第106話12月12日今から何か見つけるって言うのは難しいよ
病院へ
普通の会話をするぶんには ラクに話せている ように見える
がやはり ちょっとしたことで精神が揺らぐ
面会中にお医者がやってくる
何かなと思ったら母が呼びつけたら様子
ずっと胸のあたりがぎゅうぎゅう締め付けられて苦しいので不安定剤が欲しいと
お医者は多少なり難色を示していたものの 強硬な母に折れてほんの少しだして様子を見ようということになる
俺も安定剤は反対
母があまりにも切実に訴えるので その場では何も言わなかったが安定剤なんか飲み続けたらただでさえ高齢者で認知症への道が近いというのに
それに拍車をかけてしまう
かといって放っておくと精神を病みかねない
最近では電話の内容のほとんどが今日は誰が来てくれるとか次はいつ来れるとかそればかり
そればかりを指折り数えている
もっと楽しい会話ができればと思うのだけれどもあまり楽しい話題というのも本人を追い詰めていることがよく分かる
その場その場では笑うけれども
いざ電話を切った時の寂しさが大きくなるからという
事務的なこととか今後の話とかそんなことばかりを詰めると
それもまた苦しいらしく辛い辛いと言う
電話をするのは全然構わないし俺も喋りたいのだけどね
そうやって外の繋がりばかりを探して
それがないとどうにもならないという精神不安の中に居続けるのは
現実問題としてリハビリにも影響がある気がする
もちろんそう簡単に全部を受け入れて病院での生活を楽しむなんてことは到底できない
前向きぶりたい人はなってしまったものは仕方ないんだから入院生活を楽しもうぜって言うに違いないし
なんとか楽しもうといろんなことをするんだと思う
それ自体は 悪いことじゃない
お見舞いの人が楽しませてくれるのは本当に嬉しいこと
だけど当事者はね
それがどこかしら茶番じみていることを感じてしまうんだ
病院入院生活を楽しむなんて できないんだよ
だって望みは一秒でも早く帰りたい
1秒でもここにはいたくない
それに尽きる
楽しくないんだ 何一つ
それを無理やり楽しもうとしている、でもないんだよ
楽しもうという気が起きないんだ
母はそう言っている
そして俺もそれはすごくわかる
楽しむという感覚がまるでない
誰かと話していて笑うこともある
正直なところ楽しい気分になることだってある
それは本当に悪いことじゃないと思うし楽しいのはいいことなんだよ
でも 結局回り回って何でこんなことしてるんだろうに辿り着いてしまう
入院生活を楽しむができればねいいと思うんだ
だから俺もいろんなことを提案する
一生懸命話す
盛り上げようともする
けれどね ひとりになっちゃうとさ
なんでここにいるんだろうって思うよね
母がいうには
本を読む気にもならない
テレビを見る気にもならない
それでもテレビをつけて賑やかな音声を耳に流し込んでおけばなんとなく時間が過ぎる
そして眠くなって寝る
怖い
認知症にどんどん近づいていくじゃん
かといっていろんなことをちゃんと考えようとすると精神を病むじゃん
いろんなこと頑張ったらまた倒れるかもしれないじゃん
本当に母が苦しい苦しいというのがよく分かる
その閉塞感がよくわかる
それを改善してやれないのがどうにもやるせない
そんな中 年末の予定がいろいろと浮かび上がってくる
外泊をするのか外出をするのか
俺はどれぐらい通えるのか誰が来てくれるのか
1日でも家に帰ってきてくれればと思うんだよ
それはあまりにも大きな作業すぎて
それを詰めようとすると俺も母もうつ気味なっちゃうので やめる
楽しい会話をしても ふと現実を見ると目が暗くなる母がいる
楽しいが 心を蝕んでいる
でも楽しいがなければ 心は病んでいく
一体何が必要なのか
お金だよね
仕事を最低限まで減らしてもしくはやめて
朝から晩まで一緒にいれるよね
朝から晩まで訪問リハビリの人に来てもらってゴリゴリにやってもらうとかね
お金持ちになれたらいいよなと思う
なんて幼い幼い 妄想にとりつかれて
俺の方もかなり精神的に参っているよ
まあ俺のは母なんとか比べ物にはならないしベクトルも全然違う
しんどいしんどい言いながらもそれなりにやれてる
いろんなね 将来未来 退院後のことを考えたりすると厳しいんです
どうなっていくのかね
いかんせん一人だからね これまでは大変なことはまあなんだかんだ二人で やりきってきたけど ここまで完全に一人だと
一人一人言うと失礼だよね
近所の方も教え子も 粉骨砕身で 母を見舞ってくれる 協力してくれる 本当に感謝してもしきれない
そこじゃないんだけどね
しんどいなって言ってるの一人だって言ってるのは
要は母のリアルと向き合っていかなくてはならないという部分
母を楽しませてあげる何かをしてあげるのレベルじゃなくて
母の壊れた部分を壊れてなかったところにどうはめ込んでいくのか
生活全てからできないことを全て削ぎ落としていく
その生活がどんなものになるのか
それを主とした生活され楽しめばいい
ポジティブな人はそう言うんだろう
俺もねそれはそう思うんだけど
これまで 削ぎ落とし削ぎ落とし削ぎ落とした状態
かき集めるようにしてかき集めるようにしてかき集めるようにしての
楽しみを 作ってきた人生だったからね
すでに削ぎ落とした中での楽しみを見つけるっていう生活をしてきちゃったからね
ここからそぎ落としたらて何が残んだろうと思う
そこだよね
本当に 10円どころかさ5円6円を節約してさ
それでも銀行のタイミング悪いと電気で沸かすとが余裕で貯まるんだぜ
そんな中なんとか捻出してスポーツ 観戦に行生き続けた
母の体調にもよるけどそれももしかしたら行けなくなるかもしれない
なんとか手話のグループだけは継続したいけれど
これまでのように遠くのイベントへの参加協力ができなくなる
そしたらも何を楽しめばいい
て言われると思うんだよ それが出来なかったから削ぎ落とされちゃったんだろ
自分達なりに楽しめるものを探したんだよ
クリスマスだからって年末年始たからって大騒ぎすることもままなかったし
成人式だとか誕生日だとかも興味なかった
そういった季節ごとの行事で言えばお墓参りかな、楽しく一生懸命やれた人並みの行事っていうのは
県を越えて墓参りに行ったり
遠い遠いところまで行ったり
お稲荷さんを作ったり
焼きそば弁当を作ったりしてそれを駅のホームで食べたり
ほんの少しでも
お金を削って削ってしながらだったけど
それぐらいかな
人並みに楽しかったことは
これもね遠方への行楽みたいなところがあったから
多分今後削ぎ落とされるんだろう 俺も何にもなくなっちゃうんだよ
新しく何買ったってね
その新しく何かを10年以上探してて、なくて
その10年の中でなんとか見つけてなんとかバランスを取って
自分たちが本当に楽しめたものがスポーツ観戦だったり手話団体だったりしたわけだ
そうなってくるとね 今から何か見つけるって言うのは難しいよ
母だけじゃなくて俺も高齢だし
そもそも興味はないものに食いつけないし
テレビを見ててもつまんない
俺なんて10年以上テレビ見てないし
母も自宅ではテレビをつけっぱなしでいたけどだいたい面白くない面白くないとってぼやいてたし
漫画読んだりっていうのも
他の趣味になだれ込んだんだしね
本当にこれまでいろいろやったんだよ
劇を見に行ったり映画を見に行ったり
ゴルフもやったコーラスグループで歌も勉強した
卓球もやった
色んなことをやってきた
その他で言うといろんなボランティアやった役員もやった 学童保育中野会議にも出てるそれとことは山ほどやってる
それ母であり楽しみでもあった
そっちも全部もう剥奪されてるよね
その状態で 母が楽しい人生で何なんだろうと思う
毎日ね
面白がらせてやることはできるんだよ
言えばさ 20年だよ 10年間 色々と試してできることを探して
ようやくみつけたものがあって
それを十数年かけて楽しんできた家はボロボロだし
色んな事が駄目になっている中で
それでも悦びがはりになってきた
それがもしだ
全部駄目になったとして 今から10年やり直すのは無理だよ
日々の生活を楽しくたってね
それができねえんだよ
大追われるからお金にもあれにもこれにも
だから必死に必死に貯めこんで
スポーツ観戦につぎ込んで
そこをはりとして自分たちのアイデンティティとして
頑張ってきた
いわばね その観戦はね それ自体というよりも自分たちにとってはコミュニケーションツールでもあり お薬代わりでもあった
それがなくなったら何を探せってんだろうな
何もねよな
無理なんだよ
なんてことをぐずぐず言いながら
それでも 生きるんだよな俺も母も
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