第14話 すれ違う思い

 多摩川上流の川べり。


 クーカは多摩川の上流に来ていた。インターネットで調べた廃キャンプ場跡に用がある為だった。

 彼女は山奥に一人で来ていた。街中で焚火をするのは躊躇われるからだ。

 ひとり焚き火をするのには訳があった。先日、海老沢から強奪した物ものを燃やしてしまう為だった。

 廃キャンプ場跡であれば、人目も気にしないで良かろうと考えたのだ。


 茶筒のような物の液体を捨ててから、中身を取りだして新聞紙にくるんだ。

 それを焚き火の中に入れて、しばらくはジッと湧き上がる炎を見詰めていた。

 薄く煙が空に昇っていく。それを風が攫って行っていた。

 クーカの髪を風が撫でていく。それは幼い頃に分かれた母親の手のような優しさだ。


「…………」


 木々の間を抜ける陽の光。耳元をくすぐる様な暖かさに心が華やいだ。久しく忘れていた感覚だ。

 クーカは風に誘われるように空を見上げた。トンビが遥かな高みを目指して飛び上がっていく所だ。


(……あなたは風になれるの?)


 クーカは空を飛ぶ鳥に、心の中で密かに尋ねた。トンビは彼女の思惑など気にせず空を駆けてゆく。


(自分にも羽が有ったら良かったのに……)


 クーカは風になりたかった。そうすれば何も考えずに済む。人の悪意に敏感な生活を送るのはウンザリしはじめているのだ。

 暫く空を眺めている間に焚き火の火が小さくなった。クーカは焚き火に水をかけて消した。

 消えた焚き火後を暫く見つめていたが、やがて踵を返して歩き去って行った。


 その様子を見ている男が居た。先島だ。門田への事情聴取に来たのだが捗々しく行ってなかった。


『彼女は男性に襲われたに等しいのですから……』


 藤井にそう言われて、家から庭先に追い出されたのだ。男が居ると彼女が怯えてしまうと言われていた。

 そして、庭先に出たところで煙に気が付いたのだった。


(何だろう……)


 煙が上がっている方に行ってみると、焚き火をしている少女がいた。

 何となく気になって車に戻って双眼鏡を取りにゆき、木陰から不思議な少女を見てみた。


(ん? ……泣いている?)


 少女が目元を拭いて空を見上げている所だった。


(煙が目に滲みたのか?)


 しかし、彼女の顔を見て驚愕した。

 クーカだった。


(本当にクーカなのか?)


 あれだけ探して見つからなかったのに、こんな人通り無い山中にいる意味が分からなかった。


(顔の特徴が一緒だしな…… でも、他人の空似の可能性もあるな……)


 先島はカメラを持って来なかったのを後悔した。下調べのつもりだったので車に置いて来たのだ。


(画像があれば藤井に顔認証させる事が出来たんだがな……)


 暫くすると、彼女は焚き火を消して移動を始めた。


(まずい、追いかけるか……)


 先島は急いで車に戻り、駅前に向かって走らせた。通り沿いに行けば追いつけるはずだった。

 だが、あまりに近いと怪しまれと思い。手短なスーパーらしき駐車場に車を止めたのだ。


(しまった、藤井も連れて来るべきだったか……)


 夢中になる余り藤井の存在を忘れてしまっていた。

 車も先島も居ない状況に、激怒している藤井の様子が目に浮かぶようだ。

 ところが一本道であるはずなのに駅前にはクーカが居なかった。


(追い抜いてしまったのか……)


 駅に向かっていたという事は電車利用のはずだ。車であれば先回りして尾行する事が出来る。


(やはり、藤井を連れて来るか……)


 しょうがないので帰ろうかと駐車場に戻ろうとした。すると、向こうから彼女が歩いて来るのが見えた。


(しまったっ!)


 こちらの駐車場には来ないだろうと思っていたのだ。

 先島に気が付かないのか普通に歩いている。きっと駅に向かうのであろう。

 もちろん、先島はクーカと直接会った事は無い。


 しかし、チョウが狙撃された現場に居た男の顔を彼女は知っているはずだ。

 どうしようかと思ったが、ここで引き返すと益々不自然になる。

 先島は知らぬ顔しながら、自分の車に戻る事にしたのだ。


 クーカと先島がすれ違った。ふと、先島は何気なくクーカの方にに視線を向けてみた。


「!」


 なんとクーカは横目で睨みつけていたではないか。


(ばれていたかっ!)


 やはり、クーカは先島に気が付いていたのだ。先島は咄嗟に振り向きざまに胸の銃を引き抜き構えた。


「くっ!」


 すると目の前に拳銃がある。しかも、減音器を付けた小型の拳銃だった。

 クーカも銃を引き抜いていたのだ。


「……」

「……」


 二人はお互いに銃を突きつけあったままで睨みあいになってしまった。


(どうする……)


 警察官の職務として、本来なら武器を捨てる様に勧告するべきなのだが出来ない。先に動いた方が負ける気がするからだ。


 先島には無限に思える時間だったが実際は五秒ほどだ。

 不意にクーカの目線が動いたかと思うと、自分の銃をさっさとしまってしまった。


「?」


 同時に先島の背後からなにやら賑やかな声が聞こえて来た。


「……」


 先島が振り返ると、どこかの家族連れがやって来る所だった。

 子供二人を含めた親子連れだ。河原のバーベキューを楽しんで来たのだろう。

 彼女が静かに銃をしまった理由が分かった。


(無関係な人間を戦闘に巻き込むのは良しとしないのか……)


 銃撃戦では狙いの逸れた弾や跳弾で普通の市民が怪我をする事が多いのだ。それは日本では考えられない事だ。

 外国などの街中で銃撃戦が始まると、街をゆく人々は地面などに伏せるそうだ。

 しかし、日本人だけはボォーっと突っ立て居るのだと聞く。身近に銃犯罪が無いので対処方が分からない弊害であろう。


「ふぅ……」


 先島がため息をついて振り返ると、クーカは歩いて駐車場を抜ける所だった。


(応援を呼んで確保するか……)


 このまま行かせるかどうかを悩んでしまった。何しろ疑わしいだけでは逮捕できない。しかも、見た目は十代の少女だ。


(まあ、それは…… 俺の仕事じゃないな……)


 先島は苦笑してしまった。長年追いかけていたチョウを殺害した疑いだけでは弱いからだ。


(クーカの目的を探る方を優先するか……)


 拳銃らしきものを所持していた罪で逮捕できるが止めにした。それよりもクーカがこの場所に居た理由を探る事にしたのだ。


(それに彼女が報告書の通りの強さなら、自衛隊でも呼ばないと俺の手には余ってしまう……)


 ようやく本音が出て来た。


 クーカが道を駅に向かってトコトコ歩いていると、隣に乗用車が停止した。見ると先島が運転している。


「……」


 先島と目線が合ったが無視して先を歩いた。

 すると、また乗用車がやって来て停止した。先島が両手の平を上に向けている。戦意は無いといっているようだ。


「……」


 クーカはため息を付いて助手席に乗り込んだ。


(自分の銃を突きつけたって事は、この男は警察関係者に違いない…… 応援が来るまでの時間稼ぎかしら……)


 クーカは彼が何を考えているのかに興味を持った。銃を突きつけられても動じないばかりか、自分に接触して来たからだ。

 大概の男は好色な目を向けるか、或は彼女を実力知っている者なら怯えた目で見て来るからだ。


「……駅まで送ってくださる?」


 クーカが何事もなかったかのように言った。


(日本語かよ……)


 先島はクーカがアジア系の女の子だと思っていたのだ。なけなしの中国語を使おうかと思っていた矢先だった。


「ああ、分かってる……」


 とりあえず、返答してみた。我ながら間抜けな返事だと先島は思った。もっとも、気の利いた言葉がパッと出て来るのなら、もう少し出世できていたのかもしれない。


「ああ、手伝うよ……」


 シートベルトを締めるのに手こずるクーカを手助けした。


「さっきはあの家族を巻き込まないでいてくれて有難う」


 続いて、先島が意外な事を言いだした。クーカはビックリしてしまった。

 ぱちくりとした目で先島を見詰めている。


「何の事かしら……」


 クーカは始めて逢った風を装っている。

 闘い終わって褒められることは有ったが、闘わないのを褒められるのは初めてだったからだ。


「ところで、日本では武器の所持は禁止されているんだよね……」


 そんな先島が言い出した。


「そんな物騒な物は持って無いわ」


 クーカは助手席の窓を開けて外気を入れた。


「自首するという手があるよ?」


 先島が話を続けて来た。


「何の罪で?」


 クーカは素知らぬ顔で答える。


「拳銃を持っていたじゃないか」


 先程の駐車場での出来事を言っているらしい。


「まあ、こんな愛くるしい少女に向かってなんて事を言うのかしら……」


 クーカは取り調べを受けても平気なように銃は隠して来た。後で、回収に来れば良いと考えていたのだ。


「しかも、殺し屋御用達の減音器まで付いていた奴だ……」


 減音器の事を知っているのは流石だと思った。一般的な日本の警察官は銃には詳しくないと聞いていたからだ。


「そんな物騒な物は持って無いわ……」


 もちろん、減音器もククリナイフも一緒に隠してある。


「俺に突きつけたじゃないか……」


 クーカは先島を殺すつもりは無かった。そのつもりなら先島は車を運転する方では無く、載せられている方になるからだ。

 銃を抜いたのは、先島の殺気に身体が反応してしまったせいだ。

 自分でも拙かったと思っていたので、家族連れの接近を察知した時にすぐに退いたのだ。


「突きつける? 何の事だか分からないわ」


 依頼されても居ない仕事を、彼女はやらない主義だったのだ。それに目に見える脅威と言う程ではない。


「あくまでも白を切るつもりなのか?」


 先島がムッとし始めた。からかわれていると考えたからだ。もちろん、当たっている。


「あら? それじゃあ私の身体検査でもなさる?」


 クーカは自分のミニスカートを少しめくってみせた。白い太ももがチラリと見える。


「ちょっ…… やめてくれ……」


 先島は渋面を作って前を向いてしまった。先島はこのくらいの年頃の娘が大の苦手なのだ。

 何を考えているのか丸で分からない。


クスクスクスッ……


 クーカは先島の反応が面白かったのか笑っている。一方で先島はムッとしたまま運転していた。


 やがて、車は駅に着いた。短いドライブは終わりだった。

 駅に着いたので助手席のドアを開けて上げた。クーカがシートベルトを外すのに手間取っているからだ。


「駅に着いたよ クーカ さん」


 先島は名前を強調して言って見た。どんな反応をするのか知りたかったのだ。

 だが、帰ってきた答えは意外な物だった。


「送ってくれて有難う。 サキシマ さん」


 クーカも名前を強調して返答しながらニッコリと微笑んでいた。


(どうして、こっちの名前を知っているんだよ……)


 かなり驚いたが顔には出さず、代わりに引きつった笑顔で手を振る先島だった。

 その様子に満足したのか、クーカは駅の中へと消えて行った。

 彼女は最後まで先島をからかっていた。

 先島は小さく首を振って藤井を迎えに行くため車を発進させたのであった。


 先島が警察手帳の紛失に気が付いたのは帰宅後だった。


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