世界樹の煙草
天を衝くように遥か上空まで伸びた、一本の巨大な樹があった。
どこにいても視認できることで道標にもなる、世界の中心にそびえ立つ樹。
肥沃な大地に太い根を張り巡らせており、どんな嵐が来てもビクともしない。
その名を、世界樹と言った。
世界樹の幹や枝にはあちらこちらに大きな空洞部がある。成長するにつれて自然と生じていくようだ。
古来は各地に散らばっていた人類だが、いつからかその空洞部に住んで生活を営むようになった。それぞれ多くの住居が並んだ集落と化しており、別の場所へと行き来できるように階段や梯子も設置されている。
人類の文明は世界樹と切っても切り離せない関係となっている。住居であると共にもう一つ、世界樹が人々に与えてくれる恩恵があった。
一つの集落の様子を窺うと、恍惚の表情を浮かべる人がいた。口元に煙草を咥えて紫煙をくゆらせている。彼以外にもちらほらと同様の行いに耽る姿が見られた。
それは世界樹から採れた葉で作られたものだ。基本は紙巻きだが、高級品として葉巻も存在している。
人類が世界樹のもとで過ごすようになった原因は、紛れもなくその煙草にあった。
それを定期的に吸っていると、不思議と食事や水を摂取する必要はなく、また老いることもないのだから。
食料の為の狩猟や農耕を行う必要はなくなった今の人類が毎日行うことと言えば、世界樹を外敵から守ることだ。
自然界には人間より一回りも二回りも大きな鳥獣が存在している。それらなら巨大かつ頑強な世界樹を傷つけることは決して不可能ではない。
その為、外敵が寄ってこないように工夫し、時には迎撃することこそが人類の仕事であり役割だった。世界樹さえ守ることができたなら、彼らは生きていけるのだ。
そうして、人類が世界樹と共に過ごすようになってから長い月日の経過した、ある日のこと。
突然、青く広がっていた空を巨大な黒い影が覆った。その輪郭は人の頭部に見え、何かが覗き込んでいるようだった。
自分たちの何万倍と言えるその大きさに、人々はただ呆然と見上げることしかできなかった。
影は僅かに身を揺らしたかと思えば、そこからニュッと何かが伸びてきた。ざらついた質感の巨壁が二つ現れ、激しい風を巻き起こしながら、世界樹の幹を挟み込むようにする。
それは、指だ。あまりにも大きな、けれども紛れもなく人の指だった。
世界樹を摘まむようにすると、いとも容易くへし折った。そのまま空中へと持ち上がっていき、空洞部に住んでいた人々はワーワーと悲鳴を上げながらボトボトと落ちていく。ふもとは瞬く間に地獄絵図と化した。
巨大な影はそんなことは気にも留めず、世界樹を摘まんだまま頭上に腕を伸ばしていた。天の中心で煌めく太陽を利用し、青々と葉が茂った樹冠に火をつける。
それから根元の部分を顔の方に近づけていくと、勢いよく吸い込んだようで、火がボウと激しく燃え盛り、徐々に短くなっていく。
やがて、世界樹そのものを煙草として吸い終えた影は、いつの間にやら姿を消していた。
後に残されたのは、折られて根本だけになった無残な姿の世界樹と、周辺に散らばる夥しい数の人の屍。
僅かながら生き延びた人類はいたものの、世界樹の煙草に依存していた彼らの体は、もはや以前のように水や食事を受け付けるようにはできていなかった。
人類が絶滅したのは、それから間もなくのことだった。
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