二十六 井総之交(一)

 開元かいげん十一年(七二三年)は、わたしにとって大きな意味のある年となった。

 まず悲報が相次いだ。金仁範きんじんぱんの父親が亡くなり、金仁範は喪に服すため新羅しらぎへ帰った。

 彼は崇義坊すうぎぼうの東側にあった宣陽坊せんようぼうの彼の家を真成まなりに与えた。このころには真成は四門学しもんがくを卒業し、真備同様私塾に通っていた。

 そしてあの美しい元蘇蘇げんそそがこの世を去った。胸の病を得てあっけなく死んだのだ。

 まさに佳人薄命、彼女はまだ二十四歳だった。

 死の間際、彼女は自分の髪の一房を切り真備と真成に半分ずつ分け与えて、真備には帰国の際に持って帰って海を見せてくれと、真成にはもし元家の商隊に入るなら、ともに持って行って西域を見せてくれと言い残した。

 それから真備の家の下女、孫婆さんが死んだ。わたしは葬式の手伝いに来たさい家の女たちが呆れて思わず笑ってしまうくらい泣き叫んでしまった。 

 崔温嬌さいおんきょうはすぐに新しい下女を二人寄越した。一人は四十過ぎの女で、家事はすべてこの女がやった。もう一人は二十歳にもならない若い女だった。字の読み書きができ、琴も弾く教養のある彼女は、真備に向かって微笑むだけで何もしなかった。

 要するにこの女は崔温嬌の身代わりなのだった。

 元蘇蘇を失った真備は彼女を自分の部屋に招き入れるようになり、やがて女は身籠もり子を産んだ。生まれたのは男の子だったが、すぐに崔温嬌に引き取られ、その後どうなったかは分からない。

 真備の家にもいづらくなったわたしはよく羽栗吉麻呂はぐりのよしまろの双子の息子、つばさかけるに会いに行った。

 五歳になっていた翼と翔はわたしが来るといつも大喜びで、わたしをおじさんと呼び、手を引っ張って庭に連れ出しては一緒に遊ぼうと誘った。わたしはほとんど彼らのいいなりだった。

 あるとき翼が木の枝を拾ってきて何か絵を描いてくれというので、わたしは地面に鶏の絵を描いた。

 翼と翔は、

「こんなの鶏じゃない」

「こんなの鶏じゃない」

 考えあぐねたわたしは二人の似顔絵を描いた。

 子どもたちはやっと興味を示して、

「どっちが翼?」

「どっちが翔?」

 わたしは二つの顔の絵の下にそれぞれ翼、翔と字を書いた。

 二人は字を見て、

「これ何?」

「これ何?」

「これはきみたちの名だよ」

 !

“ほら、これがおまえさんの名だ〟。

 二人は目を輝かせて、

「ぼくも書く!」

「ぼくも書く!」 

 わたしは早くなった胸の音をからだの中で聞きながら、まず翼の小さな手に木の枝を握らせて一緒に字を書いた。

〝翼〟

 それから翔の手を取って同じように書いた。

〝翔〟

 二人は興奮して、

「お母さん、来て来て! ぼく自分の名を書いたよ!」

「お母さん、早く来て! ぼくも名を書いたよ!」

と駆け出し、母親を呼びに行った。

 わたしはそのままひとりで字を書き続けた。

〝真海〟

〝日本〟

 故郷の上総かずさの浜辺で会った、あの旅の僧の言葉が蘇ってきた。

真海まうみ、どうだい、自分の名の字が気に入ったかい?」

 ああ、おれにもひとに何かを与えることができるなんて!

 子どもたちに手を引かれて淑梅しゅくばいがやって来た。彼女はこのとき三人目の子を身籠もっていた。

 大きなお腹をさすりながら淑梅は、

「あら、これ、あなたたちが書いたの? まあ、上手に書けたじゃない!」

と微笑んだ。

 わたしは立ち上がり、彼女に一礼した。

「わたしはこれで失礼します。用事を思い出したので」

 大急ぎで宣陽坊へと向かった。

 

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