偶像

『大人気アイドル加賀見かがみ愛華あいか、一般人男性と電撃結婚! アイドル引退へ!』


 僕はディスプレイに映し出されたその文字列を見た瞬間、己の眼を疑った。

 突発的に動悸が生じ、胸がぎゅうぎゅうと締め付けられる。

 息を荒げながら震える指先でマウスを操作し、公式サイトを確認したが、そちらにも同様の内容が丁寧に書かれているだけだった。


「そんな……」


 僕は放心してディスプレイから視線を外す。

 周囲の壁には加賀見愛華――あいちゃんのポスターで埋め尽くされており、どれもにこやかに笑みを浮かべていた。


「あいちゃんを愛してあげられるのは僕だけなんだ……僕だけ、なんだ……」





 いた。

 僕は彼女の姿を見つけると、その背を追いかけていく。

 気づかれないように一定の距離を保ちながらタイミングを待った。

 すると、人気の少ない路地に入っていくのが見えた。

 今だ。そう思って僕は距離を詰めて彼女に近づいて声を掛けた。


「あの……」

「はい?」


 不審げな声音で彼女は振り返った。

 マスクをしていたが、間違いなくあいちゃんだと分かった。

 なので、僕は手に持っていたガラス瓶の中身を彼女の顔に掛けた。


「えっ……あ、あああぁぁぁぁっ!?」


 あいちゃんは悲痛な叫びを上げてその場に膝を折った。

 ガラス瓶の中身は濃硫酸だ。今、彼女の愛らしい顔はドロドロに溶け始めている。

 きっと誰にも好かれないような顔になるだろう。でも、それでいい。


「ぼ、僕は君がどんな顔になっても愛してあげるからね……」


 そう囁くと、ひとまずこの場は立ち去ろうと思った。

 しかし、あいちゃんが何かを呟く。その声は恐ろしい程に冷たい空気を孕んでいた。


「……いけないなぁ」


 彼女はゆらりと立ち上がると、顔を押さえていた両手をどけた。

 それを見た僕は、絶句した。


「なっ……それは、えっ……」


 あいちゃんが溶け落ちた肌の下から覗かせていたのは、機械だった。

 骨でなく金属質な部品が詰まっていた。

 僕はその意味を受け止められずに困惑する。


「何も知らないまま素直に受け入れていれば、幸せだったのに。どうせすぐに新しい偶像アイドルに心を奪われるんだから。哀しいでしょ? 自分が愛した偶像が、ただの作り物だった、なんてさ」

「そ、そんな……」



 彼女が語る真実に、今度は僕が膝を折る番だった。


「でもね、偶像ってそういうものだよ。いつだって誰かが愚かな大衆を操る為に生み出す存在なんだ。それを今はこうやって効率的にしてるだけでね」


 彼女はこちらに顔を寄せてきた。

 まるで機械の身体であることを見せつけるように。


「さて、私がどうしてこんなことを話すか分かる? 世には決して知られていない裏の話を」


 すっかり腰を抜かしてしまっている僕は、その言葉の意味を即座に悟り、懇願する


「た、助けてくださいっ! 何でもしますからっ!」


 彼女は指を顎に当てて、悩むような素振りを見せた。

 しかし、彼女は紛れもない、あいちゃんの朗らかな笑みを浮かべて、告げる。


「だ~め」


 それは僕が見た最後の光景だった。

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