九 玄昉(一)

 遣唐副使、藤原宇合ふじわらのうまかいが指揮する第三船は、ほかの船よりも若い船員たちで構成されているように思えた。宇合自身がこのときまだ二十四歳、真備より一つ歳上なだけの若い指揮官だった。

 宇合はもうわたしの顔なんて忘れたのか、船の上にわたしの姿があっても視線を向けることすらなかった。

 その宇合にちょっとした事件が起こった。

 右大臣さまのご子息、やんごとなき我らが副使さまの御髪おぐししらみが見つかったのだ。

 副使さまはたいそうご立腹、次の停泊地で第三船の船員全員に虱を持ち込んだ犯人を文字通り虱潰しで探すよう命じた。

 わたしたちは降り立った港近くの砂浜で、二人一組になって互いの髪をかき分け虱を探した。他の船の船員たちはみなにやにやしながらその様子を眺めていた。

 わたしは当然主人である真成まなり真備まきびの髪をこうとしたのだが、先に真成が真備の髪を梳きはじめたので手持ちぶさたになってしまった。

 突っ立っているわたしにひとりの留学僧がつるつる頭を撫でながら近づいてきた。歳は宇合よりも少し上か、背はそれほど高くなくてわたしくらいだった。広い肩幅に厚い胸板、四角い顔に太い眉。

 実に男らしい、と言いたくなるような容姿のこの留学僧は、分厚い唇の端を上げてにこやかに、

「よろしければ拙僧があなたの髪を梳きましょう」

とわたしを手招きして皆から少し離れた場所へ連れて行き座らせた。

 留学僧はわたしのうしろに回り、ごつごつした指でわたしの髪を梳いた。

 僧は玄昉げんぼうと名乗った。

「あなたさまは真海まうみさまとおっしゃいましたね。聞くところによると土佐のお生まれで、こたびは副使宇合さまのご推薦で遣唐使となられたとか。わたしがいた平城京の寺にも土佐出身の者がおりまして話を聞いたことがありますから、土佐のことは多少知っております。いったいあなたさまは土佐のどちらの里のお生まれですかな?」

 わたしは答えに詰まった。

 玄昉はわたしの髪を左右に分けながら、

「土佐から平城京へ出て来られるときも船旅でございましたかな。遣唐使船の旅とはまた違って、小さな舟と歩きでの旅もさぞかし大変だったことでしょう。それにやはり故郷を離れるというのはつらいもの。心憂こころうい旅路のあなたさまを慰めてくれたものは何でしたかな? 是非とも教えていただき、これからより険しいものとなるであろうこの遣唐使船の旅に備えたい」

「それは……」

「ははは、どうぞ難しくお考えにならずに。食い物でも持ち物でも、心に浮かんだものを答えてくださればよいのですよ」

「あの、では、それは、富士山ふじのやまです」

「ほう、富士山」

 玄昉の手が止まった。

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