第26話 プラネタリウムの横顔
とはいえ時間が過ぎるのが早く、カフェで小腹を満たすと頃合いな時間になっていた。俺と桐ヶ谷はそれぞれ会計を済ませ水族館のあるビルに向かう。
「混んでると思うか?」
相変わらず大通りの人の多さは並じゃない。
心配になってそう聞けば得意げに桐ヶ谷は鼻を高くした。
「安心しなさい。事前に席を予約しておいたもの」
「……プラネタリウムってそういうもんだったっけ?」
いつからそんな人気のレストランみたいな仕様を導入したんだろうか。
「そういうものよ」
まあ、桐ヶ谷が言うんだしそれでいい気もする。
吸い込まれていく人の流れに任せて、ビルに入ろうとした時なんとなく見覚えのある顔が視界の端に留まった。首を回し目を細めると、車線を挟んだ反対側の歩道にバスケをやっていた頃の知り合いが歩いている。
「あいつ、帰ってきてたのか」
「どうかしたの?」
「なんでもない」
もう肩を並べることもないやつから目を逸らして、俺は静かに首を横に振った。中学の頃のあれこれは高校デビューと同時に上塗りしたんだ。体育の授業のように、遊びでバスケをすることはあったとしても、本気でバスケの道に進むことを夢見ない。
そう、決めている。
「おい」
エレベータでプラネタリウムの階についたところまでは良かった。正確には割り勘で謎な名前のシートの代金を払ったところまでは。
「五組だけって書いてあったから、思わず予約してしまったわ」
見るからに柔らかそうな質感のクッションに桐ヶ谷がぽすんと座る。その大きさは大人二人が背もたれにしても余りあるほど。つまりは限定のカップルシートだった。
『まもなく開演のお時間となります。まだ着席でないお客様は……』
「ほら、座らないの?」
まとめた髪を前に垂らし、ふわふわのシートに上体を預けた桐ヶ谷が隣の空間をたたく。してやったりと得意げな眼をしているあたり完全に故意だ。
俺は桐ヶ谷の誘惑に負けた、というよりは通常シートから羨ましげに見てくるカップルたちに負けて、桐ヶ谷の隣に収まる。すかさず隣り合う腕を絡めグイグイと身を寄せる桐ヶ谷。
「お前な……」
「どう? ドキドキする?」
寝っ転がった位置のせいで、やや上目遣いに尋ねられる。メイクの分大人びた雰囲気を放ち、しかしあどけなさをどこか残したその表情は確かな破壊力を秘めていた。
俺はすぐには答えず、一息を挟んでからその双眸と対峙する。
「してると思うか?」
「ちょっとはしているわよね」
「……」
俺の無言を肯定と受け取った桐ヶ谷は満足げに微笑んだ。近づかれる度、鼻先を掠める桐ヶ谷の匂いに混じって、アロマの香りがプラネタリウム内を満たしていく。
『それでは時間となりましたので開演致します。どうぞごゆっくりお楽しみ下さい』
そんなアナウンスを最後に薄暗かったプラネタリウムの照明が絞られ暗闇に包まれた。徐々に音量を上げるコラボ映画の主題歌と共に映画のワンシーンが映し出され、天球に火花が瞬く。
『あの夏、僕達は――』
何度も広告で聞いたことのあるフレーズ。満点の星空を切り裂くように走る一条の流星。宝石をばらまいたように極彩色の奔流が降り注ぎ一気に映画の世界に引き込む。開幕のホワイトアウトが過ぎるとそこは夜に包まれていた。
青年が見晴らしの良い丘の上で天体観測をしていると背後に影と足音がする。現れた少女と、青年は星に関する何気ない話をし、どちらともなく別れた。後日青年は彼女を探すが見つからない。そこで初めて違和感に気づく。
違う世界に住む二人が、一つの流星を契機に関わりを持つ。絡まってしまった複雑な物事を解きほぐしていくうちに、二人は惹かれていく。
言葉にすればそんな二文にまとめられてしまうものを映画は織物でも編むかの様に丁寧に描いていた。高精細の映像はアニメの映像美を余すことなく天球に描写し、音はまるでそこにいるのと同じ臨場感をもたらす。
「素敵ね」
そう言って、回した腕ごと俺のそれを桐ヶ谷は引き寄せる。流れていくシーンをその目に写して魅入るその綺麗な横顔を俺はじっと眺めた。
「……」
誰かを好きになるということは天体衝突が起きるくらい稀なことだ、とどこかで何かの学者が言っていた気がする。その言葉の通りなら桐ヶ谷が俺を好いてくれているのは、それこそ天文学的な確率なんだろう。俺は天文学に明るくないからどのくらいの確率なのかは知らないけど。
それでもこの交わりが貴重なものであることは分かる。
いま手を伸ばせば手に入る、そんな至近距離に桐ヶ谷がいる。無防備にも彼氏でもない男に体重を預けて、体温を重ねて、同じ時間を過ごしている。
手を伸ばせば、ぶつかってしまう。
失った愛情への渇望が身じろぎをし、欲に身を任せろと頭をもたげた。恐れることはないと甘ったるく誘おうとする。あかりの愛を受け取ることが俺にとって最良であり、あかりにとっての最良でもあると囁く。
『本当にか?』
俺は紺野によって刻まれた傷跡をなぞった。かさぶたが剥がれまたドロドロとした感情が溢れ出る。膿のような感情だ。それは春休みの三週間で出し切ったはずなのに、かさぶたの下でまた溜まっていた。
これを抱えたまま桐ヶ谷の想いに応えてもいいのか。
答えは言うまでもない。ノーだ。そんなことができる訳がない。
「……」
されど、どうしたらいいのかも分からずに、俺はアニメに目を向ける。
天球のスクリーンでヒロインは泣きながら笑っていた。
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