第10話 引き際の選択

 とある暴力団組長のお家。


 何から守っているのか不明だがやたらと塀の高い家がある。防犯カメラを四隅に設置して万全の構えのようだ。そして、出入りするのはゴツイ男ばかり。

 ここは指定暴力団向山興行の社長宅だ。


 クーカはそんな屋敷の塀際に来ていた。


「……」


 クーカは人通りが無いの確認すると、塀の上を見上げてから跳躍をした。どんなに高い塀も彼女の障害にはならない。


 彼女はこの家の主に用があるのだ。

 チョウの始末を依頼して来たのは向山興行の社長さんだ。しかし、素直に言う事を聞かない殺し屋に業を煮やして『殺す』と口走ってしまった。クーカは敵対する者を生かして置く訳にはいかないので始末する事にした。

 つまり、彼女は殴り込みに来ているのだ。客では無いので玄関で出迎えてくれるとは思えなかったからだ。


 塀を飛び越え手頃な樹の枝を経由して地面にフワリと着地する。それは猫が高い所から降りような感じだった。音をたてる事無く移動するのは訓練で嫌と言う程やらされた。

 それは生存確率に影響するので厳しい訓練だったのだ。


「?」


 塀の上を飛び越える時に庭の様子を一瞬で見回した。敵地への偵察は優秀な兵士の印だ。脅威がある順番で敵を掃討しなければならないからだった。

 しかし、ぱっと見では庭に人の気配が余り無かったのだ。自分が来る事は向こうもしている筈なのに不思議に感じていた。


(逃げた? でも、家の中に複数の人間がいる気配がする……)


 広めの庭には樹木が生い茂っている。月の灯りが無い時には真っ暗と言っても差し支えの無い様相だ。


「……」


 クーカが樹の間から様子を伺っていると男たちが十人程出て来た。そして、自分の方をじっと見ている。どうやら感知されているに違いない。


(赤外線センサーだろうか?)


 動物や人間などの発する熱を感知させる警報機だ。暗視カメラ程ではないが暗闇でも可視化する事が出来る。


(赤外線ストロボを持って来れば良かったわ……)


 赤外線に反応するのなら飽和させてしまえば良いのだ。赤外線ストロボはそれが簡単に出来る。


(武器を持って無い?)


 出て来た男たちを観察していたクーカが首を捻った。

 男たちは上半身はシャツだけだった。この手の人たちは武器を隠すのにスーツを着たがる。


「?」


 仕方が無いのでクーカが暗闇の中から姿を現した。それは、闇を分けて出て来ると言う表現がピッタリだった。

 男たちが身構えるよりも早く、クーカは最初の男の懐に飛び込み掌底で顎を突き上げた。脳震とうを起こした男は仰向けのまま倒れていく。クーカはその男を踏み台にして右側の男に蹴りを入れる。

 顎に蹴りを入れられた男は何が起こったのか理解出来なかったろう。そのまま一回転して倒れ込んでしまった。

 地面に着地したクーカはそのままの態勢で左の男に肘を叩きこんだ。男が思わず前屈みになった所で後頭部を握り拳で殴る。これで気絶しない人間はいない。

 クーカはそのまま少し跳躍して四人目の男背後に回った。首筋と背中の心臓が有る付近を一緒に叩く、こうすると一瞬気を失ってしまう。そのまま五人目の前に蹴り出した。五人目は思わず抱え込もうとした。

 クーカはそのまま踵落としを5人目の頭に入れた。脳震とうを起こした五人目は膝から崩れてしまう。


 この間、五秒程度だろうか。

 仲間の男たちが瞬きする間にやられてしまっていた。残りの男たちが怒り心頭しているらしいのは手に取るように分かる。


「て…… てめぇ……」


 一人の男が唸り声のように漏らした。その男が小型のナイフを取り出した。ナイフの刃先がキラリと光る。

 そのナイフを見た途端にクーカの目つきが冷たくなった。戦闘モードに移行したのだ。

 クーカは外套の中に手をしまい、護身用のグロックを握り込んだ。煙幕を焚いて銃で弾幕を張りながら逃げる予定のようだ。


「ばかやろうっ! 死にてぇのかっ!」


 ところが隣に居た男がナイフの男を殴りつけたではないか。殴られたナイフの男は倒れてしまった。


「……」


 その妙な展開にクーカは戸惑った。そういえば多人数なのに闘いは常に一対一であったの思い出した。

 一番の疑問は彼らが武器を使わなかった事だった。


「なんのつもり?」


 クーカはその違和感が何なのか分かった。試されたのだ。


「失礼いたしました。 稽古を付けて頂いただけです…… 自分は舎弟頭の江藤と申します」


 ナイフの男を殴りつけた男は江藤と名乗った。


「こいつらが小娘に舐められるのが気に入らないと聞かなかったもんですから……」


 江藤の後ろに控えている男たちは全員頭を下げている。どうやら『小娘』には敵わないと理解出来たようだ。


『君らでは準備運動の相手にすらならないと言ったんだがね……』


 聞きなれた声が部屋の中から聞こえて来た。

 江藤は頭をさげたままで、部屋の中へと手を示していた。他の男たちは倒れた男を救護する者以外は微動だにしていない。

 クーカはため息を付いて部屋の中に入った。脅威は去ったと判断したのだろう。



 大きい部屋には赤いじゅうたんが敷き詰められ、高そうな応接セットが部屋の中央を占めていた。そこには家の主である向山興行の社長がいる。社長は顔を真っ赤にしてクーカを睨みつけて来ていた。

 その真向かいに見知った顔がソファーに腰かけていた。


『やあ、クーカ。 今日も素敵な衣装だね』


 そう言いながらにこやかに話しかけて来た。


『ヨハンセン……』


 クーカのコーディネーターだ。チョウの暗殺も彼の仲介で実行している。


『ところで、僕のお客さんを粗末に扱ってはいけないよ……』


 ヨハンセンは言った。恐らくは社長が泣きついた物と思える。彼はオランダ訛りの英語を話している。


『先に私を殺すと言って来たのはその男よ?』


 クーカも同じようにスペイン訛りの英語で返答した。彼女は日本語よりスペイン語の方が得意らしい。育ったのが中米なので仕方が無い事だ。


『彼は君のルールを知らなかったのだ。 一度は許すのが神の教えだよ』


 ヨハンセンは信じてもいない神の名前を出して来た。


『私は神様なんてあやふやな物は信じないタイプなの……』


 クーカは組長を睨みつけたまま答えた。彼女は頑固なところがある。一度決めた筋道はなかなか曲げないのだ。

 ヨハンセンはため息を付いて紙を取り出した。


『君の欲しがっていた情報だ…… 写真に写っている彼が持っているそうだよ』


 クーカはヨハンセンを見て、続いてヨハンセンが出した紙を見た。

 何より、隣室にいるらしい十数人の男たちがいる。さっきと違って武装してるに違いない。それらとやり合うのに時間がかかってしまうだろう。

 そして、それらの死体を処理する手間が惜しい。日本から脱出しなければならなくなるからだ。

 そうなるとヨハンセンが持って来た情報が活かせなくなってしまう。

 ここが引き際だと言っているに違いない。


「……」


 クーカは紙を受け取ると踵を返して部屋を出て行った。



 彼女が去った後、部屋の中に安堵の空気が流れた。


「本当にあんな小娘がクーカ何ですか?」


 江藤がため息を付きながら聞いて来た。


「ええと…… 辞めて置いた方が良いですよ?」


 ヨハンセンは流暢な日本語で答えた。それから煙草に火を点ける。クーカが煙草嫌いなので控えていたらしい。


「何がです?」


 江藤が疑問に思って口にした。


「あちらの部屋にいらっしゃる方全部でも敵わないのはさっきの闘いで判ったでしょう」


 ヨハンセンは広間に面した壁を指差した。


「ええ……」


 江藤は隣室に戦闘要員を集めて置いたのだ。

 コトリとも音もしていないのに気が付かれるとは考えていなかったらしい。ヨハンセンもそれなりに強いのだろうと感じた。


「人間を効率良く無効化する事を熟知している。 そして情けをかける感情を持ち合わせていない……」


 煙草の煙を吐きながら何かを思い出しているらしい。ヨハンセンは長い事クーカと組んで仕事をしているのだ。

 クーカの事を誰よりも知っている。


「彼女は人の殺戮に特化した狂戦士<<バーサーカー>>なんですよ」


 彼女の仕事ぶりを熟知しているヨハンセンは手にしていた煙草を灰皿に捨てた。


「……」


 ヨハンセンに見つめられた江藤は黙り込んでしまった。


「どちらにしろロシア軍の特殊部隊をナイフ一本で殲滅させた女の子にケンカを売るのは良くないですね」


 そう言ってヨハンセンは笑った。


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