六 御蓋山(二)
「おまえのことを知らないと言ったが、おれには分かっていることもある。おまえはいつか、この日本を背負って立つ」
「おまえは阿倍氏の子だ。そしておまえ自身がすでに大学で
真成の言葉に、わたしは胸が苦しくなって思わず目をつむってしまった。
真成の仲麻呂に対する痛切な思いに感動したわけではない。
わたしは嫉妬していたんだ、仲麻呂に。わたしと同い年なのに「一国を背負って立つ」「おまえは国の宝だ」と言われる彼に。そして真成からこれほどまでに気遣われ、想われている彼に。
「わたくしを買いかぶりすぎです、真成さま。それにわたくしは真成さまに何かを期待しているのではない」
耳に仲麻呂の声が入ってきた。その落ち着き払った声色にわたしはいらいらした。奥歯を噛み締めながら目を開けた。
「じゃあ、なんだ。なんで義兄弟になりたいんだ」
「血でもなく、地でもなく、知でひとと繋がりたいからです。誰が親か、どこに生まれたかではなく、
わたしは彼に対して卑屈な思いを抱いていた自分を殴ってやりたくなった。
そもそも違うのだ、仲麻呂は違うのだ、真成も、そして真備も、おれなんかとは違うのだ!
彼らはその高い志のために、命を賭けて海を渡るのだ。おれのように何かから逃げるために船に乗るのではないのだ、おれと彼らは最初から何もかも違うのだ!
おれはここにいるべきでない。いてはいけない。
「ふふ、二人とも熱いことで! なあ?」
もし
真成が一歩仲麻呂に近づいた。
「分かった。おれはおまえの兄になる。でも誓うのは山にじゃない、この月にだ」
彼は高く上った月を指差した。
「この御蓋山にある月も、唐の長安で見る月も、どちらも同じ月だ。どこにいたって月を見るたびにこの誓いを思い出して忘れるなよ。おれたちはいまこのときから兄弟だ。二十年後、再び三人一緒にここで月を見るまでは、絶対にこの絆を
仲麻呂が月を見上げた。彼は目を閉じ、そしてゆっくりとまぶたを開け真成の方を見ると、
「誓います」
真備も月を見てから真成と仲麻呂二人に向きなおり、
「誓います」
二人の様子を見守っていた真成は最後に顔を上げて月を仰いだ。
「誓います」
静かな時が流れた。
真成がふっと笑った。彼はそのまま微笑みながら仲麻呂に、
「早く唐へ旅立ちたいものだな、弟よ」
その瞬間、仲麻呂の瞳が頭上にある明月よりも輝いたのをわたしは見た。
「ええ、真成兄さま」
三人はもう一度月を見上げていた。
ああ、月明かりに照らし出された三人の横顔。志に満ちた若者たちの。
この世にこれほど美しい男の横顔があるだろうか。
わたしは未だに他を知らない。
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