第62話11月19日思い出を作るとか一生懸命生きるとかって何なんだろうな

母の 車のエンジンをかける

ほっておくとバッテリーが上がってしまうため

車検も近い 色々と 悩ましい

現実的には もう二度と乗ることのない車なのだけれども 母としては置いておきたい 意向がある

俺も唐突に 運転手を失ったこの車を 母に合わせることなく 車検を 通さないで 廃車にするというのは 何となく 寂しい

運転手席に座って エンジンをかけると 身体全体がギシギシ言う

母がずっと見ていた光景であり 俺はその隣にずっと座っていた

母が帰ってきても もう二度とそのポジションで 出歩くことはない

だからお前が今度はその運転手席に座る母が助手席に座ればいいんだよと みんなは言うし俺もそう思う

それがきっと前向きな考え方なのだろう

分かってはいるしそのつもり

そういうことではなくて もうそれがないという確固たる答えというのは 殊更に重い

頭での理解や 前向きな考え方程度では払拭できない

それはどうしようと唐突に 内側から突き刺してくる 記憶なので

その記憶すらもなくしてしまうと 本当に元気だった頃の母そのものも消えていく気がする

実際 ほんの2、3週間前の ありふれた日常が思い出せなくなっている

部屋で作業をしている俺のところにゆっくり顔を出して ナンダカンダ 面倒事を言ってくる 母の姿も もはや遠い

愛猫と喧嘩しながら追いかけっこしていた姿も

部屋で 手話の勉強している姿も 一つ一つが 全部嘘みたいな 面白くもない深夜ドラマみたいな ふわっとした 落書き に見える

そんなふうに忘れないと、もしくはぼやかさないと 本当に気が狂ってしまうのだろうなとも思うんだ

全部覚えていたらどうしても今と比較してしまうし

息をしたら どんなに前向きだなんだといったところで 今より以前の方が よかったに決まってる

こうやって忘却することで前に進む のだとしたら

思い出を作るとか一生懸命生きるとかって何なんだろうなと思うよな

思えば 小学校中学校 あたりまで とても苦しいバタバタとした家庭環境だった

だからその当時の記憶があまりない

高校時代は 極力自分自身のしたいことを先行してそういうごたごたを完全にファンタジーとして切り離そうとしていたので 精神的にしんどかったということはないけれど

その代償としてなのか家庭や家族との思い出というのは無いに等しい

だからここ10数年、母と二人で義理事をこなしたり 買い物に行ったり 遊びに出たりというのは 俺にとっては気晴らしという以上に 人生の中で 希薄に過ぎた 家族との記憶を補完するものだった

それが前向きに頑張るという気持ちのもと 薄らいでしまうのは あまりにも無惨な話で

両立できれば良いのだろうけど

さっきも言った通り それはそれで 鬱々としてしまうよ

まとめるとさ

これまでの楽しかった記憶

これからの楽しくなるはずだった 予定

現在の困難

取り上げられてしまったもの

その状況下でいかに前向きになるか

その中で 俺が どれだけ 精神を病まずに 暮らせるか

そのために何を捨てて何を取るか せなければどうなるのか

俺について言えば そういうこと

母について言えば それらに加えて自分の身体状況が何より不安で苦しいだろうし

それと同じくらい周囲へ気を使ってしまうので 俺にも気を使ってしまうので

過大なストレスを抱え込んでしまっている

どうしてあげればいいのかが 分からない

とりあえず 瞬間瞬間の 出来事を しっかりとクリアする

前向き言ったって 向いた向こうに 大したものがなけりゃ

向いたそっちって、前、なのかな

なんて思うよな

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