第2話 グリーン車

 締めの言葉が見つからなかった。

 ジマングは書きかけの文章を保存すると、ノートパソコンを閉じた。あと少しといったところで、気に入るフレーズが思いつかない。言葉を打ち込んでは消し、また別の言葉を打ち込むことを繰り返していた。

 楽曲を作るのは苦心するものだが、文章を書くのも同じだった。経験が少ないぶん、こちらの方が難しいかもしれない。

 身体を伸ばし、首を回す。齢を重ねると身体にガタがくるというが、そう感じたことはなかった。精神的に老け込まなければ、身体も老いないのだと思う。

 新幹線は、大阪を過ぎていた。まだ半分の距離は残っているが、それでもあと二時間といったところだ。

「エイジ君、ちょっといいかい?」

 右隣の座席に腰掛けている、川村かわむら栄治えいじに話しかけた。ジマングの個人事務所で、マネージメント業務を担当している男だ。

「はい、なんですか」

 文庫本を読んでいた川村が、本にしおりをはさみながら答えた。茶色というよりは金色に近い無造作ヘア、縁の太い眼鏡という組み合わせは紺のスーツには似合っているとは言いがたいが、軽薄な印象もなかった。もっとカジュアルな装いでも構わないとジマングは思っていたが、川村自身はスーツの方が気に入ってるようだった。

「突然だか、きみは人を殺したいと思ったこと、あるか?」

「そりゃ、まあ。確かに突然ですね」

「ほう、あるのか」

「誰だって生きてりゃ、殺したいやつのひとりや二人、いるんじゃないですかね」

「俺もそう思うよ。で、誰だ?」

「誰って」

「いるんだろ。それは、学生時代に出会い愛を語らい散々尽くしてきたのにある日三行と半行の置き手紙ラブレターを残しきみの元から忽然と姿を消した女か? 小さい頃からその成長を見守り続けてきた我が子にも等しいアイドル歌手S O N I Aに枕営業をさせようとするレコード会社の事業部長ヒヒジジイか? それとも、四六時中朝から晩まで無理難題無茶振りを並べたてつまらない質問を繰り返す御年五十三のシンガーソングライターか?」

「ずいぶんと私怨に満ちた、具体的な問いですね。一応、最後のやつだけは、敢えて問われなくても否定しておきますよ。あと、三行と半行じゃなくて、二行と半行です」

 ジマングは苦笑した。こいつも言うようになったな、と思いながらも頭を振る。

「いや、違うな。こんなことを訊きたかったんじゃないな。話を戻そう」

「はい」

「そんなふうに殺したいやつがいるエイジ君だが、仮に人を殺さねばならないとなった時、それを誰かに頼むってことは、ありえると思うかい?」

「誰か?それは殺し屋とか刺客とか鉄砲玉ヒットマンとか、そういうたぐいですかね」

「では、コロシヤだとしようか。そのコロシヤに依頼すれば、まあそれなりの金はかかるだろうが、きっちり殺してくれる。プロだから秘密は厳守する」

「殺人を依頼するような罪があった気がするし、今の世の中にそれがいるのかはわかりませんが、頼むかもしれませんね」

「それって、なぜだろうね?」

「えっ」

「その方が楽かもしれないが、俺はそういう状況になったら、自分自身の手でぶち殺してやらないと気がすまないかと思うんだよ」

「それは」

 川村が、考えるような表情を浮かべた。この問いの答えは、持ち合わせていなかったようだった。

「結局のところ、俺が訊きたいのはそれなのかな」

 なにを訊きたかったのか、自分でもわかってはいなかったという気がする。ただ漠然と、川村に訊いてみたいと思った。

「ジマさんの意見ももっともだと思いますが、必ずしも自分が息の根を止める必要はない。というより、自分だと殺せない場合ですかね」

「ほう」

「漫画とか映画とかだと、すごい警備の厳重なところにいるのがターゲットだったり、ターゲット自身がとんでもなく強いとか、そういうのをよく見かける気がします」

「まあ確かに、明日をも知れぬ身の老いぼれの始末を頼むとか、どうかと思うな。そういう作品もあるんだろうが、おまえが自分でやれ、ちょっとこづくだけでいけるだろって、コロシヤに怒られそうだ」

 川村が低い声で笑った。

「とすると、殺しを頼む人は誰かを頼りたい、という思いからなんだろうか」

「どうしようもない時って、誰かを頼りたくなりますからね。そして、自分を助けてくれる人がいるなら」

「正義のみかたか、それは」

「どちらかと言うと、悪魔に魂を売る、って感じですかね」

「悪魔か」

 ジマングが笑みを浮かべながら言った。

「人を殺したいと思っても、ほんとうに殺してしまうのは、心の中のなにかが毀れてしまっているからでしょう。それは誰かに頼むのも、自分でやるのも変わらない。悪魔に魅入られたって感じがしますね」

「悪魔に魅入られるか。それは詩的でいいな」

 川村が肩をすくめた。川村は学生時代、バンドを組んでいた。もう音楽はやめたと言っていたが、その時の仲間とは今でもつながりがあるらしい。

「すまなかったな。エイジ君の意見を訊きたいと思ったのだが、とりとめのない話をしてしまった」

 川村とこんなふうな話をするのは、初めてではなかった。納得のいく答えをもらえたこともあったが、どうでもいい話に終始したこともめずらしくなかった。

「いえ、偉大なミュージシャンがなにを考えているのか、なにを疑問に思っているのか。それを特等席で訊ける、貴重な経験でしたよ」

 本心なのか世辞なのかはわからなかったが、悪い気はしなかった。

「おう、グリーン車の座席はいいもんだろ」

 川村が声をあげて笑った。どこか少年のような、幼い笑顔だった。

「新幹線を使うのは珍しくありませんが、この距離で使うのは初めてじゃないですかね。本州から出るなら、だいたい飛行機だ」

「そういう気分だった、としか言えないな。最近は飛行機の方が早くて安い。それに福岡は、空港から中心街まで近いしな」

「気分でグリーン車の座席を買い占めちゃうんだからなぁ。横浜から福岡まで、一車両分。えらいことですよ。経理には、ジマさんから言っておいてくださいよ」

 新幹線から風景を見ながら、静かな環境で文章を書きたかった。それだけだった、という気がする。席を買い占める必要はなかったかもしれないが、そういう気分だったのだ。

「その分は、きちんと稼ぐさ。チケットは売れてるんだろ?」

「三日分とも、売り切れてますよ。九州ではライブの機会が少なかったので売り上げが読めないところはありましたが、十分です。ハイオクドームで売り切るミュージシャンは、そういません」

「今度の会場だな。俺が九州に住んでた頃は、めんたいドーム、って名前だった気がするな」

「時代の流れですかね、ネーミングライツってのは。ころころ名前が変わるのは、あまり好きじゃありません」

 名前が変わっても、本質は変わらない。名前はただ、名前でしかない。

「九州を出て、もう三十年になるか」

「僕と同じか、もう少し若い頃って話でしたね」

「長い旅だったさ」

 川村は、今年で二十八歳だと言っていた。自分が二十八歳の頃は、ミュージシャンとしてかけだしだった。いや、かけだしとも言えなかったのだ。川村もまだ、夢を追いかけていい歳なのかもしれない。

 ジマングは飲みかけの缶コーヒーを飲み干すと、ノートパソコンを開いた。

 なんとなく、今ならいい文章を書けると思った。福岡に着くまでには、完成させたい。

 川村は、また文庫本を手に取ったようだった。

 ジマングがキーを叩く音だけが、新幹線の中に響いていた。

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