新しい美容室
駅前に新しい美容室が出来た。
何でも完全予約制で美容師も店長だけらしいが、どんな要望でも叶えてくれるその技術はまるで魔法のようだとか。
「あの美容室、マジやばいよ。ぱない」
私の友達はそんな風に言っていた。実際、彼女の髪は見違えるようだった。まるでシャンプーやトリートメントのCMに出てくる女優みたいなサラサラの髪に生まれ変わっていた。以前はもっとありふれた雰囲気だったはずなのに。
確かな成果を目の当たりにして、私もその美容室を利用することに決めた。
まだ開店したばかりにもかかわらず、予約は既に数ヵ月先までいっぱいだった。しかし、私は運良くキャンセルが入ったところに上手く滑り込むことが出来た。
そうして、いざ当日。
私はスマホに表示した地図を見ながら店へと向かう。それは陽の射し込まない路地を入ったところにある古びたビルを指し示していた。ビルの前に綺麗な看板が出ており、間違いなさそうだった。三階らしいので階段を上って行く。
しかし、どうしてこんなに目立たない場所にしたのだろう。完全予約制だから目立つ場所での宣伝は不要だと考えたのだろうか。それにしても、ビルの他の階に入っている店はどれも胡散臭いものばかりで、あまり良い気分はしなかった。
三階まで上り切ると、透明な硝子の扉が待ち構えていた。そこだけ見れば、普通の美容室と何ら変わらない雰囲気だった。扉を開けると頭上でカランコロンと軽快な鈴の音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
腹の奥に響いてくるような低音ボイスで私を迎えたのは、爽やかな雰囲気で艶のある黒髪の青年だった。医者か研究者のような白衣を身に着けている。
まだ随分と若そうだ。自分とそう違わないようにすら見える。せいぜいが三十代前半と言ったところだろう。
「あの予約した山田なんですけど……」
「山田様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ。荷物はお預かりいたします」
丁寧な対応で席まで案内して貰う。通常の美容室とは違い、一席しかない。そのまま洗髪にも移行できるオーソドックスなタイプだ。
店内は整然としており、瀟洒な造りだった。金属製の棚にはヘアケアの為の道具が等間隔で並んでいる。天井からは半球型の装置が吊り下がっていた。パーマか何かに使うのだろう。
また、奥にはのっぺりと硬質的な扉があった。ドアノブはなくスライド式のようで、タッチすれば開くのだろう。どことなく近未来を思わせる様相だ。従業員用の部屋だろうか。
「本日はどのような施術をお望みですか?」
席に座った私は正面の鏡越しに店長と目が合う。
「私、癖毛が酷くて、雨の日とか凄く困ってるんですけど、それってどうにかなりますか?」
「もちろんです。お望みでしたら、恒常的に変えてしまうことも可能ですよ」
「それって癖毛じゃなくなる、ってことですか?」
「その通りです。縮毛矯正とは違い、当店ではより根本的な部分から変えてしまう方法を採用しておりますので、二度と悩むことはなくなるかと思います。髪へのダメージもございません。また、試してみて気に入らなければ元に戻すことも可能となります」
「それ、お願いします!」
私は一切の迷いなく頷いた。昔から癖毛に悩まされてきたので、それを髪へのダメージもなしに直せるのであれば躊躇うはずもなかった。
「かしこまりました。それでは、まずはこちらをご覧ください」
店長は図鑑のようなファイルを開くと、私に手渡してきた。
一つのページに六枚の写真が貼ってある。それぞれ、人の頭部を模した白い模型にウィッグを被せた物が掲載されていた。
そこにはサラサラの髪やふわふわの髪が、それぞれ長さや質感が異なって並んでいた。サラサラ度合いやふわふわ度合いも微妙に違っているように見える。
「そこからお客様が望む髪を選んでもらってもよろしいでしょうか? お選びになった髪とさせていただきます」
要はヘアカタログだ、と私は納得してパラパラとめくっていく。
店長が自分で撮影しているのだろうか。どれも違ったウィッグのようなので大変そうだ。
私はパッと目に飛び込んできたサラサラの髪に注目する。どれも綺麗だが、私にはそれが一層綺麗に輝いて見えた。
「あ、こんな髪型がいいです」
「こちらですね。かしこまりました。それでは、これより施術を始めさせていただきます」
店長はファイルを片付けると、私の頭に指を添えた。
瞬間、私の意識は何の違和感もなくスーッと遠のいていった。
「――お客様。施術は終了しました」
私はトントンと肩に触れる感覚で目を覚ました。
「……あれ、私いつのまに寝ちゃって」
瞼を開いても視界はぼやけていたが、徐々にハッキリとしていく。
そして、衝撃を受けた。
鏡に映る私は、良く知る私じゃなかった。
そこには望んだままの髪を手にした私がいた。
「凄い……本当にあの写真通りの髪だ……」
「いかがでしょうか?」
「良いです、とても!」
私は指で触れる。これまで感じたことのないような触り心地だった。まるで別人の髪だ。そうだとしか思えないくらいの変化が起きていた。
「一体、どうすればこんなことが出来るんですか?」
私は好奇心から聞いてみた。
知らない間に寝てしまっていたので、どのような施術が行われたのかが分からない。
「申し訳ありませんが、企業秘密でございます」
店長は微笑を浮かべてそう答えた。
仕方ない、と諦めた私は会計をして貰う。
料金は一般的な美容室と比べれば高めだが、私が得たものに対しては安過ぎるくらいに思えた。
「もしまた違った髪にしたいようであれば、当店にいらしてください」
店長のそんな言葉に背を押されて、私は店を後にした。
路地裏から出ると、駅の方へと歩いて行く。
艶めく髪は清流のようにサラサラとたなびいており、衆目を集めているように感じられた。実に良い気分だ。以前の髪では考えられない。
それにしても、と私は肩に掛かった自分の髪を見て思う。
「前より少し長くなってる気がするけど……気のせいかな」
店長は客が店を出た後、扉の鍵を閉めた。
次の予約まではしばらく時間があるので問題はない。
それから奥にある硬質的な扉の前に立つ。指で触れると指紋認証が行われ、程なくして無音でスライドした。
そこは広大な部屋だった。扉と同じような無機質な壁に包まれている。
美容室としての区画はほんの一部分に過ぎず、残りは全てこちらの区画に用いられていた。
円柱型の装置が無数に乱立している。中心部分だけは透明となっており、中は薄い緑色の溶液が満たしていた。それはコポコポと音を立てていて、ふよふよと浮かぶ物がある。
店長はそんな中をコツコツと足音を鳴らして歩いていく。彼が向かった先には、円柱の台座があった。真上の天井からは同種の物が逆さに伸びており、それが下りれば周囲の装置と同じようになる。
そして、台座の上には髪が扇のように広がっていた。頭皮ごと剥がれており、内側にはじんわりと新鮮な血が滲んでいる。
それは先程の女性客から剥ぎ取った髪だった。天井から吊られている半球型の装置はその為の物だった。
「待たせたね。これから君を何より美しい存在へと変えてあげよう。あの醜い女に支配されていた時とは違う。君が愚かな人間を支配するようになるんだ」
店長はそれを持ち上げると慈しむように触れながら、妖しい笑みを浮かべる。
傍にあったスイッチを押すと、上から円柱が下りてきた。その先からは透明な硝子が伸びており、台座へと綺麗に嵌まる。その後、薄い緑色の溶液が注入された。載っていた髪がふよふよと浮かび上がり、中心辺りで停止する。
他の装置の内部も同様だった。どれも頭皮ごと剥がれた髪が浮かんでいる。しかも、髪の毛の一本一本はまるで自らの意思を持つように蠢いていた。
それこそ店長が生み出した髪に命を与える技術。人の頭部に被せれば自動的に癒着し、宿主から栄養を吸うことで美しく成長していく。
「さて、次の客にはどの子が選ばれるだろうね。僕の愛しい娘達が嫁に行ってしまうようでセンチメンタルな気分になるが、仕方ない。親は子を越えていくものだからね。きっとこの愚かな世界を変えてくれるだろう。髪が人を支配する素晴らしい世界へと」
人々はまだ知らない。意思を持つ髪が少しずつ自分達を侵食し始めていることを。
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