五 真備(三)
上総の故郷を出て以来、先のことは考えないようにしていた。「産まなければよかった」と、その言葉から逃れられる場所ならばどこに行ったっていいと自分に言い聞かせてきた。
でもそれが遥か海の向こう……?
「いや、兄さま。お偉方が実際どう考えているのかは分からないが、おれの傔従にしたってことはやっぱりおれとともに帰国させるつもりなんだと思う。ひとたび唐土を踏んで弔いの経でもあげれば、それで唐人の魂は真海から抜けて故郷へ帰ったことになるんじゃないか? おれはあの
「宇合さまは右大臣さまのご子息の中でも一番行動力のあるお方だと聞きます。ご本人の唐への興味もあったのでしょうが、今回の遣唐使派遣に反対する諸臣の意見を封じ込めるため、自ら唐へ行くと名乗りをあげたのでしょう。なにせ前回の遣唐大使が船が壊れてまだ帰国できていません。渡唐は危険だと、多くの貴族たちが遣唐使に任命されることを避けていました。しかし右大臣の息子が唐へ行くとなればもう誰も断れません」
「右大臣の息子たちのあいだでも
「宇合さまが無事に遣唐副使としての役目を果たして帰国すれば、兄弟たちの中で頭ひとつ抜きん出るかもしれませんね」
「そうして出世して二十年後おれたちが帰国したときには宇合が右大臣になっているかもな。おれたちが唐から持ち返った学識を、宇合は優先的に得たいだろう。だとしたらおれとのやりとりのために真海を使うはずじゃないか? うん、やっぱり真海は帰国させるつもりだとおれは考える」
二人の議論は続いたが、真備の母がやって来て、
「真備、今日は真成さんと出掛けるのでは?」
わたしたちは急いで李先生の家へ向かった。
わたしは並んで歩く真備と真成の後ろをついて行った。真備はとても背が高くて、真成の頭は真備の顎のあたりくらいだった。
李先生の家に着き教場となっている部屋に入ると、すでに李先生から一人の若い男が授業を受けていた。初めて見る男だった。
まっすぐで凛々しい眉と少し垂れた目。顎髭を短く切りそろえて整えた、ちょっとしゃれた感じのするこの男は、真成と真備を見ると片手を上げて笑い、
「よう、お二人さん。おれもこれからここで唐語を学ぶことにした。よろしくな」
と日本語で言った。李先生が注意すると慌てる様子もなく悠然と唐語で言い直した。
真成は彼にしては珍しく不機嫌そうな顔をした。
真備が男に挨拶を返した。
「
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