十八 楚腰(二)

 金仁範きんじんぱんは店員に料理をどんどん持ってこさせた。

 真成まなりが困った顔をすると、金仁範は彼の背中を叩き、

「心配するな、今日はおれのおごりだ。好きなだけ食え」

「あなたは新羅しらぎの貴族か?」

「まあ、親はそこそこいい身分だが、おれはしょせん三男坊、国にいたって親のあとを継げるわけでもなし、それでいて両親や祖母からは一番可愛がられていたものだから兄たちには毎日意地悪されるしで、なんだか面白くないから留学生になって長安に出て来た」

「でもさっき元留学生と言った」

「もちろん最初は真面目に学問していたさ。太学にいたんだ。だがすぐに飽きて学校に行かずに遊び呆けた。おれの母親と祖母はとにかくおれに甘くて、おれを甘やかすことを競い合ってるみたいなくらいだった。おれが金がないと無心すると、いくらでも送金してよこした。遊ぶのも飽きたとき、おれの友人が志半こころざしなかばで長安を去って新羅に帰った」

 金仁範は店に入ってきたひとりの痩せた白衣の男に目を向けた。男はうつむき元気がなく、席につくとはあーっと深いため息をついていた。どうやら科挙に落ちた挙人きょじんのようだった。

「そうしてようやく、この長安でおれよりも優秀で真面目な新羅人学生たちが異国生活に苦しんでいるのが見えてきた。金が無かったり、望郷の念にかられて塞いでいたり、一族の期待が重すぎて押し潰されそうになっていたり。おまえたち日本人留学生はわずかしかいないから、お互い仲がいいんだろう? だが新羅人留学生はこの長安に大勢いるんだ。国に戻ったときの出世を考えて、新羅人同士で潰し合いをしたりもするんだよ。おれは悲しいことだと思った。手元に有り余る金を彼らのために使おうと決意した。家賃を滞納してるやつには代わりに支払ってやったり、女を孕ませて途方にくれてるやつにはおれが代わりに女のところへ出向いて女を説得し手切れ金を渡してやったりな」

 金仁範は店員を呼び、先ほどの失意の挙人のところに酒を持って行かせた。くたびれていた挙人は驚いて椅子から飛び上がり、転がるようにして金仁範のところへ来ると何度もお礼を言った。そうして今度は明るい顔で席に戻り美味そうに酒をすすりはじめたのだった。

「そのうちおれの評判は広がって、留学生だけでなく腹を空かせている唐人のごろつきどもも食わせてほしいとおれのところへやってきた。おれは快く彼らに飯を奢った。彼らはおれを兄貴と慕うようになった。彼らはおれが留学生たちの困り事を解決しようとするとき助けてくれた。そのうちに唐の朝廷に留学生の身分は外されたから、いまはこの困り事解決屋に専念している。おまえたちも何かあったらおれを頼っていいぞ? ただし代わりにおれの役にも立ってもらうが」

「国には帰らないのか? おれたち日本人と違って、二十年後まで迎えが来ないわけではないだろう?」

 真成の言葉を聞くと金仁範はいっそう眼差しを和らげてわたしたち二人を見つめ、

「そうか、おまえたちは二十年いるのか。長いな。おれはいつでも帰れるが、まだこの相談屋を続けて留学生たちを応援したいんだ。それに帰ると両親が結婚しろとうるさいから嫌だ」

「どうして結婚したくないんだ?」

 こん!

「!?」

 突然わたしの頭に何か硬くて小さなものが当たった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る