雨降らしの少女
僕は雨が好きだ。規則的な雨音は心を穏やかにしてくれる。だから、雨が降っている日はついつい外に出たくなる。
特にお気に入りは公園にある屋根付きのベンチだ。最大で十人くらいは座れそうなスペース。雨が降ると、僕は良くそこに座って本を読むことにしていた。
その日も僕は傘を差して歩いていた。目的地は公園だ。
天気予報では今日の降水確率は0%だったのだが、不思議と局所的に降り始めていた。
いつもの場所に到着すると、先客がいた。少女だ。年端も行かぬあどけない顔立ち。その身には亜麻色のワンピースを纏っていた。
急に降り始めたから雨宿りしているのだろう。さして疑問にも思わず、僕は反対側に座って本を開いた。
正方形の空間を静謐な雰囲気が満たす。雨によって外界から隔離されている感覚だ。それが僕には心地良く感じられる。
少女は足を軽く揺らしながら、ぼんやりと雨の降る景色を眺めていた。
やがて、ほんの一時間程が経過した頃だった。雨は未だしとしとと降り続けている。
そんな中、突然、少女は桜色の唇を開いた。視線は変わらず外に向いている。
「お兄さんは雨、好き?」
「……ああ、好きだよ。こうしてわざわざ外に出てくるくらいには」
「そうなんだ」
少女はこちらを向いた。その瞳は清水のように澄んで見えた。
「この雨ね、わたしが降らせたんだよ」
「どういうこと?」
「わたしが祈れば雨が降るの」
「雨女ってわけだ。それは凄い」
「信じてないって顔してる」
「まあね」
「じゃあ明日、同じ時間にこの場所に来てよ。雨を降らせるところ、見せてあげる。雨好きなお兄さんには特別に」
「分かった。その勝負、受けて立つよ」
少女はこちらに歩み寄って来ると、小指を出してきたので、僕も合わせた。
「約束」
少女がそう呟くと、見計らったように雨が止んだ。
次の日、僕は約束通りに公園へとやって来た。
昨日の雨が止んだ後はすっかり快晴で、今なお雲一つない蒼穹だ。
いつもの場所に行くと、少女は既に来ていた。今日は萌黄色のワンピースを着ている。
「やあ」
「こんな空模様で雨なんて降るはずない、って思う?」
「まあ、綺麗な青空だしね」
「ちゃんと驚いてね」
少女はそう言って、両手を組み合わせ目を閉じ、祈りを始めた。
僕は自然と空に視線を向ける。特に変化はない。そんなものだろう、と思った。
しかし、程なくして僕は遥か上空に薄らと白い雲が見え始めていることに気が付いた。
それは徐々に塊となって黒ずみ、高度を下げていく。まるで周囲の水分がかき集められているような光景だった。
やがて、ポツリ、と顔に何かが当たった。それはポツリ、ポツリと続く。
次第にそのテンポは速まっていき、遂にはサーサーと音を立てて雨が降り始めた。
僕達は屋根の下でそんな景色を眺める。
「どう? 信じてくれた?」
「…………」
少女は問いかけてきたが、僕は言葉もなかった。あっけに取られていた。
我に返った僕は両手を上げた。
「……まいった。降参だ。君は凄いな」
「えへへ」
少女は可愛らしくはにかんで見せる。
改めて、僕達はベンチに座った。昨日とは違い、少女は僕の隣に座っていた。
「この力で人の役に立てれば、って思うんだけど、お兄さん何か思いつく?」
「そうだなぁ……雨が降ることで喜ぶ人、か。ちょっと考えてみるよ」
次の日、僕は少女にスマホの画面を見せた。
「お望みの場所、時間に雨降らせます?」
「そ。専用のページ作ってみたんだ。まだ公開はしてないけど。理由を書くようにしてるから、どういう内容で人が雨を降って欲しいと思うか分かるんじゃないかな」
「おぉっ、すごいねお兄さん! わたしにはこんなの作れないよ」
「そんな大したことでもないよ。まあ、問題は依頼が来るかどうかだけど」
地域を近くに限定してしまっているし、雨を降らせることが出来るなんて話を信じて貰えるとも思えない。けれど、何事もチャレンジ精神は大切だ。駄目そうならやめればいい。
「どうする? やってみる?」
「うん、もちろん!」
少女は強く頷いた。
そうして、僕は自作のそのページを公開する。ついでにSNSも作成しておいたので、そちらでも宣伝してみた。
「さて、どうなるか」
すると、僅か数分で僕のスマホが震えた。依頼があれば、通知が来るように設定してある。
「うわ、もう誰かから依頼が来たみたい」
「え、ほんと?」
少女は慌てた様子で覗き込むようにして僕のスマホを見る。
『嫌いな女の結婚式があるから、その日を雨にして欲しい』
僕達は互いに顔を見合わせた。
「これはちょっと……」
「あ、他にも何個か来てる」
僕は他の依頼も一つずつ開いてみた。
『運動会の日を雨にして欲しいです』
『校外学習が面倒なので、雨にしてくれ』
『会社のバーベキューに行きたくない。雨を降らせて』
それらを見て、僕は所感を述べる。
「何というか、自分勝手な理由ばっかだね。この日本には雨が降って純粋に喜ぶような人はいないのかも。雨が少ない地域とかなら別なんだろうけど」
「その人が喜ぶ代わりに他の多くの人が悲しむようなのは嫌だな……」
少女は顔色を暗くしていた。自分の力が人々を喜ばせるものではないとショックを受けているのだろう。
上手に励ますことが出来れば良いのだけど、適切な言葉が思いつかない。なので、非常に個人的な言葉を述べることにする。
「僕は嬉しいよ。こんな風に雨が降るの」
「……そうだね。お兄さんが喜んでくれるなら、それでいいかな」
少女は頬を緩める。先程までの陰りはもうなかった。やはり子供に暗い顔は似合わない。
「知らない人の為に雨を降らせるのはやめとく。せっかく作ってくれたのに、ごめんなさい」
「いいよ、別に。大した手間でもなかったし、気にしないで。後で消しておくよ」
「これはわたし達、二人だけの秘密」
少女は天に祈りを捧げる。程なくして雨が降る。
そうして、僕達は外界から隔絶されたその場所で、ただ穏やかな一時を過ごすのだった。
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