二十三 燈台姫(一)

 開元七年(七一九年)、淑梅しゅくばいが出産した。

 生まれたのは双子の男の子だった。

 そう、つばさくん、かけるくん、きみたちが遣唐使に興味を持つきっかけになった、同じ名の遣唐使の子、羽栗翼はぐりのつばさかける兄弟の誕生だ!

 翼、翔という名は仲麻呂がつけた。

 翼があったなら翔よう。どこを? 天を、海を。天を海を越えてどこへ行く? 日本へ、平城京へ、故郷へ。

 仲麻呂のいつか必ず果たしたい帰郷の願いを、その名に託された子どもたちだった。

 一度に二人の子に恵まれ、幸せいっぱいのはずの吉麻呂が、浮かない顔で真備まきびの家にやって来た。

「仲麻呂の様子がおかしい。いつも眠そうだ。あんたからわけを訊いてもらいたい。あいつはいま京兆府試けいちょうふしを控えた大事な時期だ。余計な心配事は全部取り除いてやりたい。おれには話さなくても、兄のあんたや真成まなりには話すはずだから」

 真備はうなずいた。

「分かりました。それにしても、きみがわたしたちに助けを求めに来るとは」

「真成にも言ったんだが、勘違いしないでくれよな。これはあくまで仲麻呂のためだからな」

 翌日真成と合流し、仲麻呂の宿舎を訪ねた。

 真成は吉麻呂とわたしを部屋から下がらせた。

 吉麻呂は外へ出ると部屋の窓の下に回り込み、耳をそばだてた。わたしもまねをした。

 真成の声がした。

「もうすぐ試験だな。もしおれと兄さまで何か力になれることがあれば教えてくれ」

「真成兄さま、ありがとうございます。実は先日太学の友人に誘われて、薛定閣せつていかくという元高官が開いた宴に参りました。薛さまは宦官でしたが碩学せきがくでいらして、お屋敷には一万を超える書物があるなどという噂を聞いておりましたから、お会いするのがとても楽しみでした。嬉しいことに薛さまは日本人のわたくしを歓迎してくださいました。琴を奏でたり詩を作ったりとたいへん雅やかな宴でしたが、夜が更けた頃、ふとわたくしはそばの燈台とうだいが揺れ動いたのに気づきました。よく見るとそれは燭台を両の手のひらに乗せた美しい乙女でした。わたくしは驚きましたが、きっとこれも宴の趣向の一部なのだろうと思い、隣の友人にも何も言いませんでした。ですが燈台姫とうだいきは少しずつ少しずつわたくしに近づいてくるようなのです。わたくしは流れる琴の調べのあいだに、彼女の呟きを聞きました。〝人の見てげんとがめせぬ夢にだにまず見えこそ我が恋止まん〟(註七)」

「えっ、それって歌か!? 日本の、やまとうたか!?」

 真成が声を上げた。

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