シルバー・オブ・ザ・デッド

あやねあすか

死者 -生きとし生けるもの-

 1998年。

 正直ガキンチョの頃だったので詳細はよく覚えていない。

 目の前のベッドにじいちゃんが横たわっていて、ベッドの側には医者とナースが死神のように突っ立っていた。

 俺の隣では父さんが歯を食いしばるように泣くのを我慢していた。

 部屋の天井の隅っこでは先に亡くなったばあちゃんの顔写真がベッドの上のじいちゃんを見ろしていた。

 映画のように医者が「ご臨終です」と言ったのか記憶が定かではない。脈をとったのかも定かではない。とにかく医者が俺の父さんにじいちゃんが死んだことを告げたのは確かだ。

 告げられた父さんは涙をぼろぼろこぼしながら泣いた。泣きながら「オエッ」とか「ウエッ」とか吐きそうな声をもらしていた。俺は最近国語の教科書で習った「嗚咽を漏らす」という表現を思い出していた。

「とうさぁああんん」

 俺の隣で父さんが叫んだ。俺の父さんが「父さん」と叫ぶことが俺にとっては新鮮な出来事だった。父さんはいつも「じいちゃん」と呼んでいたし、少しからかい気味に「じいさん」と呼ぶときもあった。父さんは俺に合わせて自分の父親のことを「祖父」扱いしていたのだ。

 だから、祖父扱いがなくなった今、父さんの中で何かが決壊したのだと思った。

 生前、じいちゃんは物腰の柔らかい人だった。よくいう頑固親父なところは全然なかったし、無口でもあった。

 今思えば孫である俺にどう接していいかわからなかったのだと思う。俺になにか多くを語ることは極力なく、夏休みに花火をやろうと誘ってもじいちゃんは恥ずかしがって参加しなかった。

 そんなじいちゃんが饒舌になったのは山に行ったときだった。

 じいちゃんは俺をよく広島県廿日市市の吉和に連れて行ってくれた。そこでじいちゃんはカマキリの卵を見つけたり、クワガタムシを見つけて俺によく見せてくれた。

 ガキの俺はそういうのを喜んだ。小学生男子にとって昆虫はお宝以上の価値があるもんだ。小刀で木に傷をつけて樹液を取り出したこともある。

 じいちゃんと出かけることは、俺にとってわくわくすることばかりだった。

 一方で迷惑なこともあった。じいちゃんはナメクジやムカデも俺に差し出してきた。

 俺はそういうやつらが苦手だった。いや、嫌いだった。

 カマキリやバッタやクワガタムシやカブトムシは好きだが、ナメクジやムカデは本当にダメだった。

 幼い俺はじいちゃんにそれらの生き物を差し出されると叫ぶように泣いて大慌てで走って逃げた。あまりにも慌てすぎて川に落ちたこともあった。

 自然が大好きなじいちゃんにとってクワガタムシもナメクジも等価値だったのだろう。

 じいちゃんに悪気がなかったことはわかる。

 そんな命を等しく見るじいちゃんが今俺の目の前で死んだ。

 父さんは隣で泣きじゃくっているが、俺はまだじいちゃんが死んだという実感が湧かなかった。

「では、そろそろ。急いだほうが」

 医者がそう言った。

 父さんは何も返さず、ずっと泣いていた。

 医者もナースもソワソワしていた。なにかに怯えているようだった。

「急がないと、危険です」

 医者が父さんを説得した。

 俺はなにがなんだかわからなかった。

 なんでこんなに慌ただしいんだろうと思った。

「おね…が……い…します」

 父さんが苦しそうに言った。

 医者とナースは急いで部屋を出ていった。玄関のドアを開ける音がして「お願いします」「少し急いだほうが」などとひそひそ声が聞こえてきた。

「おっし、じゃあ行くか」

 と、明らかに俺らとは対になる威勢のいい声が響いた。

「おじゃましまーす」

 俺らの許可を得ることなく、威勢の主はドカドカと騒がしい足音を立てて部屋に入ってきた。

 俺はますます何が起こっているのかわからなかった。

 体格のいい声のでかいおっさんが一人入ってきたかと思うと、他にも背の低いちっこいおっさんが入ってきて、さらにメガネをかけたニヤニヤしたおっさんも入ってきた。

「じゃ、はじめますわ」

 体格のいいおっさんがそう言うと、ゴム手袋をしてガスマスクのようなものをかぶってベッドの上のじいちゃんの上に跨った。

「ほい」

 体格のいいおっさんが右手を差し出すと、背の低いおっさんが木製のでっかいハンマーを手渡した。

「はい、親方」

 どうやらじいちゃんの上に跨っている体格のいいおっさんは「親方」と呼ばれているらしかった。

 親方はハンマーを高々と持ち上げると、勢いよくじいちゃんの顔に向かって振り下ろした。

 バキンっ!

 っという音と共にじいちゃんの上唇が凹んだ。

「こりゃあ前歯が折れたな」

 親方が淡白に呟いた。

「おいしょ!」

 またハンマーが振り下ろされると、今度はじいちゃんの鼻が潰れた。

「親方、横から殴った方がいいですよ」

 背の低いおっさんが親方の後ろからアドバイスをした。

「横からね。あー、はいはい」

 親方は気だるそうにハンマーを斜め横から振り下ろした。

 じいちゃんの顔は殴られた勢いで、ぐりんっと俺らの方を向いた。

「もういっちょ!」

 もう一度殴られると、じいちゃんの左の眼球が飛び出した。

「ひぃっ!」

 俺は思わず声をあげた。

 メガネをかけたおっさんが俺を見てニヤニヤ笑っていた。

「子どもには刺激が強すぎたかな」

「なんで家族がここにいるんですかね」

「立ち会いたいんだとさっ。おいっ! 怖いんなら部屋出ていけ。邪魔だわ」

 俺はおっさん達から冷たい言葉をぶつけられた。

「次、頭蓋骨行くぞ」

「ほい」

「いいね」

 親方はハンマーを素早く何度も振り下ろした。

「おらっ! おらっ! おらっ!」

 俺を見つめているじいちゃんの顔は殴られるたびに上下に揺れた。まだ亡くなって間もないからか赤い血が噴き出した。

 血は床だけでなく壁や天井にも飛び散り、俺の顔にもかかった。

 俺は怖くなって逃げ出そうとしたが、腰が抜けて立ち上がれなかった。

 尻もちをついたまま後ずさりする俺を見て、メガネのおっさんがニヤニヤ笑っていた。

「かってぇーな。骨粗鬆症じゃねぇのかよ」

「まぁ頭蓋骨は丈夫ですもんね」

「しゃれこうべは最後まで残るイメージありますもん」

「このベッドが柔らかいんだよ。床でやっちゃおうか」

 親方はベッドから降りて、じいちゃんを床の上に転がり落とした。

「うん。畳だけど、これならやりやすいわ」

「今日これ一件だけだから、はやく終わらせましょうよ」

「わかってるって。そろそろ起きそうだから、先に歯抜いちゃおうか。そしたら噛まれないし。ポンププライヤーちょうだい」

 おっさん達はまるで居酒屋トークのような軽いノリで話している。

 こっちはじいちゃんが目の前で殴られてるのに、こいつらなんなんだ。

「……やめろ」

 父さんが小声で呟いた。

「…やめろ」

「ああ? なんか言ったか?」

「やめろって言ってんだーーーーー!!!」

 これまで俺が聞いたことないくらいの大声で父さんが叫んだ。

「お前…ら……お前ら…お前らが殴ってるのは俺の父親だ。お前らは、人の父親をぞんざいに扱って」

 父さんは床に横たわっているじいちゃんに近寄って、じいちゃんの顔にそっと触れた。

「こんなに…なって……こんな酷い扱い…されて……酷い…酷い…かわいそう」

 父さんは親方を睨みつけた。

「お前らには人の心がないのか。人の家に上がり込んできて、家族をなぶり殺しにして」

「なぶり殺しって、もう死んでるんだよ」

 背の低いおっさんが言った。

「お前! お前らのそういう態度! そういうのが腹が立つんだ」

 親方はつまらなそうに耳を掻いていた。

 メガネのおっさんはニヤニヤ笑っていた。

「なにがおかしいんだお前!」

 父さんはメガネのおっさんに掴みかかろうとした。

 だが、次の瞬間親方が父さんの胸ぐらを掴んで、そのままゴミ袋でも投げるかのように軽々と父さんを投げ飛ばした。

 壁に打ち付けられた父さんは慌てた表情をできる余裕もなく、ただただ突然の出来事にぽかんと口を開けているだけだった。

 親方は父さんに近づいて、何度も足や腹を踏みつけた。

 その様子を見て、俺は初めて親方達が土足で挙がっていることに気づいた。

 親方は重そうなブーツで何度も俺の父さんを蹴ったり踏みつけたりした。

 父さんは助けを求めるような目で俺を見てきたが、俺も足がすくんで何もできなかった。

「お前、自分が殴られないとでも思ってたのか。あぁ!? そうやって偉そうにクレーム言うやつは自分が暴力振るわれないと思いこんでる平和ボケバカなんだよ! お前らが自分で自分の家族の遺体を処分できないから俺らがこうやって一軒一軒廻って処分してるんだ。俺らは国に認可された活動やってるんだよ。ようは、国が俺らにお前んとこのじじいを殴り殺してもいいって言ってるわけだ。俺らは、国に頼まれたから「はい、わかりました」と返事をして人が嫌がる仕事をしてるわけだ。お前は、自分とこのじじいも殺せない弱虫クズなんだよ!」

 親方はようやく蹴るのを止めた。

 親方は息が上がっていた。

 父さんはすっかり怯えて体を小さくしていた。まるでレイプされた少女のような有様だった。

「お前も弱い父親持って大変だな」

 親方は俺の方を見て、そう言った。安全ゴーグルの奥で、親方の目は笑っていた。

 親方の背後に、人影が浮かび上がった。


 じいちゃんだった。


 床に横たわっていたじいちゃんの遺体が糸で引っ張られたようにすくっと起き上がったのだ。

 俺は小さな悲鳴を上げた。

 じいちゃんが起き上がるなんてそんなはずはない。さっき医者はじいちゃんが死んだと告げたはずだ。

 じいちゃんは糸で吊り下げられているように不安定に立ち竦み、油をさしていない機械のようにぎこちなく首を回転させて、俺の方を向いた。

「ありゃりゃ。起きちゃったか」

 じいちゃんは「ゥ〜」と小さく唸りながら視線を親方に移し、両腕を前に持ち上げると「がああああァァァァァァ」と叫びながら親方に掴みかかった。

 親方は素早くハンマーを捨ててじいちゃんの両腕を掴んだ。

 両腕を掴まれたじいちゃんはなおも抵抗して、頭だけを動かして親方に噛みつこうとしていた。

「おいっ、こいつ抑えろ」

 背の低いおっさんがじいちゃんの背後から掴みかかった。

「ペンチペンチペンチ」

 メガネのおっさんが親方にペンチを渡した。

 親方はペンチをじいちゃんのこめかみに突き刺した。

「っのやろう!」

 親方はこめかみからペンチを引き抜き、今度はじいちゃんの右の眼球に突き刺した。

 何度も何度も突き刺した。突き刺すたびにぐちゅっぐしゅっっという音が響いた。

 親方は垂れ下がっているじいちゃんの左目を握ると、ピンポン玉を凹ませるように親指で眼球を潰した。

「あああああぁァァァァァァ」と叫ぶじいちゃんをベッドに倒すと、拾ったハンマーをじいちゃんの口の中に突っ込んだ。

「あっちへ運ぶぞっ!」

 親方はじいちゃんを引きずって部屋の隅に連れて行った。もがくじいちゃんを何度もブーツで踏みつけて脚の骨を折った後、「ほらっ! やるぞ!」と叫んでばあちゃんの形見の衣装箪笥を思い切りじいちゃんの上に倒した。

 床が抜けるような大きい音がした後、衣装箪笥の下から血が流れてきた。

 下敷きになったじいちゃんの脚と腕はまだぴくぴく動いていた。

「後は燃やすっきゃねぇな」

 親方は安全ゴーグルとマスクを外した。

「ほら、お前らは出ていけ。この家燃やしちまうぞ」

 俺は泣きじゃくっている父さんの側に駆け寄った。

 この世の中はなんて優しくないんだ、と子どもながらに俺は思った。

(続く)

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