五 真備(二)
真成とわたしは壁ぎわにある寝台に並んで腰掛けた。向かい側は壁一面天井の高さまで書棚になっていて、どの段にも紙でできた書物や竹簡、木簡の巻物などがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。わたしが座っている寝台にも壁に沿って巻物が積まれていて、体を横たえることができる部分は半分になっていた。
わたしのところからは微動だにしない真備の後ろ姿しか見えなかったが、真成からは真備の横顔が見えるらしく、真成はときどき身を乗り出しては声をかける機会をうかがっていた。
が、そんなことを四、五回繰り返しているうちに真成も飽きたらしく、突然、
「
と唐語で叫んだ。
真備の肩が跳ね上がって、ようやく彼は振り向いた。面長に切れ長の目、すっと通った鼻筋、うっすらと生えた口髭と顎髭。そんな彼の顔で一番印象に残るのは、左目の目尻の下にあるほくろだった。
「ああ、真成。きみでしたか。いつからそこに?」
「いつから? そんなの忘れたよ、兄さま」
真成は机を覗き込んで、
「兄さま、何を読んでいるんだ?」
「これですか? よかったら貸しますよ。前回の
「え? そんな大事なもの借りていいのか? それにさっきまでずいぶん熱心に読んでいたのに、持っていってしまっていいのか?」
「いいですよ」
「いったいどんな書物なんだ?」
すると真備は眉間に皺を寄せて、
「……正直、わたしには必要のない内容でした。きみには役立つかもしれませんが」
「へぇ。どれどれ、『
読み進めようとする真成を真備はそっと手で制して、
「どうぞ宿舎に帰ってからゆっくり読んでください。読後の感想はお互い言いっこなしにしましょう。それより、彼は?」
真備はちらとわたしの方を見た。
真成は弾むような声で、
「ああ、こいつは真海っていうんだ。ほら例の、藤原宇合がおれにつけた傔従だよ。兄さま、真海は
「ほう、東人」
真備の視線が再びわたしの方に向けられた。真成の言動に唖然としていたわたしは彼とぴったり目が合ってしまい、慌てて下を向いた。
真成はそのままあっけらかんとわたしの素性を暴露した。
「なあ、すごいだろ? 兄さま」
彼はまたすごいと言った。
「真海はたった一口の土で一防人から遣唐使にまで成り上がったんだ。おれなんて五年も大学に籠って学問し続けたっていうのに」
「しかし唐人の魂を帰すために彼を唐へやるなら、彼のことはもう日本へ戻すつもりはないということですか? 二十年後わたしたちが帰国するとき、彼だけ唐に置いていくのでしょうか?」
真備の言葉に、わたしの頭はますます垂れ下がった。
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