピーマンのベーコン巻き、カットされたカクテルトマト。冷食のフライドポテトが意外だった。お金持ちでもこういうものは使うんだ。だからって別に親近感は湧かなかったけど。
「……食べてくれなかったら泣くから」
新しい、そして恐ろしい脅しだった。
ゆかりはいつもパンばかりよね、とか、好きな食べ物はなに? とか。花音はあれこれ話しかけてきて、わたしはそのほとんどに生返事で返した。
クラスメイトと一緒の机でご飯という、自分の人生には絶対に存在しなかったはずのシチュエーションにわたしの脳はショート寸前であり、会話に割けるリソースなんか残っちゃいなかったのである。
後は周囲の視線がとにかく気になっていた。あれは何事だ。どうしてあの二人が一緒に食事を――。
別に悪意を向けられていたわけじゃないけど。視線を向けられる。ただそれだけのことが、わたしにとっては耐えがたい緊張とストレスなのである。日陰の生き物に強い光を当てちゃいけないんだよ!
まるで余裕のないわたしとは対照的に、花音は周囲の視線などものともしない。すげえ。これが注目されることに慣れきったお嬢様の力か。
「ごちそうさま。一緒に食べると美味しいわね」
きちんと両手を合わせながら、花音はそう言った。
わたしは味なんてまったく分からなかった。
「ねえ」とわたしが話しかけると、
「明日も一緒に食べましょうね」
花音はわたしの気持ちを先読みしたかのようにそう言った。
「わ、わたしはご飯は一人で食べたいかなって……」
「一緒に食べましょうね?」
笑顔の圧にわたしは負けた。
★ ★ ★
放課後になると花音は当たり前のようにわたしのところへやってきた。
「帰りましょ」
どうやら花音の中では毎日一緒に帰ることはすでに既定路線になっているらしい。
両手で鞄を持ち、笑顔でわたしを急かす花音の、いかにもはしゃいだ様子にクラスメイトたちが困惑する。どうにもこうにもキャラが違う。
「……今までは猫被ってたわけか」
駅へと向かう道すがら、わたしはぽつりと呟いた。話しかけたつもりはなかったんだけど、花音がわたしの言葉を聞き逃すはずもなく。
「そういうわけでは、ないのだけれど」
「じゃあなんなの」
「やりたいようにできることはやりたいようにしようと思って」
花音はよく分からないことを言う。
まあ、お嬢様にはお嬢様なりに苦労というかストレスというか、あるのだろう。……それをわたしにぶつけないで欲しいんだけど。
「大丈夫よ。秘密はちゃんと守るから」
わたしが不安そうな顔をしたからだろう、花音はそう言って微笑んだ。
「バレたら付き合う理由もなくなるものね」
「それももちろんあるのだけれど……」
花音はわたしを見つめる。
「……〝二人だけの秘密〟があるって、素敵じゃない?」
それについては分からないでもない。わたしがこよなく愛する二次元百合にも、秘密の共有から親密な関係に発展する物語がたくさんある。
「わたしは嫌々付き合ってるだけ。リアルでそういうことになるつもりは一切ないから」
「ツンデレ百合もいいわよねえ……あ、今日は本屋に行くでしょ?」
「人の話聞けよ……なんで知ってるの?」
今日の予定を話した覚えはない。どこで把握したんだこのストーカーまさか家を見張ってるんじゃ。
「ゆかりのことなら聞かなくても分かるわ。だって恋人ですもの」
「ちょ、」
わたしは慌てて辺りを見回す。よかった。立ち聞きされる距離に他の生徒はいない。
「心臓に悪いからそういうのやめて」
「うろたえるゆかりはかわいいわね」
鞄のカドでぶってやろうか。なんて。わたしもいつもとキャラが違う。ペースが狂わされている。
「で、なんでわたしの予定を知ってるの」
「だって今日は『ハマノススメ』の発売日じゃない」
★ ★ ★
『ハマノススメ』というのは、中高生の女の子五人組が浜、つまりシーサイドでキャッキャウフフする百合漫画だ。いわゆる日常系のくくりに入る作風で、色恋沙汰はほとんどないけど、かわいい絵柄と裏腹にリアルなアウトドア描写に非常にこだわりがあり、アニメ化されたときには日本中の浜にアニメファンが押し寄せたという(やや誇張)。
わたしもこの作品の大ファンであり、配信でも何度も取り上げて熱く語ったくらいだから、その発売日にわたしが本屋に行くのは聞くまでもなく分かることだった。
通学電車でそのまま街へと向かう。今日は学校が終わってすぐなので車内は強烈に込んでいた。すぐ側に他の生徒の肩や頭があって、ぶつかりそうになるたびわたしはビクビクする。混雑は嫌いだ。急いで本屋に行きたい日でもなければ、わたしはこの時間の電車には乗らない。
と、
花音が自然な動作でわたしと見知らぬ女子生徒の間に入ってくると、ポールをつかんで身体の向きを変えた。音楽堂で壁ドンされたときと似たような体勢――でもあのときのような圧迫感はなかった。花音は身を挺してわたしのためにスペースを確保してくれたのだ。
花音がわたしの方を見て微かに微笑む。
「……あ」
ありがとうと言うべきなのだろうけれど、わたしには言えなかった。ぼっちは他人の親切に慣れていなから、とっさの対応ができないのだ。
本日は雪による遅延もなく順調。
電車がわたしの自宅最寄りの駅で停車し、けれどわたしが降りるそぶりを見せなかったので花音は首を傾げた。
「街まで行く」とわたしは言った。
自宅から歩いて行ける距離に、わたしのアルバイト先の書店がある。ローカルチェーンの小さな書店だけど、品揃えはそう悪いものではない。本なんてどこで買っても中身は一緒なんだから、普通は近所の書店でぱっと買うものだ。
けれどわたしは、本を買うのに自分のアルバイト先は使わない。恥ずかしいから。
だってアルバイト先ってことはさ、店員みんな顔見知りなわけじゃない? そこで毎月狂ったように百合本ばっかり買って、「宮森さん、ほんと好きね」なんて言われたら耐えられない。次の日からバイトに行けなくなる。
だからわたしは自分のアルバイト先では百合本を買わない。買うときは街まで出るし、同じお店で続けて買うこともない。
「分かるわ、その感覚」
意外にも花音はそんなことを言った。
市の中心にある駅で電車を降りて、人で賑わう中心市街地――に背を向けて官公庁が建ち並ぶ方へと進む。周囲を歩いているのはスーツ姿の大人ばかり、高校生は全くいない。
知り合いに話を聞かれる心配もなくなり、わたしはアルバイト先で買わない理由――こんなところまで出向いた理由を説明した。話したくはなかったけれど、「耳たぶ甘噛みするわよ」と脅されたので仕方なく。
自意識過剰じゃないの? 誰もあなたのことなんか見てないわよ? みたいなことを言われると思っていた。よく考えたら花音がそんなことを言うはずもないのである。花音はストーカーもかくやの勢いでわたしのことばかり見ているんだから。
それはさておき。
「分かるの?」
訊ねると、花音は小さく、けれどはっきりとうなずいた。
「ゆかりは本当に百合が好きだってことでしょう。大切なものをからかいの種にされたくない。笑われたくない。私もそうだもの」
「……そういう話かなあ?」
単にわたしがコミュ障なだけの気がするんだけど。
官庁街の一角。オフィスビルに間借りしている書店がある。わたしたちはそこに入った。
立地条件を反映してお堅いビジネス書が大きなスペースを占めているのだけれど、この書店はどういうわけか百合漫画の品揃えも豊富なのだ。従業員に同好の士がいるのかも知れない。そこでわたしはお目当ての『ハマノススメ』と、同時発売の新刊を数冊購入した。
書店を出ると、花音があらぬ方向をじっと見た。
「なに?」
訊ねながら同じ方向を見る。若い男女が並んで、というかくっついて歩いていた。付き合い始めのカップルだろうか。特に珍しくも――「ん?」
違和感を覚えてよく見ると、カップルは一本のマフラーを二人で巻いているのだった。まるでお互いを縛り付けるみたいに。
うわあ恋人巻きだ、バカップルだ、とわたしは思ったのだけど、花音は目を潤ませてバカップルを見つめている。
「……もしかして、ああいうのにあこがれる系?」
「素敵じゃない。世界は二人だけのもの……」
わたしは自分も花音もマフラーを巻いていないことに心底感謝した。
「ところで、この後はどうするのかしら?」
わたしはとっとと帰りたかった。
だって手元に新刊があるんだよ? 読まずにいるなんて拷問だよ!
自分の部屋で膝を抱えて百合漫画を読むのは、わたしの唯一にして最大の趣味なのだ。
いつもだったら帰りはめっちゃ早足で、電車を待つのももどかしく、走り出したい気持ちを抑えて帰宅する。
けれど花音はそうじゃなかった。わたしと一緒の時間を一ミリ秒でも延ばしたいのだろう。
「用がなければどこかでお茶でもしていかない?」
「うぅ」
わたしは露骨に嫌そうな顔をした。早く帰って漫画を読みたかったし、コーヒーごときに何百円も払いたくなかったし(そんなお金があればもう一冊百合本を買う)、脅迫者とお茶して楽しいとも思えなかったし。
「……断ったら脅すか泣くかするんでしょ」
お昼のことを思い出してわたしはそう言った。
「いいえ。『あんなに愛し合ったのにどうして私のことを捨てるの!?』と叫ぶだけ」
余計たちが悪いわ!
★ ★ ★
とにかく人目につきたくなかったので、大通りを避けて、ビルの裏手にひっそりと構えている喫茶店に入った。
店内には仕事帰りにはちょっと早い、かといってサボってる風でもないサラリーマンが数人。何語かも分からないゆるーい音楽が、会話の邪魔をしないボリュームで流れている。
失敗した、とわたしは思った。スマホで適当に検索して見つけた店は、女子高生の二人組には明らかに場違いな大人っぽい雰囲気だった。
入り口で気後れしてしまったわたしとは対照的に、花音は堂々と、まるで毎日通ってる常連みたいな顔で店内に進み、窓際の二人がけの席に座った。
「こういうところ慣れてるの?」
わたしはコートを脱ぎながら小声で訊ねる。
「慣れてないの?」
コーヒーの値段にカンマが付いてるような店に慣れてる女子高生がいてたまるか。
わたしは一番安いコーヒーを頼み、花音はケーキのセットを頼んだ。
ちら、と自分の荷物を見る。
「すぐ読みたいならここで読んでいけば?」
それは名案ではあった。けれど、同行者をほっぽり出して一人漫画を読みふけるのはいかがなものか。いくらわたしがぼっちでもその程度の社会常識はある。
「私のことなら気にしなくていいわよ。漫画を読む花音を眺めているから。うふふ」
今にもよだれを垂らしそうな笑みだった。
「……帰ってからゆっくり読む」
「残念」
注文のコーヒーとケーキが届いて、ふわりと暖かい香りが立ち上る。
「あら、おいし」
ケーキを一口食べるなり、花音は頬に手を当てて微笑んだ。芝居がかった仕草だけれど、美少女がやるとさまになるからずるい。
わたしはコーヒーをお行儀悪く啜った。コンビニのコーヒーと何が違うのかさっぱり分からなかった。お値段十倍もするくせに。けれどまあ、分かる人には分かるんだろう。花音は「うんうん、これこれ」みたいな顔してうなずいている。と、
「ゆかり」
いきなり花音がフォークに乗せたケーキを突き出してきた。
「あーん」
「え、ちょ、さすがにそれは恥ずかしいって」
「……ダメ?」
「ダメ」
「じゃあ、ゆかりがわたしに食べさせて」
「それ同じことだからね!?」
突っ込むわたし。場違いに大きな声に自分で焦って周囲を見回す。店員がこちらを見ていたのですみませんと頭を下げて小さくなる。ああもうやだ、このお店二度と来られない。また来る気もなかったけど。
「そうだわ。あれ、見終わったわ。『ガルタン』」
「何急に」
「ゆかりが配信でお勧めしてたじゃない。だから見てみたの」
「ああ」
言われて思い出す。ガルタンこと『ガールズ・アンド・タンク』は、戦車部のうら若き乙女たちが戦車に乗り込み、他校の戦車部と戦うスポ根部活アニメである。知らない人には何言ってんだこいつ? と言われる説明だけど事実なんだからしょうがない。
「どうだった?」
「正直に言って、最初はまったく意味が分からなかったわ。戦車なんてまったく興味がなかったし。戦車で部活? なんでこの子たち日本人なのに外国人みたいな名前と学校なの? って。でも見ているうちに何となく分かってきて、最後のお姉さんとの対決ではもう、本当に手に汗を握ってしまうくらい。私、アニメはあまり見ないのだけど、なかなか新鮮で面白かったわ」
「よかった」
自分の好きな作品を人に勧めて、気に入ってもらえると嬉しい。相手がストーカーまがいの脅迫者でもそこは変わらない。
「でも百合かと言われたら違う気がするわ」
「いや百合でしょ」
わたし的には女の子たちがわいわいしてればそれは百合だ。
「ゆかりはああいうのが好きなのね。女の子同士が友情を育んで、力を合わせて何かを成し遂げるお話が。他のお勧めもそんな感じのものが多かったし。『帝国野球娘』とか。『ハマノススメ』も傾向としてはこっちよね」
「かもね。花音はどんなのが好きなの?」
聞き返す。花音は待ってましたとばかりに意気込んで、
「私はもちろん恋愛だわ。最近はやっぱり『いず君』ね。それと『あたしとしまばら』、それから……」
続けざまに複数のタイトルが挙がる。中には私の知らない作品もあった。花音はリアルで女の子が好きなだけでなく、二次百合にも造詣が深かった。考えようによってはわたしよりも純度が高い百合だ。
「花音はこじらせてるのが好みか」
「こじらせているとは何よ。恋に真剣に悩んでいると言ってくれない?」
「いやまあ当人たちは真剣なんだろうけど、読者目線的にはこじらせてるとしか言い様がないし」
花音はムッとした顔をした。
「そんなこと言うならゆかり、あなたの好きな作品って爽やかすぎて嘘臭いわよ。女同士であんなニコニコキラキラした関係、ないでしょう」
「フィクションと現実を混同するのは感心しませんなあ」
「してません。リアリティの度合いの話をしているのです」
「そもそもリアリティって必要? むしろない方がいいわ。現実を思い出させる要素なんて」
「とはいえ一から十まで夢物語ではかえってつまらなくありません?」
「あ、それは分かる。都合良すぎても白けちゃうよね。ちょっと古い小説なんだけど……」
と、わたしがある作品の批判的な意見を言うと、
「そうそう。私もあの展開はないと思いましたわ」
花音もすぐに同意を示す。
そこから古い作品の話で盛り上がった。
同じ百合趣味と言ってもわたしの花音の好みの傾向はだいぶ違って、花音は恋愛至上主義、わたしは女の子が仲良く楽しくしてる日常系が好き。花音は漫画も読むけど主に小説で、わたしは小説はあまり読まずにアニメと漫画がメイン。お互い見ているポイントが違うせいか、けっこう、いやかなり意見が食い違う。
けれどその意見の違いが、言い合いが、嫌ではなかった。刺激的だった。
たまに意見の一致があると「きゃー」って盛り上がって。
一杯千円のコーヒーなんてあっという間になくなって。騒いだせいで店員の視線を感じて。わたしたちは逃げるように喫茶店を出た。
「やばい。もうこんな時間」
話し込みすぎた。二時間ぐらいは喫茶店にいたんじゃないだろうか。
お空はもう真っ暗だった。わたしたちは帰り道を急ぐ。
「……ごめんなさい。私のせいで遅くなってしまって」
駅についたところで、花音はそう言った。
「いや、別に強制的に付き合わされたわけじゃないし。嫌だったら嫌って言ってたし」
でもどうしてこんなに長時間、とわたしは不思議に思った。
百合トーク自体は配信で毎週やってる(たまに休むけど)。けれど二時間も配信を続けたことはない。精々数十分だ。
花音と話すのが時間を忘れるほど楽しかった?
いやいやいやいやいやそれはない。
まあ確かに? つまらなくは? なかったけれど?
断じて違う。花音はわたしを脅迫しているのだ。共感して心を開くとかストックホルム症候群じゃないんだから。
考えて、気がつく楽しかったのは「会話」だ。
配信は、見てる人のチャットを拾ったりはするけど、基本的にはわたしが一方的にしゃべるものだ。それに配信では不特定多数が見ていることを意識して、言い方にも気を配っている。例えば作品の批判はしない。見に来た人が不快な思いをしないように、あれこれセーブしてる。
でも今日の花音との「会話」は、二人だけで、他人にどう思われるかなんて気にしない、本音のやりとりだった。
好きなものについて遠慮もなにもなしに、全力で語り合う。
それは、好きなものに没頭するのに勝るとも劣らないほど、楽しいことだった。
改札を抜けてホームに向かおうとすると、なぜか花音がついてきた。
「花音はこっちじゃないでしょ」
わたしの家は学校の沿線だけど、花音の家は別の路線にある、市内でも有名な高級住宅街にある。
「ギリギリまで一緒にいたいの」
さようで。
時計を見るとわたしの帰りの電車が出発するまで三分もなかった。わたし的には待たなくてすんでうれしいけど、花音にとっては残念なタイミングだろう。一本遅らせようか? ふと、そんなことを思ってしまい、ブンブン首を振る。
「どうしたの?」
「どうもしない」
ホームに降りる。ちょうど電車が入ってくる。わたしはそのまま電車に乗った。
「また、話しましょうね」
ホームに残った花音が名残惜しそうにそう言った。
「……人に聞かれない場所でなら」
わたしがそう答えると嬉しそうに目を細める。
「もちろんよ。〝二人だけの秘密〟ですもの。……おやすみなさい」
発車を告げるメロディが響く。
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