マグマ卵
遠方の地へと旅行にやって来ていた僕は、宿泊している町の一角で不思議な看板を目にした。
『マグマ卵、入荷しています! 古来より人々を飢餓から救ってきた伝説の卵、ぜひご賞味あれ!』
どうやらそれは居酒屋のようだった。店内はそれなりに賑わっている様子だ。
「マグマ卵……? 聞いたことのない名前だな」
気になった僕は入ってみることにする。ちょうど夕飯にしようかと思っていた頃だった。
店員に席へと案内され、早速訊いてみる。
「表に書いてあったマグマ卵とは何ですか?」
「温泉で適度な熱を通した卵を温泉卵と言いますよね。それと同じように、マグマで熱を通した卵をそう呼ぶんですよ」
「えっ、でもマグマの超高熱では卵が溶け落ちるだけでは」
「もちろんその通りなのですが、特別な卵であれば話は別となります。この大陸には現在も活動中の有名な火山があるのはご存じですか?」
店員の問いかけに僕は頷いた。
「ええ、まあ。実は危険とは知りつつもそれを観光に来た口でして」
「そうだったんですね。では、このことは知っていますか? そこには火山鳥と呼ばれる鳥が生息しています。火口の内部に巣を作って、地下深くのマグマから立ち昇ってくる熱で卵を孵化させる変わった鳥なんですよ」
「へぇ、それは初めて知りました。つまり、マグマ卵とはその火山鳥の……?」
「はい。マグマ卵とは、火山鳥の卵にマグマの熱を通したものとなっております。火山鳥はそのような生態なので、自身もその卵も並外れて熱に強いようです。ただ、流石に直接マグマに触れても耐え得るのは卵の殻だけとのことですが。ごく最近、マグマ卵を人工的に作る為の設備が完成したのです。といっても、火口から火山鳥の卵をマグマへと投下し、それを回収する程度の物ですが」
そこまで話を聞くと、マグマ卵なる物に納得がいった。ごく最近、ということはこれから観光資源としていくつもりなのだろう。僕がこの地に来る前に軽く調べた程度では知らなかったのも無理はない。
「なるほど……ちなみに看板に書いてあった、古来より人々を飢餓から救ってきた、とは何の話なのでしょうか?」
「大昔、巣からマグマへと転がり落ちたであろう火山鳥の卵が噴火によって彼方へと飛んでいき、それを偶然発見した村の人々を飢餓から救ったという話が各地の伝承に残っているんです。実際、火山鳥の卵は一つ一つが見上げる程に大きくて、一般的な食べ物と比べると栄養価も非常に高く、随分と腐りにくくて日持ちもするので、小さな村ならしばらく食い繋げたと思います」
「それはとても興味深い話ですね……では、そのマグマ卵を一つお願いします。あとは──」
僕は酒や気になった料理を注文していく。
「かしこまりました」
しばらくして、店員はマグマ卵を持ってきてくれた。
白銀に艶めく板状の物体の上に金色に煌めく球形の物体が重ねられており、それは小皿の中心にちょこんと盛られているだけだった。
まるで宝石だ。恐らくは白身の上に黄身を載せているのだろう。元が巨大な卵だと言っていたので、見栄えが良いようにこうして成形しているのだと思われる。
それを見た僕は思わず本音を口にする。
「小さいですね……」
「皆様そうおっしゃいます。ただ先程もお伝えした通り、マグマ卵は栄養価が非常に高いので、この程度の量にしておかないと、恐ろしいことになりますよ」
それを聞いて得心する。確かに栄養も摂り過ぎは毒となってしまう。
「何か付けたりするものですか?」
「いえ、そのまま食べるのが一番ですよ。マグマ卵に負けない調味料となると、それこそ特別な物が必要となってしまいます。それだけの濃厚で複雑な味わいがありますので」
「……分かりました」
確認も済んだところで、いよいよマグマ卵を食すことにする。このサイズなら一口でいくしかなさそうだ。分割して食べたことで味気なく感じる結果に終わっても困る。
箸で触れると、ぷるんと震えたが弾性があるだけで崩れることはなく、白銀の土台から摘まみ上げることが出来た。そのまま口へと運び、咀嚼する。
瞬間、口内が爆ぜたかと錯覚するような味の奔流が起きた。身を蕩かせるような甘味と透き通るような塩味、そしてそこに奥行きを持たせるような旨味が合わさって、何度もその味の色合いを変えながら波濤の如く押し寄せてくる。
それはまさに、生命そのものを感じさせる味。身を灼き尽くすような熱量で極上の味わいを体感させられていた。
「お、おぉ……」
しばらくの間、僕は言葉を発することも出来ずに呆然とする他なかった。
身体がポカポカしているのを感じる。全身の細胞が躍動しているような感覚だった。
それは徐々に引いていき、店員が別の料理を持ってきたところで、ようやく息を吐くことが出来た。
「初めて食べたお客様はみんなそんな風になるんですよ」
「これは、何と言うか、凄いですね……」
上手く言葉が思いつかなかった。形容が非常に難しい。
以後も様々な料理と酒を堪能したが、マグマ卵の筆舌し難い味わいの後ではどうにも物足りなく感じてしまった。その渇望を無理やり満たす為に食している気分だった。
「また来ます」
「ぜひともお待ちしております」
店を出る際にはそんな風に言った。自分の住んでいる場所からは別の大陸で随分と遠い為、そう気楽に来ることは出来ないが、それでもこの味を忘れることは出来ないだろうと思った。
しかし、僕がマグマ卵を口に出来たのは結局この一回だけだった。
後年、再び来訪した僕が話を聞いたところ、火山鳥は瞬く間に絶滅してしまったらしい。その原因は無論、卵の乱獲に他ならない。
どうやら火山鳥は繁殖能力が決して高くはなかったようだ。それもあって、他の地方では発見されていなかったのだろう。にもかかわらず、マグマ卵を作る設備を完成させてしまった結果、あっけなく絶滅してしまった、というわけだ。
残念でならない。僕の頭の中には今でもマグマ卵を食した時の衝撃が残ったままだ。その残り香を追うようにして毎日を生きている。
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