八 難波津(一)

 つばさくん、かけるくん、わたしの話は面白いかい? 退屈していないかい? なんだかこうして話しているうちに、どんどんと昔のことが思い出されて、つい自分の気持ちばかり長々としゃべってしまった。

 さて、いよいよ霊亀れいき三年(七一七年)三月だ。

 遣唐使に選ばれた者たちが、難波津なにわづに集まった。難波津は官港、唐への旅の出発点だった。

 そこに浮かぶ四つのあかい山のような船を見たときは息を飲んだよ。富士山を見たときのように。

 遣唐使船のその大きさ、鮮やかな朱色で塗られた船体の美しさ。

 こんな大きなものが水に浮かんでいるなんて!

 これが人の手で作られたなんて!

 驚いているわたしのそばで誰かが呟いた。

「これが海か……本当に唐まで続いているんだな……?」

 遣唐使の中にはこのとき初めて海を見た者だっていたんだよ。

 港では水手かこたちが忙しそうに荷物を船に積んでいた。

 水手というのは船の漕ぎ手だよ。港を出るときや無風のときには、船を動かすために水手たちがを漕ぐんだ。一つの船に水手は百人。船の左右にある櫓棚ろだなで数十人ずつ交代で働くことになっていた。みな日焼けしていて真っ黒な、たくましい海の男たちだった。

 四つの船について少し説明しておこう。

 第一船は遣唐押使けんとうおうし多治比県守たじひのあがたもりが乗った。押使というのは大使よりも上に置かれた役職で、今回一番偉い遣唐使だった。

 阿倍仲麻呂あべのなかまろ羽栗吉麻呂はぐりのよしまろはこの第一船に乗った。

 第二船は遣唐大使、大伴山守おおとものやまもりが乗った。

 第三船は遣唐副使、藤原宇合ふじわらのうまかいが乗った。真成まなり真備まきびとわたしはこの船だった。

 第四船は大判官だいはんがん、小判官という、副使に次ぐ役職の役人たちが乗っていた。

 他にも訳語おさ(通訳)や留学僧、船の修理をする工匠こうしょう、警備の射手など総勢五五七名が四つの船に分かれて乗り込んだ。

 甲板の上にある船室は大使などのお偉方が使って、わたしたち留学生組は下の船倉を使った。

 階段を下りていくと窓の無い暗い船倉はもう荷物でいっぱいになっていて、その隙間隙間に水手たちの顔が見え隠れした。しかも男の体臭が充満していて、ここで何ヶ月も過ごすのかと思うともうそれだけで気が滅入ってしまった。まあ、実際にはすぐ慣れたんだけどね。

 さあ、船が出航する。

 わたしたちは甲板の上に出た。船室の上に作られたやぐらで太鼓が鳴り始めた。太鼓に合わせて水手たちが櫓を漕ぎ始めた。だが船はちっとも動かなかった。わたしは少し不安になった。

 港には大勢の見送りの人々が集まっていた。女たちもたくさんいた。

 わたしは隣にいる真成を見た。彼の視線を追った。その先には手児奈てこながいた。

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