奇妙な古書店

 私は読書が趣味で、古書店巡りをするのが好きだ。

 その為、定期的に神保町を訪れては練り歩いており、それ以外にもネットで近場の古書店を検索しては現地へ赴いたりしている。

 しかしある時、家から最寄り駅の目立たない路地に古書店があることに気が付いた。


 その店は不思議と幻想的な雰囲気を漂わせている。

 私は軽く店の中を覗き込んでみた。奥には店主らしき人物が座っている。

 まったく印象に残らない顔や見た目だ。一度視線を切れば、それだけで思い出せなくなりそうに思う。

 小さな店内の四方を埋める本棚にはまるで本が陳列されていない。ほんの数冊しか置かれていなかった。

 まだ出来たばかりだからか、それとももう閉める予定だからか。

 何にせよ、これでは見ても仕方がないと私は中に入ることはなかった。


 後日、もう一度訪れてみた。ネットで調べても出て来ず、詳細が分からないので気になったのだ。

 相変わらず本が全然ない。けれど、前よりは少し増えているように思えた。

 店主は、前に見た時から微動だにしていないのでは、と感じさせるくらいに変わりなかった。


 更に後日、私が訪れてみると、また少しだけ本が増えているように思えた。

 店主は相変わらず奥で悠然と佇んでいた。

 少しずつだが本が増えていっているということは、新しく出来た古書店なのだと考えられる。

 それにしても、そんな緩やかな調子で本を入荷し、客が来ている様子もないのに、店をやっていけるのだろうか。道楽なら可能かも知れないが、流石に限度があるだろう。


 ただ、そのようにおかしな古書店だからこそ、私はすっかり気を惹かれていた。

 一体何を考えてこんな風にしているのか、興味があった。

 私は遂に入店することに決める。数人入るだけでも狭い店内に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」


 店主の声がする。それはか細いながらも、玲瓏な心地を伴っていた。

 私は唯一、本が陳列されている一角に立つ。そこに並ぶ本はどれも見たことがない題名と著者名だった。これまで多くの本を読んできた身としては驚かざるを得ない。

 適当に一冊手に取って、冒頭部分を読んでみる。純文学的な内容のようだった。主人公の人生が濃密に描かれている。まるで自分が体験しているかのような写実性があり、とても面白いと思った。せっかくなので購入したい。

 しかし、裏表紙やそれを開いた部分など、どこを確認しても値札が見当たらなかった。購入時に店主に聞いてみるしかなさそうだ。


 とりあえず先に他の本にも触れてみるが、どれも同じように誰かの人生を描いた内容だった。こういった私小説はどうしても大衆受けはし難い。それでも、ここにあるものは質としては非常に優れていると感じられた。

 もしかすればこの店は、世間的には無名だけれど実力のある著者の作品を、専門として集めているのかも知れない。

 本好きとしては是非とも蒐集してみたいと思えた。これは良い古書店を見つけたかも知れない。

 私は気になった数冊を持って行き、店主の前に置いた。


「良ければ、こちらもいかがですか?」


 店主はそう言って、一冊の本を差し出してきた。

 そんな風に言われれば、見ないわけにもいかない。

 しかし、いざその本を開いたところで困惑する。


「……白紙のようですが」


 そこには何の文字も書き記されていなかった。全ての頁が白紙だ。


「そんなことはございません。よく覗き込んでみてください」


 何か仕掛けでもあるのだろうか。そう考えて注視してみた。

 すると、不思議なことに白紙だったはずの頁に文字が少しずつ浮かび上がってきた。

 私は予想もしない現象に驚くが、それ以上に驚いたのはその内容だった。

 私だ。そこには確かに私の人生に関する内容が叙述されていたのだ。

 咄嗟に表紙を見てみると、いつの間にやら著者名として私の名前が記されていた。

 一体、何が起きているのか。なぜ私の人生がこうして本になっているのか。


 そこでふと思い至る。この古書店に陳列されている本は、どれも見たことも聞いたこともないようなものばかり。その内容は誰かの人生に関する内容で一貫している。

 つまり、私が手にしたこの本と同じように、ここにある本は全て実在する誰かの人生が刻み込まれたものなのではないか。

 ならば、その人物達はそれからどうなってしまったのか。


 そこまで考えた瞬間、私の意識は加速度的に遠のいていった。

 それはこれまでの生で一度たりとも感じたことのない、絶対的な安らぎの感覚だった。






 店主は地面に落ちた本を手に取り、慈しむように表紙を撫でた。


「“人は誰しも一冊の良い本を書くことが出来る。それは己の一生だ。”などと言うが、まさしくその通り。これでまた一冊、人間の面白い本が増えた。ああ、この本は一体どんな読み心地がするのだろう。実に楽しみだ」

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