十二 舞姫(一)

 蘇州の宿舎では再び阿倍仲麻呂あべのなかまろ羽栗吉麻呂はぐりのよしまろと同じ部屋になった。

 吉麻呂は値嘉島ちかのしまで見せたような爽やかな笑顔で、

「よう、元気だったか、の字三人組」

 真成まなりは顔をしかめて、

「だからその言い方やめろ」

 すると宿舎に入るなり寝台に倒れ込んで寝ていた真備まきびがむくっと起き上がり、

「この通り元気です。そちらの麻呂麻呂まろまろ二人組は?」

 今度は吉麻呂が顔をしかめた。

「その言い方やめろ」

 そばで聞いていた仲麻呂がくすっと笑った。

 真備はまた寝台に伏すと食事もとらずに寝ていたが、次の日になるときものでも落ちたかのようにきびきびと身支度をし、真成と二人でさっそく蘇州の書店へ書物探しに出かけて行った。

 押使おうし、大使などのお偉方は今後の旅程について唐側と調整するのに忙しそうだった。遣唐使を歓迎する宴にも毎晩あちこち呼ばれているようだった。

 ある午後、玄昉げんぼうがやって来て、

「今晩の宴の主催者は琴を貸してくれたお方だそうだ。真成、おまえも行って琴を披露するようにとのことだ」

 真成は首を横に振った。

「お偉方の前で弾いたってちっとも楽しくない。断る」

「馬鹿を言え。これも外交なのだぞ。それから真海、おまえも一緒に行くのだ」

 わたしはびっくりして返事もできなかった。

 玄昉は真成に何事かを耳打ちした。

 真成はちらとわたしの顔を見たが何も言わなかった。

 宴に向けて宿舎を出るとき、玄昉がにこにこしながらわたしの肩を叩いた。

い夜を」

 連れて行かれた大きな屋敷の庭にはたくさんの灯りがともって昼のように明るく、わたしは目がくらくらした。

 篝火かがりびの前にひとりの着飾った女が立っていた。もう若くはなさそうだったが、夏の夜風に揺れる灯火に照らされた顔は美しく、とても賢そうに思った。

 女は微笑みながら挨拶した。

「ようこそいらっしゃいました。わたくしがこの家の主、劉国容りゅうこくようです」

 押使は挨拶を返した。みな席に着き、宴が始まった。

 わたしは真成の後ろに立っていたのだが、緊張していたので宴の内容はほとんど覚えていない。目の前を舞姫たちが長い袖をひらひらとなびかせながら舞い、最後に真成が琴を弾いていたのだけは覚えている。

 真成の琴を聞き、劉国容は、

「まあ、日本国にも司馬相如しばしょうじょがいらしたのね。なんて素敵な琴の音なんでしょう。もっと聞かせていただきたいわ」

 褒められたのに真成はにこりともせず、ありがとうございますと呟くように言っただけだった。

 押使が流暢な唐語で、

「名残惜しいですが、我々はこれにておいとまを」

 副使、藤原宇合ふじわらのうまかい訳語おさ(通訳)を通じて、

「よろしければこの者はお預けしますので、どうぞもっと琴をお楽しみください」

 真成はかっと目を見開き、宇合に向かって何か言おうとしたが、先に宇合が日本語で、

「玄昉から聞いただろう。これも外交だぞ」

 宇合たちは本当に帰ってしまった。

 取り残された真成とわたしは今度は家の中へ通された。

 劉国容にせがまれて、真成はそこでも琴を弾いたが、終始笑顔は無かった。

 わたしは酒をもらったが、慣れていないのですぐに酔いが回って眠くなってしまった。

 劉国容が侍女に言った。

「お供の方はお疲れのようね。先に休んでいただきなさい」

 侍女はわたしを奥まった部屋に案内した。

 中に入ると小さな灯りがともっていた。

 そのほのかな明るさの中、何者かが寝台に腰掛けていた。

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