魔法にかかった本物の悪役令嬢は求婚される

仲室日月奈

第1話

 入学生を祝福するように、魔法の花火が空を彩る。

 王立アカデミーは、次期大公のヴィクター公子も通う由緒正しい学園だ。

 入学式のセレモニーでの演出は毎年の恒例行事で、誰もが空を目指して飛ぶ流星を見上げている。

 そのなかには今年入学した、ヴィクターの婚約者である公爵令嬢と、辺境伯の令嬢の姿もあった。二人とも初めて見る余興に目を輝かせて頭上を見上げていた。

 だが、異変が起きたのはその直後。

 空に向かっていたはずの流星の軌道がずれ、彼女たち二人のもとへ落ちていく。目を覆うほどのまぶしさに包まれたかと思えば、体にきらきらとした光のしずくがついていた。

 目を開くと、どこにも痛みはないが、ふとした違和感に自分の姿を見下ろす。そして、二人の小さな悲鳴は続く花火の音でかき消された。


       ☆★☆


 卒業式の前に開催される夜会は、前夜祭として多くの生徒たちで賑わう。お忍びで大公夫妻も出席するそれは色とりどりの花が咲き開き、おのおの、豪華な前夜祭を楽しんでいた。

 ヴィクター・フォン・シュヴァルツァーは靴音を鳴らし、壇上に立つ。大公譲りの金茶色の髪はシャンデリアの光できらきらと輝く。大公妃と同じ碧の瞳は優しい色合いだ。

 見目麗しい次期大公は、自分の脇に控えた令嬢を振り返り、よく響く声で決別の言葉を発する。


「フランツェスカ・ヴァイス。君との婚約を、今日限りをもって破棄させていただく。理由は君が一番理解しているだろう」


 フランツェスカは呆然としていたが、周囲からの好奇な視線に気づき、あわてて言葉を返す。きつく巻いた縦ロールが悲しげに揺れた。


「いいえ、いいえ。わたくしには理解できません。ぜひとも、その理由をお教えくださいませ。このままでは到底、納得などできません」

「そうか。ならば言うが、君はユーリア辺境伯のご令嬢ディアナに対し、数々の罵詈雑言、および嫌がらせをしてきたね。これらの振る舞いは、次期大公の妻としてふさわしいとは言えない。……私の知るフランツェスカは、横暴な真似をするような人ではなかった。残念だよ」


 諦めの吐息に、フランツェスカは息巻いて抗議する。


「わ、わたくしはヴァイス公爵令嬢なのですよ!? そこの辺境伯の娘なんかより地位も高く、田舎の娘がわたくしにかしずくのは当たり前ではありませんか」

「……君は何も分かっていないようだね」

「どういうことです? わたくしはあなたの妻になるべく、お妃教育も励んで参りましたのに」


 悲壮感たっぷりに目元を覆う婚約者に、ヴィクターはあきれ顔で見つめる。

 姿形はフランツェスカそのものだ。少々つり上がった茶色の瞳、燃え上がるような赤髪。出るところは出て、プロポーションも抜群にいい。

 だが中等部までは学年上位をキープしていた成績は、高等部に入ってからは中の上まで下がってしまった。彼女の取り巻きも入れ替わり、姿形は以前と同じとはいえ、中身はまったくの別人になってしまった。


「君はフランツェスカなどではない。いつまで、自分を偽っているつもりだ?」

「な、何を……わたくしはフランツェスカですわっ!」

「本当にそうか? ならば、私たちの出会いはいつ、どこでだったか、言える?」

「そ……それは……」


 言いよどむ様子を一瞥し、ヴィクターは壇上から降りて壁際で見守っていた令嬢のもとへ足を向ける。


「ヴィクター様!」


 引き留めようと必死の婚約者の声に、ヴィクターは絶対零度の視線を投げる。


「初めて出会った日のことも忘れるような婚約者は、もはや私の婚約者ではない」

「わたくしと婚約破棄をして、どうなさるおつもりですか?」

「それはもちろん……新しい婚約者を迎えるだけだよ」

「まさか……」


 彼女を慰める取り巻きたちに囲まれ、フランツェスカの姿は見えなくなる。

 ヴィクターは壁の花になっていたディアナの前で立ち止まり、彼女に手を差し出す。


「ディアナ・ユーリア。君を未来の妻として迎えたい」

「……え?」


 ディアナは色素の薄い水色の瞳を丸くして、その場に立ち尽くす。

 雪の妖精みたいと揶揄されるウェーブがかった銀髪の一房を手に取り、ヴィクターがその髪に口づけを落とす。

 されるがままになっているディアナは硬直したまま、目の前の美男子を見つめることしかできない。

 と、そこへ取り巻きたちの輪から抜け出てきたフランツェスカが声を荒らげる。


「ヴィクター様、正気ですか!? そんな辺境伯の娘など。身分や教養も大公妃としてふさわしくありませんわ!」

「入学式前だったら、そうだったかもしれないな。なにせ、私にはフランツェスカという完璧な婚約者がいたのだから」

「でしたら、なぜ……」


 やれやれと肩をすくめ、ヴィクターはフランツェスカとディアナを交互に見やる。

 ディアナと視線が合ったとき、ヴィクターは片目をつぶった。

 その仕草で彼がこの茶番を楽しんでいることを悟る。しかし、ディアナが止めに入ろうと声をかけるより数秒早く、ヴィクターが周りに聞かせるように声を張り上げる。


「では、そろそろ君たちの嘘を暴こうか」


 その言葉で、周囲の視線がヴィクターに集中する。


(この人は、わたくしがフランツェスカだと知っている……きっとずっと前から)


 高等部に進学してからは、ディアナとしてしか接していないのに。一体、いつ気づかれてしまったのだろう。


(確かに、婚約者でもないのに、よく話しかけられるなとは思っていたけれど……)


 それでもディアナとヴィクターの関係は、ただの同級生だったはずだ。

 入れ替わりの件だって、知っているような素振りは微塵も感じさせなかったのに。


(他人を演じるというのは、思ったよりも難しいものですね……)


 うまく騙せていたと思っていたのは自分だけだったようだ。

 皆がヴィクターの次の言葉を待つ中、彼にだけ聞こえるような声量で、ディアナは無駄と思いながらも忠告した。


「……殿下。それは余計な混乱を生むだけでございます」

「うん。だけどね、ディアナ。私はこの三年間、失望したんだ。私の婚約者の変わり果てた姿に。そして、君が他人のように、よそよそしくなってしまったことに」


 事実を突きつけられ、言葉に詰まる。


(わたくしは……だって他人になってしまったんですもの。婚約者のように振る舞えるわけがないじゃないですか)


 入れ替わりのことだって、荒唐無稽だと笑われるに決まっている。

 誰にも言えるわけがない。

 できることは、戻る方法を探すことと、ディアナになりきることの二つだった。残念ながら、元に戻る方法は見つからなかったが。


「私は……ディアナでございます。殿下の婚約者ではありませんので……」

「そうだね。でも、俺は君を諦めるつもりはないよ。俺が望むのはただひとり。どんな姿になったって、君の心はいつも気高い。妃にするなら、やはり君でなくては」


 ヴィクターは当然のように断言する。


(殿下は姿が変わっても、私を私として見てくれる……そんな人、他にいない)


 胸が熱くなる。だけど同時に、これまでの三年間を思うと、その手をつかむのは気が引ける。

 自分は周囲の人たちを欺いてきたのだ。入学式から今日この日まで。

 ディアナの実家は国境沿いにある。辺境伯と呼ばれるのもそのためだ。学園に通う間は公都にある屋敷から通うため、その使用人たちを騙せば済んだ。

 幸い、ディアナは領地からほとんど出てこない令嬢だったため、彼女の常の様子を知る者は少なかった。公爵令嬢では使用人との雑談は控えるように教育されていたが、親しい者が誰一人いなくなった今、使用人ぐらいしか話せる者はいない。

 家族に会えないさびしさを紛らわそうと、使用人とお菓子作りをしたり、ピクニックをしたりして、心の悲しみを埋めてきた。

 冬休みの帰省では、実の娘ではないと気づかれるかヒヤヒヤとしたものだが、ディアナの両親は気さくで、心配は杞憂だった。

 おっとりとした性格に変わった娘の様子も、高等部進学による環境の変化のせいと結論づけ、実の娘のように可愛がってくれた。フランツェスカとして生きていた頃は、両親は仮面夫婦で躾は厳しかったが、愛情らしい愛情はなにひとつ貰えなかった。娘への愛は、すべて見た目が可愛らしい妹へと注がれていた。

 あの家で、きつい顔立ちの姉である自分の居場所はないに等しかった。だけど、そんな家族でも血を分けた大事な家族だ。幸せそうな妹を見ていることが、自分のささやかな幸せだった。

 しかし、ディアナとして生まれ変わった今のほうが、人並みの幸せを手に入れられたのも事実で。


(だけどもう……この幸せは破綻する)


 すべてはあるべき形に。

 自分は偽物のディアナだ。本物のディアナは目の前にいる。

 彼女の両親がこの真実を知ってしまったら、きっと娘を返せと叫ぶだろう。それほど彼女は愛されていたのだから。

 鉛を飲み込んでしまったみたいに、心がずしんと重くなる。

 そんなディアナの気持ちを見透かしたように、ヴィクターがそっと手を握ってくれる。彼を見つめると、その視線は二階のボックス席に向けられていた。


「大公夫妻、そこにいらっしゃいますか」

「うむ、ここにおる」


 凜とした声に誰もがハッと息をのむ。

 お忍びとはいえ、そのご尊顔は間違えようはずもない。いつもよりは質素な装いだが、その立ち姿は紛れもなくこの国の頂に君臨する者だ。


「お話は聞かせてもらったわ。婚約破棄をするんですって?」


 大公妃の問いかけにヴィクターが是と返す。


「さようにございます。こちらにいるフランツェスカとディアナはある魔法により、心が入れ替わっています。入学式の日から」

「……ッ……」

「殿下!」


 フランツェスカの唇がわなわなと震え、ディアナは短くたしなめる。しかし、ヴィクターは会場中を見渡して、声を大にして説明を始める。


「フランツェスカをよく知る者たちは皆、疑問に思っていただろう。どうして彼女がここまで変わってしまったのかと。これがその答えだ」


 会場に沈黙が下りる。その事実が肯定だと言わんばかりに。

 水を打ったように静かになったなかで、大公が不思議そうに問いかける。


「本当にそんなことがあり得るのか……?」

「大公の疑問も当然でしょう。入れ替わりの魔法は入学セレモニーの途中、ハプニングとして起こったものです。かの魔法使いを問いただしましたが、魔法が暴発した形跡はあったと。しかし、起こるべくして起こった事件ではなく、まったくの偶然の悲劇だったと」

「それが事実だとして、二人が元に戻る方法は見つかったのか?」

「いいえ。ずっと調べてきましたが、戻る方法はいまだ見つかっていません。そもそも偶然がいくつも重なった結果によるものですので、どういう原理で入れ替わりが起きたのか、それすらも判明していないのです」


 すらすらと答える息子の声に、大公は小さくため息をつく。


「では、その娘をフランツェスカとして娶ると?」

「いいえ。彼女は生まれ変わったのです。ディアナ・ユーリアとして。ディアナとして過ごす彼女は生き生きとしています。きっと環境がよかったのでしょう。戻る方法がない今、彼女はディアナとして生きていってほしいと思っています」

「……お前の願いは分かった。だが、これは私の一存で決められることではない。ヴァイス公爵とユーリア伯爵家の承諾も必要になるだろう」


 ヴァイス公爵の名前が挙がり、ディアナの体に緊張が走る。

 あの父親は自分の思い通りに進まないことには大層腹を立てていた。今回の真相を知れば、怒り狂うのではないだろうか。

 震えるディアナの背中をさすり、ヴィクターが柔らかく微笑む。彼は胸ポケットから二通の手紙を取り出した。


「実は両家から手紙を預かっています」

「なに?」

「娘の心が他人に変わったとはいえ、見た目は娘そのもの。当家は今後も実の娘として扱っていくという内容です。ちなみに、フランツェスカ嬢は隣国のジベール第二王子が正妃にとご所望されています。……いかがですか、フランツェスカ嬢」


 話の矛先が向けられ、フランツェスカは一瞬きょとんとした。

 ジベール第二王子は眉目秀麗で知られている美貌の王子だ。第二王子とはいえ、隣国の大国であれば、結婚後の生活は裕福に過ごせるに違いない。

 フランツェスカは新たな獲物に、まんざらでもない様子で答えた。


「お、お父様とお母様が了承されるなら、わたくしは構いませんわよ」

「お許しは出ているよ。あとは大公の許可のみです」

「隣国とつながりができるなら、我が国にとっても幸いだ。では、この場をもって、ヴィクター・フォン・シュヴァルツァーとフランツェスカ・ヴァイスの婚約は正式に解消する。ヴィクターの新しい花嫁はディアナ・ユーリア、君だ」

「はっ、ありがたき幸せでございます」


 まるで何かの舞台の台本のように進んでいく話に、ディアナは呆けていた。

 自分のことのはずなのに、他人事のように思えるのはなぜだろう。

 もしくは、これは夢かもしれない。入れ替わりの魔法で他の令嬢に成り代わって、一度は諦めた恋が叶うなんて。願望がそのまま現実になってしまったようだ。


「きゃっ!」


 気づけば、ヴィクターが笑顔で自分を持ち上げていた。いつもと違った景色に目を白黒させていると、幸せに満ちた顔と目が合う。


「これで、ディアナは俺のお嫁さんだよ」

「ヴィクター……殿下……」

「もう離さないからね。君は俺のそばにずっといて」


 ゆっくりと降ろされたかと思えば、強く抱きしめられる。

 彼の温もりに閉じ込められ、ディアナは小さく頷いた。

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