第5話 蘇る亡霊

 乗用車の中。


 関東右山組の駐車場を見張っている先島と青木。狭い車内で時々体制を変えながら目を光らせている。


「監視チームの部屋を貸してもらえると助かるんですがねぇ……」


 朝から何度目かのボヤキを青木が言った。

 二人は挨拶には向かったのだが、けんもほろろに追い払われてしまった。


「それにして、あんなに邪険に扱わなくても良いだろうに……」


 まだ、ブツブツと文句を言っている。


「まあ、あちらさんも事件を横取りされると思ってたんじゃないか?」


 そんな青木に苦笑しながら言った。

 先島自身、向こうが検挙寸前に待ったをかけた事が何度かあった。潜り込ませた内部通報者を守る為だったが、そんな事情は一切説明はしないので結構恨まれたりしたものだ。


「まあ、ミニパトを呼ばれないだけでもめっけもんだよ」


 先島が苦笑しながら言った。

 公安警察の張り込みだろうと普通乗用車を使うので、知らない人が見ると不審者が停まっているように見える。

 以前に別の事件を追いかけていた時。所轄警察の捜査をジャマしてしまったらしく、嫌がらせのようにミニパトに職質された事があった。偶然などを信じない先島はわざとやられたに違いないと踏んでいた。


「青木は張り込みには慣れていないのか?」


 先島は軽く欠伸をしながら返事をする。


「僕はスリーパーを作るのが仕事でしたから……」


 スリーパーとは内部通報者だ。普段は何もしないが何か問題が起きそうな時にはこっそりと通報してくるのだ。仲間を裏切るように仕向けるので結構難しい仕事だった。

 青木は何度目かのカメラの動作チェックをしている。身体を動かしていないと寝てしまいそうだからだ。


「ああ、工作が専門だったのか」


 公安警察内部にも色々と部署がある。横の繋がりは無いに等しいので、同じビルに居ても挨拶すらしないのも珍しくは無い。

 仲良しこよしの組織では無いので、お互いに不干渉が鉄則なのだ。高度な機密情報を扱うので、全体を掌握する上層部以外は情報を共有しない。


「ええ、先島さんも似たような感じでしたでしょ?」


 青木が聞いて来た。


「ん、俺はもうちょっと汚い方だったな」


 先島が少し笑いながら答えた。

 先島は内部通報者を育てたり、監視対象が自滅する工作を行ったりしていた。


「ははは、五十歩百歩でしょ」


 青木はそう言って笑っていた。


「自分はですね…… 南安共和国への工作に失敗しちゃいましてね。 それで左遷させられたんですよ」

「?」


 自分が関わった事案かなと思ったが違う方らしいと気が付いた。


「ほら、去年の秋口に日本の外交官が、何故か日本の海岸に流れ着いた奴……」


 青木が運転席で身じろぎしている。どうやら関節が痛いらしい。


「ああ、新聞にチラリと載ってたな……」


 先島は双眼鏡を覗きながら答えた。


「あれ…… 実を云うと自分なんですよ」


 青木はケラケラと笑っていた。

 当時、青木は南安共和国の高官をスリーパーに仕立てようとしていた。友好国とは言え所詮は他所の国だ。政治家たちの本音を探る必要がある。だが、現地の諜報機関に発覚してしまい、激怒した機関に見せしめにボートで流されてしまったらしい。

 情けをかけてくれたのか、彼らは日本の沿岸まで連れて来てボートに載せられたのだ。当時は日本の外交官が密入国(?)と書かれたのを覚えている。

 外務省が慌てふためいていた。もちろん、工作を指示した公安側は知らぬ存ぜぬを押し通したらしかった。


「まあ、公安の上層部が臭いものに蓋するのは昔からだからな」


 記者会見は開かれず、マスコミも興味が無かったのかいつの間にか忘れ去られた。これも隠ぺい工作の一環と噂されていたがかくにんはされていない。


「先島さんの活躍も噂で聞いてますよ。 上層部の幹部をぶん殴ったんですってね」


 ここでも青木はクスクス笑っていた。上層部を激怒させて左遷させられた先輩が面白いらしい。もっとも、肝心な所は流れていないらしい。嘘に少しの真実を混ぜて、噂を流す事で本当の真実を隠してしまう。先島たちが良くやる手口だ。


(本当は撃ち殺したんだがな……)


 先島は本当の事は言うつもりは無かった。ただニヤリとしただけだった。


ブーーーンッ


 先島の携帯電話が震え、電子メールの着信を知らせて来た。仕事柄、入電やメールで電子音を鳴らす訳には行かないのだ。


『チョウが現れた模様』


 保安室で留守を預かっている藤井からであった。

 彼女は日本中を流れている電子情報から、チョウに関わる事柄を探り当てたようだ。


(さすがだな……)


 自分でもある程度はコンピューターの操作はやるが、専門家である藤井の方が遥かに上だった。

 僅かな手懸かりから真実を暴き出す。

 電子メールには画像が添付されていた。車の横に立つチョウが写っている画像だ。そのチョウの向かい合わせには、面相のよろしくない御仁が写っている。関東右山組の面々であろう事は一発分かる画像だ。


「俺たちの張り番が本命らしい……」


 先島は青木に画像を見せた。


「今、藤井が関東右山組の携帯電話を追跡しているそうだ」


 続いたメールには複数の監視チームを付けると室長が言っていると書いて有った。


「やはり、武器の取引なんですかね……」


 薬物取引の可能性も有るが、関東右山組は関西にある暴力団と抗争している噂がある。銃火器が喉から手が出るほど欲しいはずだ。


「インターポールによると、チョウはセルビアやクロアチアで銃を売り歩いていたそうだ……」


 先島に分からないのは、何故日本に来たのかだ。


(取引自体は部下に任せればいいんじゃないのか?)


 チョウには腹心の部下が何人かいるのを知っている。彼らに任せても支障はないはずだ。


「へぇ、国際的な武器のブローカーなんですね」


 青木は気の無さそうに車のエンジンをスタートさせる。一旦、自分たちの『会社』に帰る為だ。『会社』とは保安室の事、外出先では余計な詮索を避けるために『会社』と呼称しているのだ。


「日本人は金払いが良いからね」


 先島はそう言って苦笑した。


「あちらに知らせなくて良いんですか?」


 あちらとはマンションの一室を借りているマルボウの監視チームだ。


「向こうは自分たちでなんとかするだろう……」


 先島は軽く答えると車の発進を促した。一度、『会社』に帰って監視チームを編成し直す必要があるからだ。

 彼の関心はチョウに向いている。犯人検挙の手柄争いには興味が無いのだ。


(案外早くチョウに辿り着けそうだな……)


 先島には過去の亡霊が蘇って来る感覚がしていた。



 会社からの帰路の途中で先島は花屋に寄り道をした。今日は事故で死んだ妻子の月命日なのだ。

 自宅に戻り誰も居ないダイニングの灯りを点ける。

 テーブルの上には使われる事の無い食器が置かれたままだった。無人のテーブルを少し眺めてから花を花瓶に差し込んだ。


(そんなに花好きだったっけ?ってからかわれそうだな……)


 花は綺麗だなとは思うが、さほど好きでは無いというか無関心だ。


(花言葉はなんだったっけ?)


 妻が好きだったはずの花はパンジーだ。実を云うと覚えていない。

 その花言葉は誕生日に送る度に聞いていたはずなのに思い出せないでいる。


(好きの反対は無関心だと言ってたな……)


 家族の事を思いやると言うのは、男と女では決定的に何か違うのだろうと考えていた。

 自分では結構思いやってたと思っていたが妻の見方では違っていた様だ。


(その場その場で流していたからな)


 もう少し会話をすれば良かったと、居なくなってから後悔してみる。

 考えてみれば後悔ばかりの毎日だった。


(あれをすれば良かった、これをすれば良かったばかりだ……)


 そればかりだ。自宅で独りでいると考え事ばかりしてしまう。


(何か趣味でも有れば良かったな……)


 そんな事を考えてふふっと笑ってしまう。


(貴方には人を思いやる心が無いのよと妻によく言われたっけ)


 そんな事を考えながら先島はビールの缶をあけた。

 眠る事が出来るようになるまで何本もあける事になる。


(心の在り様が分からんのだがな……)


 警察に入ってからは平静を保つのが精いっぱいだったような気がする。


(自分を憐れんで罪悪感から逃げようとしてるのだろうか……)


 先島は誰も居ないダイニングテーブルを見ながら独り言を呟いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る