二十五 元宵観燈(二)
いけない、いけない、きみたちにこんな話を聞かせようとするとは。わたしこそろくでなしになるところだった。
すまない、
さて翌朝目を覚ましたわたしは、昨晩いったいどんな馬鹿をやったのかそのすべてを思い出すことはできなかった。夜はすっかり明けていた。
横を見ると太った女が胸も露わにいびきをかいて眠りこけていた。わたしも素っ裸だった。
わたしは飛び起きて顔を手で撫でた。その手を見てまたびっくりした。
真っ白になっていた。顔に
わたしは毎朝顔を確かめるこの癖があってよかったと、このときほど思ったことはない。
鏡を見たかったがこの部屋には無かった。水差しに残っていた水でびしゃびしゃと顔を洗った。
さあ、ぐずぐずしてはいられない。あの大男が正気に戻って殴りこみにくるかもしれない。
わたしは自分の服を探したが、なんと女が下敷きにして寝ていて、いくら取ろうと引っ張っても全くの無駄だった。
こうなっては他にしようもない。床に落ちていた女の紅色の晴れ着を羽織り、卓の上にあった手拭いで頭を覆うと、そうっと部屋の扉を開けて出た。
運良く店の中には誰もいなかった。そのまま店を突っ切り全速力で通りを走り抜け、
家の中は静かだったが、真備の部屋の窓は少し開いていた。こんなときに限って真備は家にいるのだ。
わたしは彼に見つからないように自分の部屋へ行こうと忍び足で進んだ。
「
わたしは飛び上がった。
振り返ると真備が部屋の戸口から顔を出していた。
真備もわたしの
真備は視線を地面に落としてわたしの姿を見ないようにしてから、
「おまえ、着替えは持っているのか」
「はい、いえ、あの、もう持って無いです」
「ならわたしの古い物をひとつやるから早く着替えろ」
真備はもう顔を引っ込めて、わたしの返事を待っていなかった。
だが彼のわたしに対する初めての優しさに触れて、胸がじいんと熱くなったわたしは心を込めて頭を下げた。
「ありがとうございます!」
わたしは物置部屋にしまってあった真備の服を引っ張り出して身につけた。
それは長安に来たばかりの頃真備が着ていた学生用の服、そう、背の部分に元蘇蘇が紅をつけたあの白い服だった。
もっともいつしか黄ばんでしまっていたので、孫婆さんが草で色を染めていた。だが背中の墨はまだうっすらと残っていた。
背の高い真備の服をわたしが着ると裾がぞろ引いてしまった。帯でなんとか締め上げた。ちょっと不格好だったけれども、わたしは気にしなかった。
着ていた女物の晴れ着は孫婆さんのところへ持って行った。
婆さんは、
「こんな派手な服いらないよ」
「なら売って好きなもの買ってよ」
昨夜深酒したわたしは喉が渇いて仕方がなかった。
井戸へ行って中を覗き込むと、遙か下の水面に自分の姿が映った。
真備の服を身につけた自分はなんだか少し賢く見えた。
真備の服、真備の衿。
ああ、この衿に麗しの
そう思うとなんだか興奮してきて、気がつくとわたしは衿をさすりながらふらふらと井戸の回りを舞い歩き、大声で歌っていた。たぶんまだ酔いが醒めきっていなかったんだろう。
気持ちよく歌っていると、いきなり後ろから頭を殴られた。
驚いて振り向くと、固く拳を握りしめた真備が、恐ろしい顔でわたしを見下ろしていた。
真備はわたしの胸ぐらを掴み、
「返せ。いますぐこの服を返せ」
「嫌です! 嫌だあ! 絶対返さないですぅ!」
わたしは初めて主人に口答えをした。
真備とわたしが揉み合っていると、孫婆さんがやってきた。
婆さんを見てわたしたち二人はぎょっとしてからだが固まってしまった。
孫婆さんはわたしがあげた鮮やかな紅色の上衣を身につけていた。
婆さんはじろっとわたしたちを見たが、いつもどおり何も言わずに
真備はわたしを放した。
「二度とその詩は歌うな。気分が悪い」
彼は大きな溜息をついて部屋に戻って行った。
わたしは婆さんが水を汲むのを手伝った。
「婆さん、その服とっても似合ってるよ」
言いながらわたしは少し照れくさかった。
婆さんはにやっと笑った。
その笑顔を見てわたしは嬉しくなった。
おれがここ長安にいる意味も、きっとそれなりにあるのだ、と。
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