先輩とコーヒー

「ねぇ、今日はとても貴重なコーヒー豆が手に入ったのよ」

「はぁ、そうなんですか」


 嬉々として語る先輩に、僕は気の抜けた返事をする。

 部室に入るや否や挨拶をする間もなくそう言ってきたので、驚きから反応しきれなかった。

 けれど、先輩はそんなこちらを気にした様子もなく、テーブルの上に並べた三つの袋に手をかざす。


「さあ、どれが飲みたい? 全部? いいわ、もちろん、用意してあげる、ぜひとも飲み比べてみて!」


 活き活きと一方的に捲し立ててくる。どうやら選択肢はないらしい。

 僕は先輩が用意したコーヒー豆が入ってると思しき袋に視線を向ける。

 アライグマと象と……ハクビシン? 何はともあれ三種類ともそれぞれ動物のイラストが付いていた。

 それは何を意味しているのだろう。出産地? それらの動物がどこかの地域を表していると考えられるが、いまいちピンとこない。ただ単にそれぞれのメーカーがシンボルとしているだけかも知れない。


「ちなみに端からウチュニャリ、ブラック・アイボリー、コピ・ルアクと言うのだけど、聞いたことはある?」


 先輩は何やら探るような目で問いかけてきた。特に最後のコピ・ルアクの時は炯々とした双眸に射抜かれるようだった。しかし、僕はその意味も良く分からず、素直に首を横に振って見せる。


「いえ、さっぱり」


 僕は別にコーヒーの品種に詳しくはない。聞いたことがあるのはせいぜいブルーマウンテンだとかマンデリンだとかくらいだ。それらもどんな品種でどんな味かなどは良く分かっていない。ただ、先輩が挙げた名前はどれもまったく聞き覚えのない言葉には思えた。恐らくはそこら辺の喫茶店で出しているようなものではないのだろう。


「そう。なら、いいわ」


 僕の答えを聞いた先輩はステップするように軽快な足取りで、ドリップコーヒーを淹れる用意をしていく。


「ふんふんふーん♪」


 更には上機嫌に鼻唄を奏でながら、わざわざ用意したらしい小型のコーヒーミルを三つ並べると、それぞれにそれぞれ違った豆を投入し、ごりごりとハンドルを回していく。

 手伝いは不要な様子なので、僕は椅子に座って待つことにした。


 二人きりの部室。これといって活動内容があるわけでもない。お茶したり、本を読んだり、雑談したり、唐突に外に出て遊んだり、帰ったり。何をしてもいいし、何もしなくてもいい。そんな部活。

 もちろんそれで学校に所属する公式団体たる部活が存続できるはずもなく、今年限りで活動は終わりだろう。むしろそんな状態だからこそ好き勝手出来ているとも言える。

 此処は今しかない僕と先輩だけの特別な空間だった。


 気がつくと、部室内に馥郁ふくいくたるコーヒーの香りが満ちている。

 ポットに載せたフィルターに挽いた豆をセットして軽くお湯を注ぐ、蒸らしの段階に移行していた。当然、それも三つずつ用意されている。

 現在この場には三種のコーヒー豆の香りが混ざり合っているはずだが、それらは不思議と調和して感じられた。コーヒーとは思えない、まるでチョコレートのような甘く香ばしい匂いに自然と頬が綻ぶ。流石、貴重だと言うだけあるようだ。味にも期待が募っていく。


 先輩は蒸らしを終えると、改めてお湯を注いでいく。

 それからコーヒーカップを温める為に入れていたお湯を捨てる。カップは僕の分と先輩の分を合わせて計六つ用意されていた。

 そうして、遂に完成したドリップコーヒーをポットからそれぞれのカップに注ぎ入れていく。


「さ、召し上がれ」


 僕の前に三つのカップが並べられた。先輩も自分の前に並べているが、手を付ける様子はない。どうやらこちらが先に飲まなければならないようだ。

 先輩も飲む以上、怪しいものではないと思うが、少し警戒してしまう。とは言え、カップから漂ってくる芳醇な香りは僕の心を惹き付けて離さない。


「では……いただきます」


 そう言って、僕はまずウチュニャリのカップにそっと口を付けた。

 焼き立てのビスケットのような甘い香り。しかし、それとは裏腹にスッキリした味わいだ。

 続けて、ブラック・アイボリーのカップに口を付ける。

 香りからも感じるフルーティーな甘みがしっかりと舌に圧し掛かってきた。苦味もかなり薄く、コーヒーという感じはあまりしない。

 最後はコピ・ルアクのカップ。

 こちらはアロマティックな甘い香りだが、味は非常にまろやかだ。


 ウチュニャリとコピ・ルアクは似た風味に思う。ブラック・アイボリーは少し違って感じられた。

 三種類に共通しているのは、非常に口当たりが良くて後も引かない上品な風味ので飲みやすい、ということだろう。

 コーヒーが苦手な人でも飲めそうだ。その反面、とにかく濃い目のコーヒーが好きな人にはインパクトが足りないかも知れない。

 と、そのような感想を先輩に伝えると、ニマニマとした笑みが返ってきた。


「さて、ここで一つお知らせがあります。この袋に付いているイラストには意味があるのですが、それは一体何でしょう? ちなみに鼻熊、象、ジャコウネコね」

「えっ……うーん、産地?」

「ぶー、関係ありません。いや、なくはないけど、そういう意味で載ってるわけじゃないの」


 咄嗟にさっき考えたことを口にしたけど、違ったらしい。

 なら、一体どんな意味があるのだろうか。コーヒーとそれらの動物がどう関係してくるのか。まったく見当もつかない。


「全然分かりません」

「ふふ、それじゃ正解を教えてあげる」


 そうして、先輩は如何にも愉しそうに告げる、そのコーヒーの真実を。


「これらは全てイラストに描かれた動物の腸内で発酵させたコーヒー豆なの」

「……つまり」

「鼻熊と象とジャコウネコの糞から取り出したものね」

「…………」


 僕は絶句する。予想だにしていなかった角度からぶん殴られた気分だ。

 自分がたった今飲んだものが動物の排泄物から取り出されたと知り、果たして驚愕しない者がいるだろうか、いや、いない。

 知らぬが仏、とはまさにこういう時に用いる言葉なのだなぁ、としみじみと思い知らされる。

 美味なコーヒーだ、と堪能していたついさっきまでの純粋な気持ちを返して欲しい。

 先輩はそんなこちらの顔を見て笑みを一層深くする。騙して驚かせた愉悦感に浸っている様子だ。


「くっ、くくくっ」


 挙句の果てに声を噛み殺しながら肩を震わせて腹を押さえている。可笑しくて仕方ないらしい。

 そんな時の先輩こそが最高に可愛いと僕は思う。

 だから、意地の悪いことをされても気分を悪くしたりはしない。むしろ、先輩が喜んでくれて嬉しい。


「……美味しいのは事実ですし」


 僕は照れ臭さからそっぽを向いて、再びカップに口を付けていく。

 例え思わず眉をひそめる製法を聞かされても、美味しいものは美味しい。


「まあ、その通りね」


 ようやく笑いが収まったらしい先輩は頷いた。躊躇う様子もなくカップに口を付けて、ホッと一息吐く。


「これほど美味しいものにケチを付けるのは野暮というものだわ。私のお陰で高級品を飲めることに感謝してね」

「感謝の念に堪えません」

「よろしい」


 そう言って、先輩は先程とは違った慈しむような微笑を浮かべた。

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