背中を押す仕事

 俺は悩んでいた。

 社長から海外に新たに出来る支部への転勤を打診されたのだ。

 転勤先が国外である以上、当人の意思次第だと言われた。断る場合はこの話は他の優秀な者に回すことになる、とも。

 週明けには答えを出さなければならない。


 もし引き受ければ、社における大きなキャリアになるのは間違いない。断った場合はこれまで通りの地道で目立たない努力を続けていくことになるだろう。

 チャンスの神様は前髪しかない、とは有名なことわざだ。逃がしてしまえば取り返しは効かないのである。


 引き受けた方が良いに決まっている。俺には妻や子供がいるわけでもない。

 けれど、やはり海外で過ごすというのは怖いと思えてしまう。

 サポートは万全に行う、と社長は明言してくれたが、それでも不安になるのは仕方ない。

 きっとこのチャンスこそ俺がこれまでに積み重ねてきた努力への報いなのだ。ならば、快く引き受けない手はない。

 そうは思いながらも、あと一歩が踏み出せずにいた。


 そんな時に見つけたのが、『悩むあなたの背中を私が押します』という文言のサービスだった。

 少し調べてみると、どうやらそれは何かの選択肢に悩んでいる人が、心から望んでいる選択をする為の手助けをしてくれるらしい。

 ただ、あくまで当人の中では実質的に決まっている選択肢を選ばせるサービスであり、決してお悩み相談やアドバイザーのように助言をするようなものではない、とのことだ。


 評判も調べてみたが、上々の様子だった。悪い評判や怪しい評判もまるで出てこない。

 俺と同じように人生の岐路とも言える場所で悩んでいたところを、このサービスで背中を押してもらったという人物が多いようだった。

 まさに今の俺に必要であることが窺える。料金も大した金額ではなく、大事な選択を出来ると考えれば安いものに思えた。


 早速、サービスページから申し込むことにした。

 会う場所はこちらが指定していい、とのことだったので、駅前にある喫茶店を指定する。週明けまでは待てないので、日時も明日の午後を指定した。

 すると、すぐに返信が来た。どうやら問題なく引き受けてもらえたようだった。会う際に目印となるものを聞かれたので、当日の服装を伝えておいた。


 そうして、翌日。

 指定した喫茶店で待っていると、約束の時間を少しだけ過ぎてから、至って平凡そうな男性が慌てた様子で姿を現した。キョロキョロと店内を見回し、こちらと目が合うと安堵したように近寄ってきた。


「背中を押すサービスの購入者で間違いないでしょうか?」

「あ、はい、そうです」


 俺は少々緊張して頷いた。今更ながらにこんな怪しいサービスを購入してしまい、本当に良かったのかと疑いの念が湧いてくる。


「どうもお待たせしました。直前にも近くで別件の依頼がございまして、遅れてしまいました。申し訳ありません」

「いえいえ。ほんの少しですから、お気になさらず」

「ありがとうございます。そう言っていただけると、こちらとしても助かります」

「ちなみに、別件の依頼がどのような内容だったかはお聞きしても?」


 俺は疑心からそんな質問をしていた。


「具体的な内容については守秘義務がありますが、重大な選択を悩んでおられたので、私はその方が心から望んでいる選択が出来るようにお手伝いさせていただきました」

「ほほう」


「私はサービスページにも記してある通り、決して助言のようなことは行いません。ただ、その人が望んでいる選択が出来るように言葉で誘導していくことを仕事としております。種明かし、というわけではないですが、人は結局のところ何を選ぶかは自分自身でとうに決めていて、誰かに背中を押されたがっているのですよ。私はそこに注目してこのようなビジネスを行っている、というわけです」

「なるほど」


 俺は彼の流暢な言葉にすっかり納得させられていた。具体的に何が、とは上手く説明出来ないが、非常に説得力があった。単に言葉だけでなく、声のトーンやリズムまで気を配っているように思える。心にスッと入りこんでくるようだった。


「それでは早速ですが、本題に入りましょう。まずはあなたが何を悩んでいるのかお聞きしてもよろしいですか?」


 俺は簡単に自分の悩みについて説明した。


「なるほどなるほど。あなたの事情は分かりました。海外への転勤を引き受けるべきだとは思いながらも、これまで暮らしたこともない土地で働くのは不安がある、というわけですね。それで引き受けるか断るかを悩んでいる、と」

「その通りです」


「確かに、どうしても新たな環境とは恐ろしいものです。身の周りに未知が溢れていると、それらに対して予測がつかず、心が落ち着かないですからね。身の周りが既知であれば、大きく予測を外れたことなんてそうそう起きませんし、穏やかに過ごすことが出来ます」


 彼は新たな土地へ行くことの恐怖を説いた。けれど、彼はそこから内容を一転させる。


「しかし、です。既知とはすなわち、変化がないことです。それは、既に知っていること、ですからね。仕事をしている際にもありませんか? 既に学んだことをただこなしていくだけ、ということが。変化がないとはすなわち、自身の成長もないことを意味します。未知が既知となることを人は成長と呼ぶのです。つまりは、あなたが海外という未知だらけの土地で働くことは、あなた自身の成長へと繋がるのですよ。そこで得られるのは決してキャリアだけではありません」


 彼は話の締めとして語調を強めて告げる。


「改めて言いましょう。確かに、新たな環境とは恐ろしいものです。けれど、そこには同等かそれ以上の楽しさや喜びだってあるのです。それはきっとあなたの心を豊かにしてくれるでしょう」

「…………」


 俺は思わず言葉を失っていた。彼の言葉に心打たれたのだ。海外で働く、ということを恐れるばかりで、そこにある楽しみや喜びに目を向けようとしていなかった。それを強く思い知らされた。

 彼の言葉は確かに悩む俺の言葉を押してくれたと実感できた。


「ありがとうございます。俺、決めました。行きます、海外に」

「そうですか。私の言葉があなたの背中を押せたなら幸いです」


 俺は彼にサービスの料金を支払うと、二人で喫茶店を出た。


「それでは、またのご利用をお待ちしております」


 彼はそう言って立ち去った。きっとこの後も別の依頼人が待っているのだろう。

 俺は清々しい気持ちで駅前を歩いていく。

 何やら人だかりが出来ていた。電車に関する電光板前なので、何か事故でもあったのだろうか。

 俺は何気なく電光板に目を通す。どうやら人身事故があったらしい。

 時刻はつい数十分前。俺が喫茶店であの男を待っていた頃のようだ。

 そこでふと彼の言葉が脳裏をよぎる。


『直前にも近くで別件の依頼がございまして』


 俺は背筋に冷たいものが上ってくるのを感じた。

 すぐさまスマホで人身事故に関する検索を掛けてみる。駅名と共に調べたらすぐに出てきた。飛び込み自殺のようだ。自らやって来た電車の前に飛び出たらしい。


「まさか……」


 その推測が事実かどうかは分からない。

 しかし、あの男が背中を押すのは決して自分のような相手だけではないのだと思えた。

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