四 真成(一)

 平城京を見てわたしがどれだけ驚いたかはもうきみたちにも分かるだろうから、話を先に進めるとするね。

 さてその平城京では、わたしはとても広くて美しい屋敷に連れて行かれた。いま思えばそこは右大臣藤原不比等の子、藤原宇合ふじわらのうまかいの屋敷だったんだろう。当時のわたしには分からなかったが。

 紅白の梅が咲き乱れる広大な庭には池があり、赤い橋が架かっていた。池のそばには四阿あずまやがあって、その中で藤原宇合は椅子に座っていた。

 まだ二十代前半とおぼしき若い男だったが、立派な口髭をたくわえていた。

 わたしと役人は彼の前にひざまづいた。わたしは恐ろしくて顔を上げられず、宇合が履いていた先の尖った靴を見続けていた。

 宇合は役人から渡されたふみに目を通すと、ふん、と鼻を鳴らした。

「こんなことでいきなり右大臣さま宛てに使いを送って寄越すとは。上総守かずさのかみ耄碌もうろくしたか」

 靴が近づいてきた。わたしはますます緊張した。

「この者、名は何という?」

 宇合は役人に尋ねた。役人は小声でわたしに、

「おまえ、名は何だ?」

 この役人とは旅のあいだずっと一緒だったが、わたしはおい、としか呼ばれたことがなかった。

 わたしは答えようとして迷った。わたしが成りすました、防人になることから逃げた男の名を言うべきか、本当の名を言うべきか。

 頭の上から宇合の鋭い声が降ってきた。

「なぜ答えない? わたしは祟りなど恐れぬ」

 わたしは決意した。もう防人ではないのだ、わたしは誰の代わりでもないのだ。

 それに唐人塚の土を喰ったのは、

「マウミです」

 靴が遠ざかっていった。宇合は椅子に座り直したようだった。

「ふむ、マウミか。名に海が入っているとはな。マウミ……まことに海を渡る者としてふさわしいのかもしれぬ。よい、この者はわたしが預かる」

 預かるとは言ったものの、宇合はわたしをまた別の場所へ送った。それは平城京の左京の一角の、宇合の屋敷と比べるとはるかに小さい家だった。

 わたしをそこへ置いていくとき、役人はわたしにこう言いつけた。

「決して素性を明かしてはならないぞ。どこの生まれかと聞かれたら土佐だと言え。おまえは土佐の郡司(郡の役所)の役人の子で、縁あって宇合さまのお目にとまり、このたびこの家に引き取られることとなった、と。そのほかのことは一切話すな」

 わたしを引き取った家のあるじは歳七十近いのではないかと見えた。髪も髭も真っ白で、ひたいや目尻には深い皺が刻まれていた。歩くとよたよたしたが、わたしを見る眼光は鋭かった。

 この人物が初めてわたしに言葉をかけたとき、わたしはびっくりした。それは聞いたことのない言葉だった。

 唐語だったのだ。

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