五 真備(五)
「あれはそこそこ教養のある唐の女をどう口説くかっていう指南書だよな? あんたの苦手なしゃれた詩のやり取りがいっぱい載ってて、そのまま女に使える。実をいうとあれをあんたの前に借りたのは
真備は吉麻呂を見ていた切れ長の目をやや細くして、
「あれは
「なるほど、山上さまはあんたに絶対読ませたかったんだな。なんとなく理由は分かるよ。おれもさ、あんたは唐の女に好かれるような気がするんだよな、背高いし、頭いいし。平城京の女たちには“
吉麻呂は頭の後ろで腕を組み、
「で?
いつの間にか李先生の家には真成、真備、吉麻呂の三人しか来なくなっていた。真成と吉麻呂が鉢合わせした日は、先生の部屋の窓から二人が唐語で言い争う声が聞こえた。
吉麻呂はこの家で中食を取るときは必ずわたしを同席させた。真備ほどではなかったが背の高い彼はわたしのことを「
あるとき、初めて吉麻呂、真備、わたしの三人で中食を取ることになった。
吉麻呂が真備に、
「そういや、あんたの傔従は決まったの?」
「まだです。わたしは従者など必要ない、従者を付けるくらいならその分わたしに支給する
「ふーん、なんか面倒くさい決まりがあんのかな。おれさ、思ったんだけど、あんたもこいつを傔従にしたら?」
吉麻呂は箸でわたしを指した。
「あんた、いまからよく知らないやつを傔従に付けられたって気詰まりなだけだろ。ただでさえ勝手の分からない異国生活が始まるんだ、余計な気は使いたくないよな。こいつならもうだいたいどんなやつか分かってるし、おれが傔従としての在り方は教えたし、いいんじゃないか? たぶんあんたと真成は同じ宿舎に入るんだろうから、兼任はできると思う」
「それこそ前例がない、と
わたしは目の前の小さな焼き魚を箸でほぐしながら話を聞いていたのだが、真備の強い視線を
そのときふと思った。おれはまだ真備から話しかけられたことがない、彼はおれの名を口にしたことすらない。
恐る恐る顔を上げると真備と目が合った。彼がそのままじっとわたしを見つめ続けたので、なんだか急に恥ずかしくなって、また視線を魚に戻した。
「そこで
いくらなんでも無茶じゃないか、そんなふうに思いつつも、わたしは真備がなんて返すのかどきどきしながら耳をそばだてた。
真備はふう、と鼻から息を出すと、
「まあ、やってみましょう」
さあ、どうなったと思う?
平城京に雪が降り、年があらたまって
わたしは自分のもう一人の主人となった真備に改めて挨拶した。
真備はうむ、と頷き、挨拶に返す形でわたしに向かって初めて言葉を発した。とても短い言葉だった。
「真成を頼む」
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