芳香煙草

「柑橘系の良い香りだね」

「そうそう。柚子の香り。昔から柚子風呂とか好きでね」

「へえ。私はフローラル系ばっかだよ。今喫ってるのも藤の花の香りなんだ」


 そんな会話をする女子社員達がその手に持っているのは、煙草だ。それも場所は自分のデスク。周囲を見渡せば、男女問わずどのデスクも煙が立ち上っていた。

 今や煙草を喫わない者の方が少数派だと言える。そのような社会になるまでには少しばかりの経緯があった。


 以前は喫煙者への世間の風当たりというのは非常に厳しいものだった。

 科学的な根拠をもとに煙草の害が語られるようになったことで、喫煙者への非難が一斉に噴き出したのだ。元よりその臭いが耐え難いものだったことに加えて、身体的な害まで与えられているのであれば、憤らない方が不自然だろう。


 それまでは当たり前のように路上や街中で喫えていたが、世論がそうなったことで、決められた場所でしか喫うことは許されないようになった。喫煙所以外での喫煙には罰則を設けている自治体がほとんどだった。

 喫煙者の人口は着実に減少し続けており、いずれは完全に禁止される未来もそう遠くないだろう。


 そんな風に思わせるようになった頃、彗星の如く現れた煙草があった。

 その名も“芳香煙草”だ。名前の通り、良い香りを発する煙草である。

 従来の煙草が放つ臭いは独特で不快に感じるものが多かったので、その点を改善したわけだ。


 芳香煙草にはフルーツ系、ハーブ系、フローラル系など様々なフレーバーがあり、それらはどれも芳香剤のように周囲に良い香りを振りまいた。ほのかに漂う程度なので匂いがきつすぎるということもない。


 初めは極一部の喫煙者の間で話題になっているだけだったが、とあるカリスマ女性タレントが宣伝したことをきっかけとして爆発的に拡大した。特に女性層を取り込んでの大きな流行となった。


 こうして、煙草の何よりの問題はその臭いにあったことが分かる。

 人の五感の中でも嗅覚というのは非常に重要な地位を占めている。他の五感と違い、扁桃体や海馬と言った人間の本能的な部分と結びついている為だ。嫌な臭いを発するものとはそれだけで激しい嫌悪の対象となってしまう。


 実際、その煙に身体的な害があると言われても、それを実感することは非常に難しい。言わば、その臭いへの本能的な嫌悪感への理由付けとして科学が用いられていたに過ぎないというわけだ。


 その為、芳香煙草が流行してからは一気に世論は変化した。芳香煙草に限っては受容するようになった。喫煙所は撤廃され、どこもかしこも芳香煙草の煙を見るようになった。

 以上が現在の喫煙社会に至った経緯である。


 そんな社会を眺めてほくそ笑む者たちがいた。

 税収の大幅な増加に喜ぶ政府の人間達、ではない。


「よしよし、これでこの国の人々の寿命がこれ以上に伸びることはないな」

「喫煙者が減ると長命化する人間が増えちゃいますからねぇ」

「そうなったら俺達の仕事がなくなっちまう。人間には適度に死んでもらわないとな」

「核兵器なんかで一気に死なれても困りますしねぇ。良い塩梅で死んでくれるからこそ私らの仕事も回るってもんです」

「その点は煙草さまさまってな。わざわざ煙草会社に知恵を貸した甲斐があったぜ」


 今の喫煙社会を天高くから眺めながら、死神達は楽しげに語らい合っていた。

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