二十七 月とともに(一)

 

 つばさくん、かけるくん、きみたちも聞いていて疲れただろう。巻菱まきびし先生はいかがですか?

 やりたいことが見つかったあとのここからは、どんどん話を進めていきますね。

 開元かいげん十四年(七二六年)、仲麻呂が仕事で長安より東にある第二の都、洛陽らくようへ移った。吉麻呂もついて行った。

 この頃の仲麻呂は〝朝生美無度(朝衡ちょうこうの美しさははかることができない)〟と言われたほどの男前になっていて、一年後、仲麻呂は洛陽で結婚をした。相手はとある名家の娘だったが、わたしは彼女にはほとんど会ったことがない。

 そしてこの年、とうとう日本人留学生に対する唐朝廷からの学費支給が終了した。

 真成まなりはさっそく蜀に行くと言い出した。張進志ちょうしんしに会いに行くというのだった。

 真備まきびは引き留めなかった。

 真成は、

「この広い唐をいろいろと見て回って来る。帰って来るのがいつになるかはっきりとは言えないが、たぶん三年はかかるだろう。なるべくふみを送る。真海まうみ、兄さまを頼むぞ」

 わたしは泣きながら彼を見送った。

 ところが彼が文を送ってきたのは始めの二年だけで、その後は全く音沙汰が無くなってしまった。

 わたしは毎日彼の無事を祈りつつ、自分の仕事を進めた。日本に帰ったらできるだけ長安のことを詳しく話せるよう、これまでのことも含めた日記をつけはじめたのだ。

 さらにわたしは羽栗翼はぐりのつばさかけるが子どものための学問塾に通い始めたのでその付き添いをして、自分も講義を耳に入れた。

 わたしは二人とともにあらためて字を学び、書物を読んで学問を始めたのだ。それは楽しい時間で、目標に向かっていると、時というものはあっという間に過ぎるのだった。

 真成がようやく長安に戻ってきたのはなんと五年後、開元二十年(七三二年)だった。しかも何の前触れもなく帰ってきた。

 その頃には仲麻呂はまた長安に戻ってきていた。彼はさらに出世して、皇帝の寵臣のひとりとなっていた。そんな仲麻呂には同じ日本人留学生仲間といってもなかなか会うことはできなくなっていた。

 ある日突然仲麻呂に呼び出されて、真備とわたしは彼の屋敷に駆けつけた。いったい何事かとわたしは胸騒ぎが止まらなかった。

 すると仲麻呂の横に真成がいたのだ。

 五年ぶりに見る彼は少し太って、髭もだいぶ濃くなり、わたしはすぐに彼だと信じられなかったくらいだったが、

「真海、元気だったか?」

と、あの優しい笑顔を見せてもらうと、わたしは感激で胸がいっぱいになり、こらえきれずに彼に飛びついた。

「お帰りなさいませ! 真成さま」

「友よ、だろ?」

 仲麻呂は目を丸くしていた。そばにいた吉麻呂は吹き出した。

「友? 尻尾振ってる犬みたいだぞ?」

 わたしは嬉しくてたまらなかった。

 これからはずっと彼と一緒にいられる。あとはもう四年ほど、次の遣唐使船が来るのを待つだけだ!

 真成はこの五年間について話し出した。彼は蜀だけでなく、南の蘇州や北の登州とうしゅうの方にまで放浪していたのだった。

「蜀では李白りはくという面白い男に出会ったよ。大酒飲みだが作詩の天才で、どんなに酔っ払っていてもたちどころに当意即妙の詩を作ってしまう。おれが弟の朝衡ちょうこうも詩を作るのが好きだと言ったら“朝衡の名はこの蜀にも届いている。いつか会ってみたいものだ”と笑っていた。あれは本当に不世出の詩人だ。彼はいずれこの都長安に出て来ることになるだろう。そうしたら仲麻呂とは本当に親交を結ぶだろうな」

 真成は仲麻呂に微笑みかけた。

 仲麻呂も笑みを返したが、なぜか寂しげだった。わたしはまた胸の中がざわざわとした。

 真成は真備とわたしに向かい直った。その顔からは笑みが消えていた。

「兄さま、真海。実はおれは蘇州にいるとき、現地の商人たちから来年あたり日本の遣唐使船が来るらしいとの噂を聞いた。日本では新しい遣唐使船の建造を始めたらしい」

 真備とわたしは驚いて顔を見合わせた。

 それまで黙っていた仲麻呂がようやく口を開いた。

「どうやら本当のようです。宮廷の方にも同様の情報が入ってきています」 

 真備はひとつ大きく息を吸ってから、

「ではあと四年待たなくて済むのですね」

「……兄さま、おれはやっぱり一緒に帰らない」

 真成が呟いた。

 わたしは耳を疑った。

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