二十 義兄弟(三)

 わたしはびっくりしてすぐに言葉が出て来なかった。首を横に振った。

 次の瞬間、真備まきびの平手が飛んで来た。

「わたしはおまえに頼むと言ったはずだ! なぜあの場を離れた!」

 わたしはもう泣いてしまっていた。

「お、お許し下さい」

「許さん。いますぐ彼を探せ。探し出せ!」

 わたしは駆け出した。

 真備が怒鳴った。

弁正べんせい玄昉げんぼうにも探すよう伝えろ! 仲麻呂には言うな! 見つけたら無理に連れ帰ろうとするな、居場所だけわたしに知らせろ。行け!」

 わたしは弁正の家に駆け込んだ。

 弁正はもう尚衣省しょういしょうに出勤していていなかった。

 代わりに出た娘の淑梅しゅくばいと長男の朝慶ちょうけいはまず驚き、次に険しい顔でうなずいた。

 淑梅は、

「分かりました。いますぐ父に伝えます。真成さんが行きそうな場所は?」

「だ、大雁塔だいがんとうと、西市と、あと、ええと……」

「もういいです。大雁塔付近はうちの者たちで探します。あなたよりわたしたちの方が詳しいですから。真海さんは西市や他に思い当たるところを探して」

 わたしは玄昉のいる西市方面の西明寺さいみょうじへ走った。

 寺の門番は僧侶たちには朝の務めがあるから取り次げないとわたしを追い払おうとした。

 わたしは真成がいなくなったことだけでも伝えてくれと頼み込んだ。

 門番は分かったと面倒くさそうに言って引っ込んでしまった。

 わたしは次に西市へと向かった。

 市は午後から開かれる。朝早いこの時間は仕込みをする商人たちが通りを時折行き交うだけだった。

 わたしは気が動転していて、ただうろうろするばかりだった。同じ場所を何度も行ったり来たりした。

 いったい真成はどこにいる? まさか昨夜あの唐人学生に言われたように出家するつもりだろうか? それなら寺を虱潰しに探した方がいいか? この世界最大の都長安には、寺院の数も膨大だ。ああ、どうやって彼を見つけたらいい……。

 わたしはとうとう通りの片隅に立ち尽くしてしまった。

 なんて情けない。 

 おれは真成からそばにいてくれてありがとうと言われたのに。そのあと真備のことを第一に考えろと言われたのには驚いたが、それでもやっぱり彼はおれの大事な主人なんだ。これからも彼にありがとうと言われたいんだ。だから必ず見つけ出したいんだ。大事な主人だから……主人……主人……?

 胸底にあった岩が熱く焼け、とろけ出した。吹き上がった蒸気は胸いっぱいに広がり、喉元まで上がって、一つの言葉となった。

 いま分かった。おれが彼に伝えたいこと。

 それはふだん、口に出すことは出来ない。

 だが気がつくとひるが近づき、通りには人が増えていた。

 この雑踏の中なら、きっと誰にも聞こえない。

 わたしは意を決して、ついにその言葉を口から発した。

「友よ……!」

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