タグロス博士の手記

 この手記を読む何者かへ。

 私は人類史上最悪の罪を犯した。しかし、それは同時代の者に知られることはないだろう。

 だからこそ、このような形で残すことにした。私の罪は暴かれなければならない。

 同時に、祈りでもある。これを読む何者かが現れることを。


 人の魂の重さは約21gだという話を知っているだろうか。

 ダンカン・マクドゥーガル医師の実験だ。人が死した瞬間に失う重量を計測した結果が約21gだった。

 当時でさえも懐疑の目で見られており、現在ではただの噂話のようになっている。

 しかし、私は断言しよう。彼の実験に間違いはなかったのだ、と。


 ここで一つ、罪の告白をしなければならない。後に引き起こす大罪と比べてしまえば見劣りするが、この罪だけでも私が善人として生きる資格はとうに失われていただろう。

 私は人体実験を行ったのだ。マクドゥーガル医師の実験を確かめる為に。罪なきホームレスを33人、この手にかけた。もし警察の手が及べば潔く自白するつもりだったが、残念ながら今の今まで訪れたことはない。


 まず初めに、私はリアルタイムで重量の変動を計測し記録する装置を作成した。

 それに睡眠薬で眠らせたホームレスを載せると、計測された数値をデフォルトとした。

 その後、血液が外部へと流出しないように注射器を用いて死に至る薬剤を投与し殺害。薬剤の重量は事前に計測しており、投与後に増加した重量と一致するのを確認した。

 結果、死の瞬間の重量は、確かに減少していた。やはり約21gで間違いなかった。死と共に何らかの物質が失われているのだ。

 だがしかし、固体や液体の流出は一切認められなかった。それというのも、気体として流出し装置の計測から逃れない限りは、重量に変化は起き得ない為だ。


 さて、続けて私が行ったのは、その気体が魂なる物なのか、それとも、ただ単に体液やガスに過ぎないのか、ということの確認だった。

 まず、身体に五つの密閉袋を取り付けた。頭部、胴体、両腕、両足という区分だ。ただし、片腕は薬剤を投与する為のスペースを用意した。密閉袋によって変動した重量も記録しておく。

 その後は前述した実験と同様だが、加えてそれぞれの密閉袋内の成分分析を行った。


 すると、胴体、両腕、両足に関してはごくごく一般的な大気の構成だったが、頭部だけは少し違っていた。

 そこには、極小の原生生物が多量に含まれていたのだ。

 アメーバの死骸だった。人間の体内に潜むアメーバ、それはつまり寄生虫だ。

 そのような事例は一度たりともない。人の脳内にアメーバが生息しているなどとは。

 私は未知の事象に心躍らせながらも、その一方でそら恐ろしさを感じていた。これは特別な事例なのか、それとも、私の脳にもこのアメーバが巣食っているのか。


 まるでパンドラの箱だ。私はきっと開けてはならない箱を開けようとしていた。希望は期待できない。それでも、もはや後戻りは出来なかった。

 その後も数人に対して同様の実験を行ったが、どれも同じ結果だった。頭部からアメーバの死骸が流出していた。

 そして、流れ出たアメーバの総重量こそ約21gの正体だった。

 ならば、そのアメーバを取り除いた時、宿主には何が起きるのだろうか。


 私は生きた人間の頭蓋を開くことを選択した。宿主が死亡してしまえば体外へ排出されるというのであれば、そうする以外に手だてはなかった。生きた検体が欲しかった。

 麻酔で深く眠らせたまま頭部を開き、脳の各所を調べていった。不要な部分は次々と切除した。時には殺してしまうこともあった。それでも、私は研究を続けた。


 そうして、私は遂にアメーバが宿る部位を発見した。大脳新皮質だ。現人類と旧人類の袂を分かつに至らせた領域。

 私はいよいよ明確な恐怖を覚えていた。人間が人間である為の領域に巣食う存在。その意味を考えることが。

 しかし、試さないわけにもいかない。私はアメーバを取り除いて生じる変化を確かめることを決意する。


 虫下しが無力なことは明らかだ。もし効力があるのであれば、こうして何人もの人間に同じアメーバが宿っていることはないだろう。その成分が脳内にまで届いていないのだと考えられる。異物の侵入を食い止める脳関門に阻まれているに違いない。

 その為、人体には無害なように調整した虫下しを直接脳へと注入してみることにした。アメーバの死滅を確認した後、実験体とした者が目覚めるのを待った。


 目覚めたその者は何ら変わらない様子で私に話しかけてきた。安堵の溜め息を吐いたのを良く覚えている。

 しかし、すぐに何かがおかしいと感じられた。

 簡単な会話ができる。身体を動かして生存に必要な行いができる。

 ただそれだけだった。その者は抽象的な思考の能力を喪失してしまっていた。

 まるで幼い子供だ。目に映るものだけが世界のようで、知性の煌めきはとても感じられなかった。

 他の実験体にも試してみたが、結果はどれも同じだった。


 そうして、私は理解した。現人類の宿す高度な思考能力は、寄生虫によってもたらされていたのだ、と。

 人類の偉業は、人類の力ではなかった。

 恐らくは現人類が旧人類に打ち勝ったその時から、寄生虫に支配されていたのだ。

 我々が理性や想像力などと呼んだものは、全て寄生虫によって産み出されたものでしかなかった。

 寄生虫こそが我々だった。


 私は人類史上最悪の罪へと手を染めた。

 許せなかったのだ。人が虫に支配されているというその事実が。

 私は研究を重ね、一つのウイルスを開発した。人から人へと感染していくが、無害なものだ。

 体内に宿る特定の敵を殺戮し尽くす、ということ以外は。

 特定の敵とは、もちろん大脳皮質に宿るアメーバに他ならない。

 私はそのウイルスを世界各地の飲み水へと混ぜた。一ヶ月もすれば、人を介して世界中に拡散し切っているだろう。

 しかし、この手記が何者かに読まれているということは、識字が可能な何かが存在しているということだ。

 それゆえ、最後に一つだけ、問いかけたい。

 今この手記を読んでいる君は人だろうか。虫だろうか。それとも……。

 願わくは、人であらんことを。


 1999年6月30日 タグロス・ヒルデガルト・スロン

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