推しの正体
『それじゃまたね~! おつサヤ~!』
サヤ姫が両手を振りながら恒例の挨拶をすると、エンディング用の画面に切り変わった。
俺は背もたれに寄りかかってPCのモニターから目を離し、天井を仰いで感嘆の息を漏らす。
「いやぁ、今日のサヤ姫も可愛くて面白かったなぁ」
PCを終了する為にブラウザを閉じたところ、推しの壁紙が映し出される。
緑を基調とした和服を身に纏い、優雅な雰囲気を漂わせる美少女。けれど、その頭部からは鹿に似た角が生えており、ただの人ではないことを示している。
彼女の名前は、九頭竜サヤ。二次元のアバターで配信を行うVTuberだ。企業には所属していないので、いわゆる個人勢となる。
その名字に含まれた竜をイメージしたデザインだが、高貴な姫を感じさせる姿からファンの多くはサヤ姫と呼んでいた。
彼女の魅力は何と言っても、その距離感の近さだろう。基本的に雑談配信が多いのだが、一方的に話すのではなく、常に双方向なやり取りを望んでくれて、目の前で話しているとすら感じられる。
本当か嘘か分からない不思議な話を聞かせてくれて、いつも俺たちファンを楽しませてくれる。
それにとても頭が良いようで、スパチャ読みの際にはひとり一人の名前をしっかり覚えているし、前のスパチャでこちらが書いたことも忘れていないことが分かる。金額で決して優劣を付けないところも良い。
その言動はとにかく思いやりに満ちていると思う。だから、サヤ姫のファンは誰もが彼女の人柄を好きになっているのだ。
配信を初めてすぐの頃はリスナーとの会話が噛み合わないことも多く、外国人なんじゃないか、と噂されていたが、今となってはどうでも良いことだろう。
「さて、と」
スマホでSNSを開く。まずは今日の配信の感想を投稿するのだ。
俺は自分の名前を平仮名にした「よしや」というアカウント名でやっている。YouTubeも同じ名前だ。こうしておくことでサヤ姫が認知してくれるかもしれない、なんて淡い期待を抱いている。
実は、サヤ姫からDMが届いて何かを頼まれる、という都市伝説じみた噂がまことしやかに囁かれたりもしているのだ。確かな証拠が出たことは一度もないので、所詮は噂に過ぎないのだが。
「……あれ?」
同志たちの投稿をチェックしていたところ、俺も何度かやり取りをしたことがある有名なファンがこの数日何も投稿していないことに気づいた。いつもならいち早く配信の感想を述べていたはずなのに。
現実で何かがあったのかもしれない。まあ、SNSの世界では良くあることだ。
俺はさほど気にしないまま、巡回作業に戻った。
ある日、俺のアカウントに一通のDMが届いていた。あまり来ることはないので珍しい。
何の気なしにDMの場所を開くと、九頭竜サヤと書かれたアカウントからメッセージが届いていた。指先を震わせながら中身を開く。
『よしや君、いつも応援ありがとう! あなたが私への想いをたくさん言葉にしてくれているところ、ちゃんと見てるよ。私、あなたと会ってみたいと思ってるんだけど、どうかな? もしその気があれば返事をください、待ってます! あと、この話は絶対に内緒にしてね!』
念の為に確認してみると、間違いなく彼女が公式で使用しているアカウントから来ていた。
あの噂は都市伝説じゃなかったのか。もしかすると会って何かを頼まれるかもしれない。
俺は悩みに悩んだ。VTuberは仮想の存在だ。その裏に魂と呼ばれる現実の人がいると頭で理解していても、直接会うのは違うんじゃないか。何か幻想のようなものが崩れ落ちてしまうんじゃないか。そんな不安があった。
けれど、と思う。サヤ姫のVTuberとしての見た目が好きなのはある。だが、それ以上に俺は彼女の中身が好きなのだ。もし現実の彼女がどんな姿をしていようとも、俺の愛が移ろうことはない。
そんな結論に至った俺は、サヤ姫に了承の返事をした。すると、彼女が住んでいると思しき場所の情報が送られてきて、ここに来て欲しいと言われた。
今すぐでも構わないと書いてあったので、これから向かうことにする。身なりだけは可能な範囲でしっかり整えておいた。
やがて、電車に乗って辿り着いたのは、都心にある俺には縁のなさそうな高級マンションだった。警備員が厳しい目で見ており、監視カメラもあちらこちらにあるようで、セキュリティがしっかりしていることが分かる。
エントランスに入り、サヤ姫に教えてもらった部屋番号を入力すると、少しの間を空けてガラスのドアが開かれた。エレベーターに乗り込み、上層階に上がっていく。
そうして、彼女の部屋の前まで来た俺は、意を決して扉を開ける。これも事前に彼女に言われた通り、鍵は掛かっていなかった。
「っ……」
中に入った瞬間、俺は異質な空気を感じた。上手く形容しがたいが、まるで異空間に入り込んでしまったように思えた。
床には何やらぬるぬるとした粘液のようなものが伸びており、てらてらとつやめいて見える。明らかに普通の家じゃない。
引き返すべきだろうか、と思ったところでメッセージが届く。
『廊下を真っすぐ歩いてきて。その先のリビングにいるから』
ここまで来た以上、サヤ姫に会いたいと思った俺は、恐る恐る廊下を進んでいき、リビングに通じているらしい扉に手を掛けた。
そこは、何の家具も置かれていないリビングだった。床に配信用と思しきPCが設置されている。
そして、その前に佇んでいるのは、どろどろとした赤黒い肉塊のような、おぞましい姿の何かだった。
「ひっ、か、怪物っ!?」
俺は恐怖に囚われ、すぐさま逃げようとするが、肉塊から触手のように伸びたもので足が掴まれ、引き倒された。
殺される。そう思って頭の中が真っ白になったが、その肉塊は目の前に来るだけで、それ以上は何もしてこなかった。
「────」
それは不気味な音を奏でた。まったく理解はできなかったが、何か言葉を発しているように思えた。
少し冷静になった俺は、その様子から一つの考えに至る。
「君がサヤ姫、なのか……?」
すると、肉塊はコクリと頷いたように見えた。
サヤ姫は外国人どころか人間ですらなかった……?
衝撃の事実に頭が混乱する。それは、到底受け入れられるものじゃなかった。
「だ、誰か、助けてっ……!」
目の前の存在に本能が怯えていた。それは捕食者であり、人を喰らうものだと感覚が伝えていた。
これ以上、この場にいることにとても耐えられない。俺は全力で逃げ出そうとする。
けれど、肉塊に捕まれた俺の足は離されることはなく、そして。
「────」
それが丸呑みするように覆いかぶさってきながら発した音は、どこか寂しそうな声に聞こえた。
そこでようやく理解する。サヤ姫は俺に受け入れられることを望んでいたのかもしれない、と。
俺の意識が最後に感じ取ったのは、世界全てを満たすような途方もない激痛だった。
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