十八 楚腰(一)

 声に振り向くと、店の奥から背の高い若い男が出て来ていた。

 ちょうど背丈も年の頃も真備くらいのこの男をひとことで言い表すなら、ずばり「眉目秀麗」。

 黒く真っ直ぐな眉は太すぎず細すぎず、いずこのしょ大家たいかが墨を含ませた筆で書いた傑作か、と思われるほどに見事で美しかった。まぶたの二重の幅だって決して広すぎず、かといって狭すぎずとても品が良くて、その目元の麗しさといったらもう、瞬きするたびに香気を放つかの如し。黒い瞳は艶やかで、きっと彼に見つめられた女はみな胸がどきどきして息をするのも苦しくなり、なよなよとその場に崩れ落ちてしまうだろう……。

 まったく、彼を見ていると詩も作れない歌も詠めないわたしがこんなにも言葉を溢れさせてしまうのだから、いかに彼の容貌が優れていたか、きみたちにも分かるだろう?

 そう、まさに当世いまに甦った蘭陵王らんりょうおうだった。知っているかい?

 蘭陵王はわたしたちの時代よりも百五十年ほど前に唐土にあった、北斉ほくせいと呼ばれる国の皇族だった人物だ。

 王は周辺の国と度々いくさをしたんだが、そのあまりに美しいかんばせのために味方の兵たちが見とれて戦う気を失ってしまうので、恐ろしい仮面で顔を隠して戦に出なければならなかった、という伝説の持ち主だった。おお、巻菱まきびし先生はご存知ですか。ほう、蘭陵王の伝説を題材にした舞楽は現代の日本でも舞われているのですね。

 とにかく、そんな美男が突然現れたものだから、真成も怒気を忘れてぽかんとしていた。

金仁範きんじんぱん

 男たちが蘭陵王をそう呼んだ。

 金仁範はふっと笑い、男たちに、

「彼ら日本人学生とは仲良くやろうじゃないか。異国で暮らす留学生同士だ」

 真成は金仁範と男たちを見比べながら、

「……あんたたちは新羅しらぎ人留学生か?」

 金仁範は笑みを浮かべたままうなずき、

「そうだ。なあ仲間たち、彼らにはこの長安で大いに学んでから国へ帰ってもらおうじゃないか。彼らがここで何を一番に学ぶべきか。それは自分たちの国がいかに小さく貧しく弱いものであるか、だ。唐と新羅と日本の国力の違い、立場の違い、さらには西域や北方南方の国々との係わり方の違い。それらをしっかりと学んで帰ったなら、国のお偉方に重々伝えてもらわなくてはな。間違っても再び唐、新羅に対して戦を起こそうなどと思ってはならないと。互いに無用な血は流したくないものだし、より多くの血を流し、何も得られない、それどころかすべてを失いかねないのは自分たち日本国に他ならないのだから」

 真成は険しい眼差しで金仁範を見つめながら聞いていたが、すっと彼の前に立ち、拱手こうしゅした。あ、拱手は分かるかい? こうやって片手でこぶしを作り、もう片方の手でその拳を包んでする挨拶だよ。

「金仁範、お話しくださってありがとう。あなたの言うことは本当のことだ。何も間違っていない」

「ほう」

 金仁範は真成を見る目を少し細めた。

「あなたにはこれからももっといろんなことを教えてもらいたい。わたしの名は井真成せいしんせい四門学しもんがくの日本人留学生だ」

 金仁範も拱手し返した。

「井真成、おまえはなかなか賢くて話の分かるやつだ。ではおれもあらためて名乗ろう。おれは金仁範、新羅人留学生、いや元留学生だ。いいだろう、この長安のこと、世の中のこと、全部教えてやる。まあ、座れ」

 金仁範は他の新羅人学生たちを帰らせ、店員に大きな卓のある広い席を用意させた。

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